小説『バスを待つ男』や、講談社の「好きな物語と出会えるサイト『tree』」で連載中のエッセイ『日和バス 徘徊作家のぶらぶらバス旅』など、作家生活25周年を迎えた西村健さんは、路線バスをテーマにした作品の書き手としても知られています。「おとなの週末Web」では、東京都内の路線バスを途中下車してふらり歩いた街の様子と、そこで出会った名店のグルメを紹介します。
画像ギャラリー独特の雰囲気に魅了される「キング・オブ・下町」
今回は短期集中5回連載の、取り敢えずの最終回。だから、というわけではありませんが、浅草にやって来ました。
さすがは「キング・オブ・下町」。いつ来ても、独特の雰囲気に魅了されますなぁ。一昨年までは外国人観光客の姿ばかり目立ってたのが、コロナ禍以降はさすがにほとんど見掛けなくなった。一時は日本人客も激減していたんだけど、久しぶりに来てみたら結構、戻ってるみたいですね。観光名所ですもの。誰も来なくなったら商売あがったり。感染の危険は否定できないけれど、観光客の姿を見たら「やっぱりここはこうでなくっちゃ」とは純粋に感じましたね。
ただ、人通りの多い雷門前に背を向けて、私は逆方向に歩き出す。本日、乗車予定の都バス「草64」系統の乗り場はこっちだからです。
件のバスはいったん、雷門を背にして走りますがすぐに大きくUターンするように、国道6号線を北東に向かう。そして東武浅草駅前で、通称「馬道通り」に入ります。
面白い名前でしょう? 実はこれ、遊郭「吉原」に由来します。私も落語「付き馬」で得た知識なんですけどね。
蕎麦だけでは帰りたくない……そういう客を馬子が誘って
バスの発車した雷門前に伸びる道は今も街路樹が立ち並んでるけど、江戸時代から並木道として知られていた。そして、今も沿道に有名なお蕎麦屋がありますが、当時はこれまたずらりとお店が並んでたらしい。
昔の蕎麦屋さんって注文を受けてから蕎麦を打っていたので、料理が出て来るまで時間が掛かった。客はお酒を傾けながら、のんびり待ってたわけです。だから蕎麦屋は美味いつまみも用意してて、それは今も変わらない。江戸から続く素晴らしい伝統なわけですね。
さてお客は酒を呑んで太っ腹になってるから、蕎麦だけでは帰りたくない。「よぅし吉原にでも繰り出すか」となる。するとそういう客を目当てに、並木に馬をつないで馬子が待っているわけですね。誘われるままに馬に乗って、客は吉原へ行った。だからこの道を、「馬道通り」と呼ぶんですって。
「草64」系統はまさにその「馬道通り」を走って、「吉原大門(おおもん)」前を通る。せっかくだからその情緒を、片鱗くらい味わってみようという趣向だったわけです。……いえ別に、そういう遊びをしよう、ってことではないですよ。単に江戸時代のそうした文化に思いを馳せよう、ってだけですよ、念のため(汗)
現実離れした別世界と日常とを隔てる「吉原大門」
その名も、「吉原大門」バス停で途中下車。路線図の、緑色の丸で示した位置ですね、通りをちょっと先へ歩くと「吉原大門」交差点に出ます。この道を左に行くと遊郭「吉原」の入口である大門があった。
吉原では、中に入ると身分の区別が取っ払われた。武士であっても入口で刀を預けなければならず、特権は一切、認められなかった。士農工商の時代には、特異な場所だったわけです。現実離れした別世界と、日常とを隔てるのがこの「大門」だったわけですね。
ここに来たらもう一つ、見ておくべきものがある。それがこれ、「見返り柳」。
かつて吉原で遊んだ客は大門を出て現実に戻った後、この辺りで後ろ髪を引かれる思いで昨夜の楽しい時間を振り返った、という。それで目印の柳にこの名がついたわけですね。実は何代にも亘って植え替えられていて、場所も移ってるというけど、こういうのを残してくれているだけでもいいですよねぇ。昔の雰囲気をほんのちょっとでも辿れるような気分になれて。
昭和2年建築のレトロなビルを“潜って”行くと……
さて「吉原大門」のバス停に戻って先に進みます。再び「草64」系統に乗って、今度は「大関横丁」バス停で下車。これまた変わった名前だけど昔、下野国(現在の栃木県)黒羽藩の大関家の下屋敷があったことに由来してるんですって。お相撲さんが住んでいたわけじゃないんですね(笑)
ここで降りたのは都電荒川線の終点「三ノ輪橋」に行くのに最寄りだったから。これまで行き当たりばったりで店を探すことも多かったけど、今回は最初から目的地があったんです。一応、最終回ですからね。行ってみたけど外れだった、なんて展開は困るんで。
「三ノ輪橋」電停に行くにはバス停から明治通りを渡って真っ直ぐ突っ切ればいいんだけど、ちょっと遠回りしてみる。日光街道の方から停車場を目指します。
すると入口にあるのが、これ。旧王電ビルです。都電の前身である王子電気軌道の本社ビルだったもので、建てられたのは昭和2年ですって。ビルの中を潜って行く、この通路がいい感じを出してるでしょう?
