「二週間」のはずが「二ヶ月」 生き方を支えた被写体「シマエナガ」との出会い 確かに、無茶は一杯したけれど、直接命の危機があるような取材はせず。アザラシ・シロクマ・マナティ・プレーリードッグに始まって、ある年、蛍を少し撮っ…
画像ギャラリー「アザラシの赤ちゃん」や北海道に生息する小鳥「シマエナガ」などカワイイ動物を撮り続けてきた動物写真家の小原玲さん(1961~2021年)が、8月28日放送の「24時間テレビ」で紹介されました。番組では、死の直前に北海道で撮影した「最後の動画」を公開。スクープを連発した報道写真家から動物写真家に転身した足跡をたどるとともに、妻で作家、大学教授の堀田あけみさんへのインタビュー映像も流れました。番組での公開に際し、堀田さんから小原さんへの想いを込めた文章が届きました。2人の出会いに始まって、被写体が「アザラシの赤ちゃん」から「シマエナガ」に向かった経緯、そして永遠の別れまでがつづられています。堀田さんの寄稿「後悔していない」を掲載します。
「もう命を賭けるような写真の撮り方はしません」
初めて会ったときに、もらった名刺の肩書きは「報道写真家」で、
「だけど、もう事件とか事故とかを撮る気はないんです」
と言っていた。この世界に「今度」は、あんまり存在しない。一緒にご飯食べましょうとか、あれを送る、これを送るってのは、待ってても来なくて、大人の社交辞令だと学習するのに時間がかかったのは、大人の世界に入るのが十七歳と、ちょっと早かったからだ。田舎もんだったし。だから、
「明日から取材に行きます。お土産買ってきますね」
初対面の人からそう言われても、社交辞令には懲り懲りで。私も、もう大人だった。
十日ほどして大きな包みが届いた。アザラシの写真集には知らない女の人の名前の後に、その人の名前があって、マナティのTシャツとぬいぐるみが入っていた。なんだ彼女持ちか。こちらが訊く前から、バツ二で今は独身だと言った。
社交辞令を言わない人と結婚したのは、
「写真に命を賭ける人の子どもは産めません」
と言うのに、
「もう命を賭けるような写真の撮り方はしません」
と答えたからだ。
「二週間」のはずが「二ヶ月」 生き方を支えた被写体「シマエナガ」との出会い
確かに、無茶は一杯したけれど、直接命の危機があるような取材はせず。
アザラシ・シロクマ・マナティ・プレーリードッグに始まって、ある年、蛍を少し撮ってみると言って出かけたのが、彼の方向性を変えた。わかっていた。二週間ほど行ってくると言って、二ヶ月戻ってこなかったから、この被写体がこれからの彼の生き方を支える。
それは、大きな生き物から小さな生き物へ、海外から国内へというシフトチェンジだ。ずっと海外に向いていた視線が、足元を見るようになり、蛍の季節には九州から蛍前線を追いかけて日本を縦断する生活になった。それでも、アザラシだけは別格で、毎年、三月の上旬にはカナダのケベック州にある離島・マドレーヌ島に行き、流氷の上で、この時期、二週間だけのアザラシの子育てを撮った。
その島では、小原玲は有名人で、私は行く度に立場の変わる女として知られていた。一度めは玲の友達、二度めはフィアンセ、三度めは妻、一年休んで今度はお母さんになって島に行った。流氷に異変が起きたのが一九九八年のシーズンから、と私がしっかり覚えているのは、長男を抱っこして行った年から、と言う記憶が鮮やかだからだ。それまで、ここが海上だと忘れるほどに、水平線までみっしりと張り詰めていた流氷が、ある程度の大きさはあるものの、ふわふわと海に浮いていて、とても子どもを抱いて会いに行ける状態ではなくなっていた。赤ちゃんを抱っこして、アザラシを見せると言う夢を実現させるのは、氷の状態が良かった七年後、末の娘を連れてきたときだ。
長男が生まれた年から、流氷の状態はよくなったり悪くなったりで、年によってはアザラシウォッチングのツアーが全キャンセルされるようにもなった。そうするとカナダには行けない。でも、だからと言って、家にいて愛娘とお雛祭りをお祝いする、というのは違うなあ、と思ったのだ。この時期に、取材しないと、この人はぼける気がする。
「北海道に、すごく可愛い小鳥いるんだよね。シマエナガっていうんだけどね、ほら白くてもふもふでしょ」
「それですよ。今年の三月はそれ撮りましょう。アザラシの代わりに。白いし。丸いし。もふもふしてるし」
北海道への「単身赴任」
そこから北海道通いが始まって、シマエナガが一段落ついたら今度はモモンガに夢中になった。
