英語とロシア語は全然違います
道行く学生風の若者に声をかけ、ようやく片言の英語を話すレジナさんという女性をつかまえた。彼女もまた素朴な和風の顔立ちとサラサラの黒髪なのに、手足や首が驚くほど長く、『サザエさん』のワカメちゃんを10頭身にしたようなエキゾチックな女子大生である。
ちょうど大学に向かうところだというので、一緒について行くことになった。彼女が語るには、カザフスタンはカザフ語、キルギスではキルギス語とそれぞれ国語があるが、学校では公用語のロシア語を教わるのだという。だから、3つ目の英語まで話せる人はそんなにいないとのこと。「これから中央アジアの旅をするなら、共通語のロシア語を覚えたらどこでも使えるよ」とアドバイスしてくれた。
なんとなく海外どこでも片言の英語は通じると私は思い込んでいたが、世界一周に出てみてそれは大きな間違いであることがわかった。都会やビジネスマンならともかく、街中でワン、ツー、スリーさえ通じない地域は地球上にたくさんあるのだ。
ちなみに「レストラン」はロシア語で「プリストラ」と言うらしい。おかげで大学のキオスクで小さな英露・露英辞典をゲットできた(日露辞典は全く売れないのか、その後も見かけることが一度もなかった)。
蛭子さんに似た3人のおじさん
翌々日、相乗りタクシーでアルマティから3時間ほどかけて隣国のキルギスに向かった。首都のビシュケクでは高級な国営ホテルはあれど、まだツーリストが少ないため、安宿はなかなか見つからないと聞いていた。
私は中国で知り合ったバックパッカーが教えてくれたビシュケクの民泊の場所が書かれたメモを広げた。メモには住所も電話番号もなく、「(とある)大使館の向かいの緑色の扉の家。前のマンホールの蓋が浮き上がっている」という、なんともアバウトなものであった。
到着した時はすでに日が暮れており、すぐに発見できるか私は焦ったが、緑の扉の家はすぐ見つかった。家の前のマンホールもチェックすると、蓋がうまくはまらないのか確かに数センチ、浮き上がっている。この家に違いない。私は扉をゴンゴン叩くと、10センチほどの小窓からおじさんが顔を出した。
私が口を開くよりも先に、大きなリュックサックを背負った目の細い私をジッと見て「ツ、ツ、ツーリスト?」と聞いてきた。私が「ダッ!」とうなづくと、ゆっくり扉が開いた。
古いが大きな木造二階建てで、窓枠の彫刻もしゃれており、軽井沢の別荘のようなロマンチックな家である。まわりに大使館も多いからこのあたりは高級住宅地だし、キルギスのエリートでセレブな家なのではないか。
よかった。ここの民家なら食事も豪華であろう。私は改めて扉を開けてくれたおじさんを見た。ずんぐりむっくりとしていて、丸い顔に福々としたほっぺたの漫画家の蛭子能収さんにそっくりである。それだけでもおもしろいのに、その背後から蛭子さんがまたひとり、さらにもうひとりと現れた。この家には蛭子さんが3人もいる!
笑いをかみ殺しながら、「ド、ドーブライ ヴェーチェル(こんばんは)」と、ロシア語で挨拶すると、一番、若そうなサブルと名乗るおじさんが、「ははは。ウエルカム! 顔が似ているから驚いただろう。俺たちはブラザーなんだ」と流暢な英語で話すではないか! 発音の難しいロシア語に四苦八苦してここまでやってきた私は思わず、飛び上がって喜んだ。
サブルによると、キルギスで人気の副業である民泊を始めたのはつい最近で、お客は私で3人目らしい。朝と晩のご飯付きで一泊10ドルでいいという。あまり大っぴらにやると、悪い警察官にお金をたかられるので看板などは出さないそうだ。 さっそく家に入れてもらうと、幼稚園生くらいの男の子、10代後半の青年がふたり、20代から30歳くらいの女性が3人、60歳くらいのおばさんも登場し、合計10人で暮らしていることがわかった。