1990年にデビューした三菱の4WDスポーツのGTOは、速くて安くてカッコいいのに評論家の評価が高くありませんでした。その理由とは?
画像ギャラリー今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第40回目に取り上げるのは1990年に登場した三菱GTOだ。
東京モーターショーでコンセプトカーを発表
三菱GTOは1990年10月にデビュー。そう、バブル期に登場した日本車の精鋭の一台で、三菱としては初の大型のスポーツカーだ。ホンダNSXが1990年9月に日本デビューを飾っているので、その翌月ということになる。
GTOが初めて日本で公開されたのはデビューの前の年に開催された東京モーターショー1989で、HSXという車名で参考出品されていた。NS-X(ハイフンが入る)の名称で公開されたNSXとともに東京モーターショーで注目を集めていた。
GTOの車名が復活
三菱はHSXを市販するにあたり、日本での車名をGTOに決定。GTOとはイタリア語でGran Tourismo Omorogatoの略で、モータースポーツのGTカテゴリーに認定されているということを意味している。モータースポーツ界で有名なのはフェラーリ250GTOがあるが、三菱としては自社初のスポーツモデルであるギャランGTO(1970~1977年)が生産終了になって以来13年ぶりに復活させ、三菱ファンを喜ばせた。ギャランGTOと違うのは、サブネームが付かないことだが、実質スタリオンの後継モデルということで、スタリオンGTOの車名も検討されていたという情報もあった。
このGTOという車名は日本専用で、北米、イギリスには3000GTの車名で輸出・販売された。日本でも輸出名同様に3000GTの車名となるという事前情報も流れていたが、トヨタスープラ(A70型:1986~1993年)がトヨタ2000GTをオマージュして『トヨタ3000GT』というキャッチコピーで登場したこともあり、混同されるのを嫌い日本でGTOとしたのかもしれない。そのあたりは定かではない。一方北米ではGTOの車名はポンティアックが商標登録していたから断念したと言われている。
ワイド&ローのスポーツカー
GTOのボディサイズは全長4555×全幅1840×全高1285mmという堂々としたもので、ワイド&ローが特徴。特に1840mmの全幅はライバルを圧倒するワイドさだった。今でこそ日本車も大きくなって全幅1800mmを超えるSUVは数多く登場しているが、1990年当時は全幅が1700mmを超える3ナンバーサイズというのは事件だった。そんな時代だからこそ全幅1840mmは暴力的なまでの威圧感があった。筆者はGTOがデビューした年に自動車雑誌『ベストカー』でアルバイトを始め、その時に広報車両のGTOを始めて運転した時は怖いと感じたほど。
ちなみにライバルの全幅は、日産スカイラインGT-R(R32)が1755mm、日産フェアレディZが1790mm、NSXが1810mm。全幅は10mm変われば、印象も感覚も変わると言われるだけに、GTOの突出感が強調される。
超重量級のスポーツカー
当時の日本では破格の大型スポーツカーとして登場したGTOだが、強烈だったのが車重で、トップグレードのツインターボは1700kg!! これはGT-R(1430kg)、フェアレディZツインターボ(1520kg)、NSX(1350kg)と比べても明らかに重量級で、NSXとは350kgの差!! スポーツカーは軽さが命と言われるが、驚くほど重かったのだ。
GTOが超重量級となったのは、4WDシステムが重かったことのほか、いろいろな装備が満載されていたのもその要因だ。
10年先を行っていた三菱の思考
GTOに搭載されたエンジンは、3L、V6ツインターボとそのNAの2種類。ツインターボは最高出力:280ps/6000rpm、最大トルク:42.5kgm/2500rpmというスペックを誇った。当時は280psのメーカー自主規制により技術的には可能でも280psを超えることができなかったが、その代わりにトルクを増やすというのに着目されていて、その先鞭をつけたのが三菱で、GTOは圧巻の42.5kgmをマーク。しかもその最大トルクをわずか2500rpmで発生するのが凄いところ。1990年代のエンジンは回してなんぼ、高回転の気持ちよさこそ最高!! という時代だった。その後パワー至上主義からトルク重視に変わっていくのだが、今になって考えれば、三菱のエンジンチューニングは10年先を行っていたということになる。
