小説『バスを待つ男』や、講談社の「好きな物語と出会えるサイト『tree』」で連載中のエッセイ『日和バス 徘徊作家のぶらぶらバス旅』など、作家生活25周年を迎えた西村健さんは、路線バスをテーマにした作品の書き手としても知られています。「おとなの週末Web」では、東京都内の路線バスを途中下車してふらり歩いた街の様子と、そこで出会った名店のグルメを紹介します。
画像ギャラリー落語「堀の内」の舞台“堀ノ内のお祖師様”へ
今日はJR新宿駅西口から都バス「宿91」系統に乗り込む。
目的地は杉並区の古刹、「堀ノ内のお祖師様」こと妙法寺(みょうほうじ)。落語「堀の内」の舞台になったことでも有名ですね。
元は真言宗の尼寺だったのが、後に日蓮宗に改宗。碑文谷(ひもんや)法華寺(ほっけじ)の末寺的立場だったが、本寺の方が江戸幕府の圧力を受けたため、祖師像を譲り受ける。これが「厄除けにご利益がある」と評判になり、参詣者が押し寄せるようになった、というから人にせよ寺にせよ、運命なんてどう転ぶか分からないものですなぁ。法華寺の方は改宗を余儀なくされ名前まで変えさせられたのに対して、妙法寺の方は今も参拝客が絶えない人気を誇ってるんですから。
ちなみに落語「堀の内」の主人公、熊五郎は「超」が付く程のオッチョコチョイ。朝、タンスの引き出しで顔を洗おうとするわ、猫で顔を拭こうとして引っ掻かれるわ。落語に粗忽者はつきものですが、もう「横綱級」と言っていい(笑)。いい加減、そそっかしさを直そうとして妙法寺に参詣に行く、というお話です。それくらい当時から、「霊験あらたか」と評判だったということでしょう。
江戸時代の観光案内にも紹介された「妙法寺」
江戸時代後期の、今で言う観光案内「江戸名所図会(えどめいしょずえ)」にも妙法寺は紹介されている。
「当寺は遥かに都下を離れたりといへども、霊験著しきゆゑに、諸人遠きを厭はずして、歩行(あゆみ)を運び渇仰(かつごう)す」
そりゃ当時としては「遥かに都下を離れたり」なんて書かれても仕方のないような場所だったんでしょう。にもかかわらず、喉の乾いた者が水を求めるように参詣客が押し掛けた(渇仰の意)。これだけの名刹だったらきっと、参道に古いお店もある筈。歴史ある蕎麦屋で昼間っから一杯、なんてのもオツだなぁ、なぁんて狙いがあったわけです。
東京23区で都バスが走っていない区は?
「宿91」系統は新宿駅西口のロータリーを出ると、青梅街道を延々、西に向かう。高円寺陸橋で環七へ左折し、今度はひたすら南下して「新代田(しんだいた)駅前」で終点となる。大きく曲がるのは一回だけ。ある意味、とってもシンプルなルートと言っていい。
ちなみにバス好きの間でちょっとしたトリビアを競う時、「東京23区の中で都バスが走ってない区はどこでしょう?」という問題がある。答えは「目黒区」。
「え、JR目黒駅の東口に都バスの乗り場があるじゃん」と疑問を抱く人もいるでしょう。でも目黒駅があるのは実は、品川区内なんですね。だからどれだけ駅前に都バスがいようと、区内を走っていないことには変わりない。
ところが世田谷区だって、区内を走ってる都バス路線はこの「宿91」系統のみ。しかもその先っぽ、代田橋~新代田駅前のたった3区間だけが世田谷区、という危なっかしさなのだ。東京都交通局さん、お願いしますよ。世田谷区民のためにもこの3区間だけは、大切に残してあげて下さいな(笑)
「堀の内」の熊五郎もここを歩いたんだろうなぁ
閑話休題。新宿から青梅街道を西に向かうバスに揺られていると、「堀の内」の熊五郎もここを歩いたんだろうなぁ、なんて思えて楽しい。神田の自宅から「お祖師様」に向かったのだから(実はいったん、間違えて逆方向に行ったりもするけど)、青梅街道を通ったのは間違いないんですから。
ただ、環七は通った筈はない。この大通り、出来たのは昭和に入ってからなんですね。
東京メトロ丸の内線、新中野駅の近く。青梅街道から左斜めに分かれて行く通称「鍋屋横丁」がある。この道が実は、昔は妙法寺への参詣道だったんです。だから熊五郎はこちらを通ったに違いないんだけど、さすがにそこまで正確に辿ることはできない。まぁ、あくまでバスに従う以上、しゃぁないですね。
「堀ノ内」のバス停で下車。通りの向かい側には、環七に面した妙法寺の参道入り口がある。さすが、車通りも人通りも多いですね。引っ切りなしに出て来るから、その姿を避けて写真を撮るのはムリでした。なんでナンバーには後でボカシを掛けたりしてます。
山門をくぐると、お堂がどーん
さぁ自分も参道に入ってみる。
