音楽の達人“秘話”

ジェーン・バーキンの1992年の思い出 ブルーの照明で統一されたステージ、ヒンヤリとした手の感触

ジェーン・バーキンの名盤の数々

国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」では2回にわたって、今月16日に…

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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」では2回にわたって、今月16日に76歳で亡くなった歌手で女優のジェーン・バーキンを取り上げます。英ロンドン出身ですが、1960年代後半からフランスに移住。パートナーとなるフランスの作曲家で歌手のセルジュ・ゲンズブール(1928~91年)とのデュエット「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を69年に発表し、世界的なヒットで注目を浴びました。ジェーン・バーキン第1回では、1992年の来日公演時の筆者の思い出が綴られます。

PANTAの死のあと、バーキンが旅立った

2023年7月7日、親友のロックバンド「頭脳警察」のヴォーカル、PANTA(パンタ)が73歳でこの世を去った。まだ、ミュージシャンとしてのデビュー前、1968年、18歳で出逢って以来の長い付き合いだった。余命宣告1年とされた闘病中だったが、昨年11月末、電話で少し長話をした。PANTAとは音楽の話は多くはしなかった。

でも、10代、20代初めに愛聴した音楽は多くが共通していた。ボブ・ディラン、ピンク・フロイド、フランク・ザッパなどロック・ミュージックを除いた共通の趣味は、いわゆる“フレンチ・ロリータ”好きだったことだ。

フランス・ギャル、シルヴィ・ヴァルタン、そしてふたりより少し遅れて、1969年、パートナーだったセルジュ・ゲンズブールとのデュエット「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」で歌手デビューしたジェーン・バーキンが、ぼくとPANTAの“三大フレンチ・ロリータ”だった。

PANTAの死から9日後、ジェーン・バーキンが76歳で旅立った。PANTAとジェーン・バーキンの死は、多くのファンを悲しませたが、ぼくには天国でジェーン・バーキンを嬉しそうにエスコートしているPANTAが見える。

PANTAは1979年、歌手の石川セリに本名の中村治雄(はるお)名義で作詞・作曲した「ムーンライト・サーファー」という楽曲を提供した。

“気分はセルジュ・ゲンズブールで曲を作って、ジェーン・バーキンみたいにセリさんに歌ってほしかったんだ”

当時、PANTAはそう語っていたが、本当にジェーン・バーキンに歌わせたらぴったりのフレンチ・テイストの名曲だった。

ジェーン・バーキンの名盤の数々

ジョージ・ハリスンの大ファンだった少女

ジェーン・バーキンは1946年12月14日、ロンドンで生まれ、1960年代のスウィンギング・ロンドン(当時のロンドンで盛んだったファッションやカルチャーのこと)に育った。女優・モデルになる前はミーハーのロック少女だったことをかつて告白している。

ザ・ビートルズ、特にジョージ・ハリスンの大ファンで、ホテルまで追っかけたこともあった。ジェーンの兄の映画監督のアンドリュー・バーキンがジョージそっくりで、本人になりすまして求められるままにサインしていたと、ジェーンと交際のあったジャーナリストの佐藤友紀(ゆき)氏が、『コワ(Quoi)』というアルバムのライナーノーツに記していた。

ジェーン・バーキンは早熟な少女で、18歳でイギリス映画『ナック』(1965年)の端役で女優としてデビューした。『ナック』の監督は『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964年)、『ヘルプ!4人はアイドル』(1965年)を撮ったリチャード・レスターで、音楽はジョン・バリーが担当した。ジョン・バリーは“007/ジェームズ・ボンド”シリーズの音楽で有名だ。この『ナック』で出逢ったジョン・バリーとジェーン・バーキンは結婚している。

ジョン・バリーとの短い結婚生活を終えると、ジェーン・バーキンはパリに渡り、セルジュ・ゲンズブールと出逢う。後に佐藤友紀氏とのインタビューで、ジェーンは“私の20代なんてまるでバービー人形だった”と語っていた。ゲンズブールとのパートナー関係は、時にジェーンにとって地獄のようだったと思われる。けれども、その20代があったから、その後のジェーン・バーキンがある。そのことも彼女はよく分かっていた。

1991年3月2日、セルジュ・ゲンズブールが亡くなると、実生活ではすでに遠くなっていたゲンズブールの音楽を、ジェーンは守護天使のようにこの世に広め続けた。

ゲンズブールの想い出を歌い続ける

ジェーン・バーキンのライヴを初めて観たのは1989年だった。次に1992年3月、昭和女子大学人見記念講堂(東京都世田谷区)で見た。ゲンズブールの追悼公演とも言える1992年のライヴ、ブルーの照明で統一されたステージは今でもはっきりと覚えている。

煙草をひっきりなしに吸いながら、彼女はひたすらゲンズブールの想い出を歌い続けた。日本におけるフランス音楽の泰斗、評論家の永瀧達治(ながたき・たつじ)から、もしかしてライヴが終わったら、楽屋で逢えるかもしれないと言われていたので、ぼくは薔薇の花束を用意していた。そして幸運なことにぼくはジェーン・バーキンと逢えた。花束を渡し、ごく短い挨拶と握手。身長170cmのぼくより、わずかに高い背丈、少しヒンヤリとした手の感触。一生忘れられない想い出となった。親友PANTAに自慢したのは言うまでもない。

どうかジェーン・バーキンの名が、エルメスのバーキンのバッグだけでなく、女優として、シンガーとして、今後も多くの人に語り継がれるように。

ジェーン・バーキンの名盤の数々

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

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