4WD+4WDで登場
GTOはオフロードではパジェロ、スポーツ4WDではギャランVR-4とスバルのお株を奪う”ヨンクの三菱”として名をはせていたが、GTOはツインターボ、NAとも4WDを採用して登場。
三菱が4WDを採用したのは、誰もが安心・安全にハイパワースポーツを楽しめる、というコンセプトとしていたからだ。
その4WDには後輪をステアする四輪操舵(4WS)が組み合わされていた。この4WDは低速での逆位相はなく、50km/h以上で前輪と同じ同位相にリアタイヤがステアするタイプで、高速道路のレーンチェンジなどをスムーズにするために装着されていた。コーナリング時の回頭性をよくする、快適なクルージングのためといった意味合いが大きい。
いろいろな装備を満載
三菱のスポーツモデルと言えば、前述のギャランGTO、FTO、ランサーセレステ、スタリオンが存在するが、サイズ的にもGTOは三菱にとって新たなチャレンジだったため、ギミックも含めいろいろな装備も満載されていた。
■ECS(電子制御サスペンション)
走行条件に応じて、フロント、リアの合計4本のショックアブソーバーの減衰力を3段階に制御することができる
■ベンチレーテッドディスク
フロントは対向4ピストンのアルミキャリパーを採用。これに冷却性能に優れた大容量ベンチレーテッドディスクを組み合わせ、リアもベンチレーテッドディスクを装着することでストッピングパワーを強化
■ゲトラグ社のミッション(日本初)
初期は5速MT、中期以降は6速MTを採用したのはGTOが日本車初
■アクティブ・エアロシステム(日本初)
車速80km/h以上で前後スポイラーを可変化させ、ダウンフォースを制御することで高速走行時のスタビリティを向上させる
■アクティブ・エキゾーストシステム(日本初)
室内のスイッチ操作によって排気音をノーマルモードとサイレントモードの2種に切替えることできる。夜間の住宅街などでサイレントモードが重宝した
これだけ装備が充実していながら車両価格はライバルよりも大幅に安い330万円~390万円というのは魅力的だった。
スポーツカーとしてわかりやすいデザイン
流麗なエクステリアデザインもGTOの魅力を語るうえでは欠かせない要素。GTOはスタリオン、エクリプスに次ぐ三菱3番目となるリトラクタブルヘッドライトを装備。ワイド&ローのZライン、曲面ガラスを使いサイドに大きく回り込んだリアウィンドウ、真横から見ると光のラインが一度下がってまた競り上がる複雑な面構成などが特徴で、誰が見てもスポーツカーとわかるわかりやすいデザインで登場。
ボンネットが低いデザインとエアロフォルムにより、GTOの空気抵抗係数(Cd値)は、当時のスポーツカーとしては優れた0.33(GT-Rは0.40)。
プアマンズフェラーリと揶揄する人もいたが、実際にはフェラーリとは異質の三菱のオリジナリティが盛り込まれている。筆者は今見てもカッコいいと思う。
しかし、リアフェンダー下に装着されたエアアウトレットはダミーだったし、ボンネット両サイドのバルジは、ストラットサスの取り付け部をカバーするための苦肉の策だったりと、スポーツカーとしては残念な部分もあった。
インテリアは豪華志向
スポーツカーの室内は、適度にタイトで、スパルタンなイメージを持っている人も多いだろうが、GTOのインテリアはセンターコンソール上部の丸型3連メーターがスポーティ感を出しているものの基本的にはラグジュアリー志向。シートサイズもゆったりしているのでスポーツカーとは思えない快適な空間だった。乗車定員は2+2の4人だが、ほかのスポーツカー同様にあくまでも主役は前席で、後席は荷物スペースとしてつかうほか、エマージェンシー的。
サンルーフはめんどうなタイプ!?
快適装備としてオーディオも充実。そしてGTOには脱着式ガラスサンルーフがオプション設定されていた。このあたりはアメリカンな感じ。車内のダイヤルを回すと、ガラスルーフの後端がせり上がるような形となる。このチルト状態で室内換気することもできる。そのダイヤルをさらに回すと、ルーフが外れ、外からルーフを取り外す。今考えると非常に面倒だし、ガラスが重いのでひとりで取り外すのは慣れが必要。ガラスルーフの収納場所はトランクだ。撮影用に三菱自動車からお借りした広報車両で取り外した時は、安全を考えて2人で外した。
しかしいざ開けてみると開口部が大きいので思いのほか解放感がある。クローズド状態にするには外すのと逆の手順になるが、面倒なことには変わりない。この面倒さが嫌で、いつの間にか外さなくなったという人が多いハズだ。
まさに直線番長!!