江戸時代はどうだったか知らないが、今は車がどんどん走って来る。ちょっと歩きづらいなと思ったけど、参道を歩き始めたらすぐ右手が妙法寺の境内でした。
お蕎麦屋さんも見つけました。揚げまんじゅうも売ってるようで、建物は新しいけど歴史はありそう。ところが近づいてみると定休日なのか、閉まってました。まぁ、仕方がない。
気を取り直してお寺にお参りします。
まずはもう、山門からして立派。いかにも名刹、て存在感ですよねぇ。
山門をくぐると目の前に豪壮そのもののお堂がどーん、と現われる。ところがこれ、本堂ではなく「お祖師堂」なんですね。前述の通り「祖師像」は法華寺から頂いたものなので、それを祀るために後から建てられたものなのでしょう。
本堂は祖師堂の裏にありました。前者に比べたらどこか、ひっそりとした感じ。知らなければ祖師堂だけお参りして、帰っちゃう人も多いかも、ですね。ま、厄除けにご利益があるのは祖師像の方なんだから、それはそれで構わないのかも知れませんが。
私は山門横にあった説明板を見て分かっていたので、両方に手を合わせましたよ。いいお店が見つかりますように、と祈って。
お参りを済ませ、スマホを立ち上げて近くのお蕎麦屋を検索してみる。でも最寄りのはさっきの、閉まってたお店でした。他に蕎麦屋は、青梅街道まで戻らないとないみたい。
まぁ、今日は蕎麦でなければならない、と決まったわけではないですからね。参道を環七へぶらぶら戻っていると、右手に古いお寿司屋を発見。さっきは行き過ぎる車の陰に隠れて見えなかったんだなぁ。
いやいや見るからによさそうな感じじゃぁないですか。おまけに外に貼り出してあった紙に「ランチサービス しらす丼 700円」とあった。おぉ、しらす丼。しらす丼! もう、迷う理由はどこにもない。
ランチサービスのしらす丼 しらすは釜揚げではなく天日干し
中に入ると外観から予想がついた通り、しっとりと落ち着いた店内。いやぁいいですねぇ。親切そうな店主から「お好きなところへどうぞ」と促され、カウンターに着きました。このご時世、コロナ対策で一席ごとに間に透明な仕切りが立てられてました。
メニューに「にぎり並 1000円」とあって、こっちもよさそうだなぁと一瞬、迷ったけどやはり初心貫徹。しらす丼を注文しました。
そしたら出て来たのが、これ。おぉおぉ、よいではないですか。間仕切りの脇に醤油差しが置いてあったので、何の考えもなしに当たり前のように上から掛けた。
そしたら店主「しらすは釜揚げではなく天日干しなので、まずはお醤油を掛けずに召し上がってみて下さい」だって。えぇ~!? もう掛けちゃったよぉ。「えっ、掛けちゃったんですか」と店主も苦笑い。
ただ、真ん中の辺りにぶっ掛けただけだったので、周辺にはまだ醤油に侵されてない部分も残ってた。なのでまずは、そこだけ選んで頂いてみました。
あぁ~なるほど。天日干しなので潮のわずかな塩味が残ってるわけですね。それが酢飯と口の中で一体となって、何とも言えない風味を醸し出す。いやいやこれなら「最初は醤油なしで」と勧められる意味も分かるわ。最初どころか全部、そのまま頂いてもいいくらいです。
寺と一緒に時間(とき)を重ねて来たのであろうこんな店内で、美味を堪能する幸せ。厄除けじゃないけど早速、参拝のご利益がありました。
あ~美味しかった。ご馳走様っ!!
「雄寿司」の店舗情報
[住所] 東京都杉並区堀ノ内3-3-25
[電話]03-3313-1353
[休日]不定休
※新型コロナウイルス感染拡大の影響で、営業時間や定休日は異なる場合がありますので、来店の際には事前にご確認ください。
[交通]地下鉄丸の内線新高円寺駅から徒歩約13分、都バス・京王バス堀ノ内バス停から徒歩約2分
西村健
にしむら・けん。1965年、福岡県福岡市生まれ。6歳から同県大牟田市で育つ。東京大学工学部卒。労働省(現・厚生労働省)に勤務後、フリーライターに。96年に『ビンゴ』で作家デビュー。2021年で作家生活25周年を迎えた。05年『劫火』、10年『残火』で日本冒険小説協会大賞。11年、地元の炭鉱の町・大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で日本冒険小説協会大賞を受賞し、12年には同作で吉川英治文学新人賞。14年には『ヤマの疾風』で大藪春彦賞に輝いた。他の著書に『光陰の刃』『バスを待つ男』『バスへ誘う男』『目撃』など。最新刊は、雑誌記者として奔走した自身の経験が生んだ渾身の力作長編『激震』(講談社)。
※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。
画像ギャラリー