寿司屋の親父のひとり言

「寿司屋の親父のひとり言」第12回「板前の一日」

東京の下町・門前仲町の『すし三ツ木』店主・三ツ木新吉さんは、2022年で74歳。中学入学と同時に稼業の寿司屋を手伝い始め、板前稼業もかれこれ60年。日本が大阪万国博覧会で沸いていた昭和45(1970)年に、深川不動尊の参道に開店した店は52周年を迎える。昭和の名店と謳われた京橋与志乃の吉祥寺店で厳しく仕込まれた腕は確かだが、親父さんのモットーは気取らないことと下町値段の明朗会計。昔ながらの江戸弁の洒脱な会話が楽しみで店を訪れる常連も多い。そんな親父さんが、寿司の歴史、昭和の板前修業のあれこれから、ネタの旬など、江戸前寿司の楽しみ方を縦横無尽に語りつくします。 第12回は、寿司屋の板前さんの標準的な一日について、親父さんに伺いました。開店までの時間、板さんたちはどんな準備をしているのでしょうか。

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「板前の一日」

「代議士になったら井戸と塀しか残らない」

下町のオヤジが偉そうなことを言うようで気が引けますが、コロナ禍での自粛生活が2年以上も続き、そのうえ、ウクライナで戦争まで始まって、世の中、不景気と物価高で、国民は青息吐息だというのに、政治家も官僚も一向に頼りになりません。結局、御身大事、自分のことばかり考えているからこういうことになるんですね。

私らの若い時分には、「代議士になったら井戸と塀しか残らない」なんて言われたものです。もちろん、そんな政治家ばかりじゃないことは百も承知、実際は金のことしか考えていない輩も少なくありません。それでも政治を志そうっていう人間は、私腹を肥やさず、万民のために尽くすものだということを誰もが疑いなく信じていました。だから、政治家を見る目も厳しかったんです。

今の人たちは大人しいですね。私が若かった頃の60年代、70年代なんて、安保闘争や学生運動華やかなりし時代でね。学生が騒ぎまくっていました。行き過ぎたところはあったかもしれませんが、少なくとも皆で考えようという雰囲気がありました。

政治が悪いとか言っても、選んだ私たちの責任なんです。だから無関心でいられないというか、いてはいけないものなんです。

ところが今の時代は違うようで、サラリーマンのお客さんに話を聞いても、選挙に行ってない人が驚くほど多い。それじゃあ、文句を言うことはできません。やるべきことをやって、言うべきことを言いたいじゃありませんか。

朝起きたらまずは魚河岸へ

いい年をこいてつい頭に血が上っちまいました。カッカしても景気が悪くても、店を開けてお客さんをもてなすのが、私ら板前の仕事。いつものように朝起きれば、ションベンして歯磨いて、雨が降ろうが槍が降ろうが豊洲の魚河岸にバイクを走らせます。どんなに前の晩が遅くても、河岸に入ればシャキッとするのは修業時代からのこと。こうして、板前の一日は始まります。河岸で海千山千の仲買人と交渉して、仕入れた魚は「茶屋」と呼ばれる一時保管所に一旦預けられ、そこから店に運ばれます。

その間、若い衆は店の掃除をして私が河岸から上がる(帰る)のを待っています。私が店に上がれば仕込みの開始です。

ご飯を炊いて、シャリ切りをして、ネタを仕込む。準備ができたら暖簾を出して開店です。昔は夕方までの空いた時間をみつけて出前の桶を下げに行ったものですが、最近は出前をする店も少なくなって、休憩があるからずい分と楽になりました。

日が落ちた頃からお客さんがやってきて、愚痴を聞いてあげたり愚痴ってみたり。ときにはヨイショして盛り上げ、最後は「明日も頑張って」と送り出す。店を閉めたら、今度は自分で自分に「頑張って」と言わねばということで街に繰り出すわけです。

三種の包丁は毎日研ぐ

板前の仕事に、難しい、易しいの違いはありません。すべては基本がしっかりできているかどうかに懸かっています。

それにしても最近は便利になったものです。ご飯を炊くときも、炊飯器があるから水加減さえキッチリできていれば失敗することはありません。昔と違って米のヌカが少ないから4、5回も研げば十分です。

炊き上がったシャリは、水気をよく拭き取ったシャリ鉢で手早くシャリ切りをします。シャリ切りというのは、ご飯に酢を回し掛けながらしゃもじで切るようにして合わせることです。米の一粒一粒に酢を行き渡らせるのがコツで、ここで手を抜くと米が団子になってボソボソになるから気をつけなくてはいけません。私の若い時分には、シャリが団子にでもなっていようものなら親方に本気でぶっ飛ばされたものです。

刀が武士の魂であるように、板前にとって包丁は命同様大事なものです。私の場合、刺身包丁、柳刃包丁、出刃包丁の三つを使っています。それぞれ使いみちが違いますが、重要なのは包丁を研ぐということ。

親父さんが愛用する柳葉包丁と出刃包丁。

板前の使う包丁は裏面が平らの片刃と呼ばれるタイプで、研ぐときの基本は「裏刃一、表刃九」。はじめに裏刃を軽く研いで平らにします。次に、表刃に返し、丁寧に刃先が真っ直ぐになるように研いでいきます。左手の親指の爪に刃を当て、引っ掛かって動かなければ研ぎ上がった証拠です。

包丁は毎日、河岸から上がった後で研ぎます。1日でもサボれば、切れ味は落ちますからね。包丁の寿命は、私の場合で5年くらいでしょうか。値段は5万円くらいのものが使いやすいですかね。この包丁1本で稼ぎ出す額は……おっと、せっかくの話が銭金で終わっちゃ台無しです。

(本文は、2012615日刊『寿司屋の親父のひとり言』に加筆修正したものです)

この店からも何人もの弟子が巣立っていきました。

すし三ツ木

住所:東京都江東区富岡1‐13‐13
電話:03‐3641‐2863
営業時間:11時半~13時半、17時~22時
定休日:第3日曜日、月曜日
交通:東西線門前仲町駅1番出口から徒歩1分

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