で、小さな店舗の並ぶ通路を抜けると、三ノ輪橋の電停があります。いかにも終着地、というこの風情がまたたまらない。
ここで右手を見ると、こうなります。「ジョイフル三の輪商店街」。
実はこの商店街、一本道ではなくクロスしていて、交差点まで行って左手を見ると、こんな風にアーケードが長~く伸びている。
「古きよき商店街」って言葉そのものですよねぇ。地元住民の暮らしを支える店が並んでる。だからこそ通行人は引っ切りなしで、彼らの姿を避けて写真を撮るなんてムリでした。
「砂場」「藪」「更科」がお蕎麦屋さんの「御三家」
そしてそんな商店街の真ん中に、これがある。「砂場」総本家。
東京で有名なお蕎麦屋さんというと、「砂場」「藪」「更科」が「御三家」とされてますが、それぞれの元祖である「かんだやぶそば」や麻布の「更科」は有名だけど、「砂場」の方はあんまり知られてませんよね。実は、こんなところにあったんです。
何と発祥は大坂で、大坂城築城の時に資材の砂置き場だったところに蕎麦屋が店を出したことが始まり、とか。江戸時代中期にこちらに移って来、大正元年に12代目店主が現在の場所に店を出した、という。
この古い商店街の中でも一際、異彩を放つ歴史感あふれる佇まい、どうですか。実は私もあることは知ってたけど、中に入るのは、初めて。期待に胸、膨らませて入店です。
歴史があるのに飾らない これこそ老舗の余裕
店内は思ったより広かったけど、あちこちに色んなものが置かれてて、雑多な感じ。それも蕎麦にまつわるものではなく、食事にすら関係のない中身の本や、何と電車の模型まで(笑)。いつの間にかここに置かれて、そのままずっとある、ってニュアンスですね。きっと本当にそうなんでしょう。
カツカレー丼の『河金』もそうだったけど、この飾らなさがもう何とも言えない。とんでもない歴史がある店なのに、そんなのちっとも表に出さず、威張ってるところなんて微塵もない。ただ、淡々とやっているだけ。老舗の余裕なんでしょう。いや、そんなこと意識する必要すらないんでしょうね。
本当は昼間っから一杯、と行きたかったけど、コロナのせいでそれも叶わず。オーソドックスに「大もり(800円)」を注文しました。出て来たのが、これ。
はっきり言って、味は至って普通でした。でも考えてみれば、周りがこれを受け継いだからこそこの味がスタンダードになって行ったんですものね。そのことに思いが至ると、逆に気高くにすら感じられて来る。
それと特筆したいのが、蕎麦湯がとっても濃厚だったこと。飲むと、茹でられた蕎麦の滋味が身体の隅々に沁み込んで行くよう。あぁ、これは健康によさそうだわ。
時間の流れが明らかに外とは違う店内で、大自然の恵みを満喫する。何という贅沢なひと時でしょう。おまけに順番は逆になったけど、蕎麦と吉原という「付き馬」の世界を辿ることもできたし、ね。
これでお酒が呑めれば何も言うことはなかったのに、なぁ。コロナめ! まぁ収まったら、また来ればいいだけの話ですね。
冒頭にも言いましたように、短期連載は取り敢えず今回で終わり。ただ、ちょっとお休みを頂いて、すぐまた再開します。
その日まで……
「砂場」総本家の店舗情報
[住所] 東京都荒川区南千住1-27-6
[電話]03-3891-5408
[営業時間]10時半~20時(2021年8月時点で、11時~17時)
[休日]木曜(2021年8月時点で、休日は水曜・木曜)
※新型コロナウイルス感染拡大の影響で、営業時間や定休日は異なる場合があります。事前にお店にご確認ください。
[交通]都電荒川線三ノ輪橋停留所から徒歩2分、地下鉄日比谷線三ノ輪駅から徒歩6分
西村健
にしむら・けん。1965年、福岡県福岡市生まれ。6歳から同県大牟田市で育つ。東京大学工学部卒。労働省(現・厚生労働省)に勤務後、フリーライターに。96年に『ビンゴ』で作家デビュー。2021年で作家生活25周年を迎えた。05年『劫火』、10年『残火』で日本冒険小説協会大賞。11年、地元の炭鉱の町・大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で日本冒険小説協会大賞を受賞し、12年には同作で吉川英治文学新人賞。14年には『ヤマの疾風』で大藪春彦賞に輝いた。他の著書に『光陰の刃』『バスを待つ男』『バスへ誘う男』『目撃』など。最新刊は、雑誌記者として奔走した自身の経験が生んだ渾身の力作長編『激震』(講談社)。
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