では、GTOの走りはどうか? 速い!! 特に2500rpmで42.5kgmの強大なトルクを発揮するため、低速から中速にかけての加速感は強烈。高速域での加速の伸びはそれほどでもないが、高速クルージングは快適そのもの。直線番長という名がピッタリのキャラ。
コーナリングはやはり1700kgの車重が大きな足かせとなる。特にGTOはフロントヘビーだったためアンダーステア傾向が強い。それを4WDのトラクション性能を活かして、無理やりクルマを曲げる感じ。足回りも柔らかめだったのでロールも大きめなので、破綻はしないが、よほどの走り自慢じゃないかぎりドキッとするかも。
自慢の4WDによりどんな路面状況でも走破力は高いが、重いクルマは一度慣性力が付くとそれを収束させるのは至難の業。
重さが最大のネック
三菱が満を持して登場させたGTOだが、試乗した評論家の評価はお世辞にも高いと言えなかった。というよりも低かった。評論家が指摘していたのは下の4点。
■1700kgの車重はスポーツカーとして重すぎる
■ブレーキが弱い
■ステアリングレスポンスがよくない
■シフトフィールがイマイチ
素人同然の筆者が感じるくらいだから、プロの目はもっと厳しい。やはり、重かったというのが最大のネックになっている。重いからブレーキだってきつくなるし、ハンドリングのレスポンスだって悪くなる。
レースで勝つために誕生したGT-R、ピュアスポーツを目指したNSX、RX-7に対し、GTOはそもそもアメリカから、既存のものを使って快適なスポーツカーを作ってほしい、という要求に応えたもの。実際にプラットフォーム、パワートレーンなどはディアマンテのものを使っている。そもそもの成り立ちが違うのだから同列で比べること自体無理があるが、同時期に誕生した宿命で不可避だった。
『FFベースのスポーツカーはあり得ない』、『スポーツカーは後輪駆動に限る』、などといったスポーツカーの固定観念もGTOの評価が低くなった一因でもある。
頻繁に手を入れて進化
GTOの進化は以下のような感じで行われたが、フロントマスクは合計3種類、基本的にエンジンはほとんど変わっていないが、トランスミッションほかにも手を入れた。その大きな役割を果たしているのはN1耐久レースで、それに合わせた進化も見逃せない点だ。6ポッドキャリパーのオプション設定などその最たるもの。GT-Rの牙城を切り崩すことはできなかったが、サーキットでの三菱をアピールすることには成功した。
【GTOの進化の歴史】
■1992年1月
ホイールを17インチ化、電動格納式ドアミラーを採用など
■1992年10月
ブレーキディスクを17インチ化、リアに対抗2ポッドキャリパー採用、キーレスエントリー採用など
■1993年8月
軽量化モデルのMRを追加。オプションでAPロッキード製の6ポッドキャリパー採用、リアハイブリッドLSDをツインターボ、MR(軽量化モデル)に標準採用
■1995年8月
NAのグレード名称をSRに変更
■1996年
フロントバンパーとリアスポのデザイン変更&アクティブエアロの廃止。ターボ系に18インチアルミを初採用
■1997年
ABSを標準化
■1998年8月
大型リアスポイラーの採用、ヘッドライトのデザイン変更。軽量化(5%程度)
■2001年8月
生産終了
中古車はあり得ないほどの高騰はしていない
最後に中古車のお話。
GTOの中古車はタマ数が少ない。特にリトラクタブルヘッドライトの初期モデルはかなりレアな存在となっている。探しても全国で30台前後で推移するなかのごく少数。メインは中期の丸2灯を埋め込んだ固定ヘッドライトタイプ
中古相場は、同時期のジャパニーズスポーツカーに比べるとあり得ないほどの高騰はしていないので100万円前後からあるが、安いモデルは3ℓ、NA+4ATの組み合わせとなる。ツインターボMRで200万円前後、高いもので450万円前後となる。
敢えて今GTOに乗るのもオツなもの。ただし内装など欠品パーツに注意すべし。
本当にいい時代だった
三菱が凄かったのは、前述のとおりモデルライフ中にしっかりと手を入れてクルマを進化させたことだ。日本では台数的に苦しい面もあったが、GTOのメインマーケットである北米での評価、人気とも高かったから予算を割くことができたのだろう。
北米では、オープンモデルも発売されたり、提携関係にあったクライスラーでは、ダッジステルスが人気となるなど、スポーツモデルとして失敗作では決してない。
アメリカ志向のクルマは日本では売れない、という定説めいたものがあるが、GTOもその典型的な一台と言えるだろう。
ただ効率重視で、『売れないから作らない』、『日本で販売しない』という今に比べて、バブルの勢いがあったとはいえ、非常に夢のある時代だったと痛感させられる。1990年代の日本のスポーツカーをオモシロくしてくれた存在であることは間違いない。
【三菱GTOツインターボ主要諸元(デビュー時)】
全長4555×全幅1840×全高1285mm
ホイールベース:2470mm
車両重量:1700kg
エンジン:2972cc、V6DOHCツインターボ
最高出力:280ps/6000rpm
最大トルク:42.5kgm/2500rpm
価格:398万5000円(5MT)
【豆知識】
三菱エクリプスはGTOがデビューする前年の1989年に初代モデルが登場。アメリカマーケットをターゲットとしたスペシャルティカーで、日本にはGTOの2カ月前に販売を開始。最上級モデルはギャランVR-4と同じ2L、直4ターボ+4WD。全長4395×全幅1690×全幅1320mmと日本でも扱いやすいサイズということで一定数が売れた。提携していたクライスラーではイーグルタロン、プリムスレーザーとして販売されていた。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/MITSUBISHI、CHRYLER