そして彼は五十代に入る頃から、将来への不安を口にするようになった。経済的な話ではない。そんなことは、結婚してから悩んだことがない。全部私がどうにかすると思っていたからだ。
体力と感性が衰えることによって、自分の思う通りに写真が撮れなくなることを恐れるようになった。
私は彼に北海道への「単身赴任」を提案した。彼は、とても寂しがり屋なので、まず、
「怒らないで聞いてくださいね」
と念を押すところから始まった。
「私達、結構年をとってきて、玲さんが本当に自分の思うように写真を撮ることができる時間は、意外ともう長くないのかもしれません。だから、もし玲さんがそうしたいなら、例えば北海道に一時的に住んで、撮りたいときに写真を撮れる環境を整えてはどうかと思うんですが、いかがでしょう」
なんでそんなこと言うの、あけみちゃんは、僕を追い出したいの、とか言われたらどうしようかとびくびくしながら切り出したけれど、答えは、
「いいの? ありがとう」
好きなときに好きなように写真を撮り、自宅にも頻繁に戻り、ときには私がこちらから会いに行った。初老の夫婦の理想の形かもしれないと思った。
理想的過ぎて、幸せ過ぎて、不安になったこともある。それは的中してしまった。
病気が見つかり、網走の病院で治療を始めるまで、私達家族が次々に選択してきたのは、どれも話せば長くなることばかりで、結局、退院して一緒に乗るはずだった飛行機で、骨と一緒に帰ることになった。
最後の作品は「モモンガの巣穴」
最後の作品は動画。夜、モモンガの巣穴を撮っている。入院する二日前だ。地元に、ずっとよくしてくださった方がいらして、その方と一緒に助けていただいているから、声も入っている。
「限界です。情けない」
それに救われたと言ったら、私は悪い妻だろうか。
写真のことばかり考えていた人だから、限界まで写真を撮らせてあげることが愛だったなんて、私の自己満足だと言われたら甘受しよう。私は知っているから。ここに彼がいたら、きっと言う。
「あけみちゃん、最後まで写真家でいさせてくれてありがとう」
結局、写真に命、賭けちゃったのかなあ。
でも、私は後悔はしていない。
訂正、私達は。
小原玲(おはら・れい)
1961年、東京生まれ。茨城大学人文学部卒。写真週刊誌『フライデー』専属カメラマンを経て、フリーランスの報道写真家として国内外で活動。1989年の中国・天安門事件の写真は米グラフ誌『ライフ』に掲載され、「ザ・ベスト・オブ・ライフ」に選ばれた。1990年、アザラシの赤ちゃんをカナダで撮影したことを契機に動物写真家に転身。以後、マナティ、プレーリードッグ、シマエナガ、エゾモモンガなどを撮影。テレビ・雑誌・講演会のほかYouTubeに「アザラシの赤ちゃんch」を立ち上げるなど様々な分野で活躍した。写真集に『シマエナガちゃん』『もっとシマエナガちゃん』『ひなエナガちゃん』『アザラシの赤ちゃん』(いずれも講談社ビーシー/講談社)など。2021年11月17日、死去。享年60。
堀田あけみ(ほった・あけみ)
作家、椙山女学園大学国際コミュニケーション学部教授。1964年、愛知県生まれ。名古屋大学大学院教育学研究科(後期課程)単位取得後退学。81年、高校2年の時に小説「1980アイコ十六歳」で、第18回「文藝賞」を当時最年少の17歳で受賞。同作は映画やテレビドラマ化され、大きな話題に。以降、恋愛小説を中心に数多くの作品を発表し、若い世代の共感を集めてきた。作家活動とともに、大学で心理学の研究者の道を進み、2015年から現職。主な著書に、小説では『イノセントガール』『やさしい嘘が終わるまで』など、小説以外では『発達障害だって大丈夫 自閉症の子を育てる幸せ』『発達障害の君を信じてる 自閉症児、小学生になる』など。1995年、動物写真家の小原玲さんと結婚し、2男1女の母。
【小原玲さんの関連グッズ・写真集】
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『シマエナガちゃん』(講談社ビーシー/講談社・1430円)
『もっとシマエナガちゃん』(講談社ビーシー/講談社・1430円)
『ひなエナガちゃん』(講談社ビーシー/講談社・1430円)
『アザラシの赤ちゃん』(講談社ビーシー/講談社・1430円)
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