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「板前の一日」

「代議士になったら井戸と塀しか残らない」

下町のオヤジが偉そうなことを言うようで気が引けますが、コロナ禍での自粛生活が2年以上も続き、そのうえ、ウクライナで戦争まで始まって、世の中、不景気と物価高で、国民は青息吐息だというのに、政治家も官僚も一向に頼りになりません。結局、御身大事、自分のことばかり考えているからこういうことになるんですね。

私らの若い時分には、「代議士になったら井戸と塀しか残らない」なんて言われたものです。もちろん、そんな政治家ばかりじゃないことは百も承知、実際は金のことしか考えていない輩も少なくありません。それでも政治を志そうっていう人間は、私腹を肥やさず、万民のために尽くすものだということを誰もが疑いなく信じていました。だから、政治家を見る目も厳しかったんです。

今の人たちは大人しいですね。私が若かった頃の60年代、70年代なんて、安保闘争や学生運動華やかなりし時代でね。学生が騒ぎまくっていました。行き過ぎたところはあったかもしれませんが、少なくとも皆で考えようという雰囲気がありました。

政治が悪いとか言っても、選んだ私たちの責任なんです。だから無関心でいられないというか、いてはいけないものなんです。

ところが今の時代は違うようで、サラリーマンのお客さんに話を聞いても、選挙に行ってない人が驚くほど多い。それじゃあ、文句を言うことはできません。やるべきことをやって、言うべきことを言いたいじゃありませんか。

朝起きたらまずは魚河岸へ

いい年をこいてつい頭に血が上っちまいました。カッカしても景気が悪くても、店を開けてお客さんをもてなすのが、私ら板前の仕事。いつものように朝起きれば、ションベンして歯磨いて、雨が降ろうが槍が降ろうが豊洲の魚河岸にバイクを走らせます。どんなに前の晩が遅くても、河岸に入ればシャキッとするのは修業時代からのこと。こうして、板前の一日は始まります。河岸で海千山千の仲買人と交渉して、仕入れた魚は「茶屋」と呼ばれる一時保管所に一旦預けられ、そこから店に運ばれます。

その間、若い衆は店の掃除をして私が河岸から上がる(帰る)のを待っています。私が店に上がれば仕込みの開始です。

ご飯を炊いて、シャリ切りをして、ネタを仕込む。準備ができたら暖簾を出して開店です。昔は夕方までの空いた時間をみつけて出前の桶を下げに行ったものですが、最近は出前をする店も少なくなって、休憩があるからずい分と楽になりました。

日が落ちた頃からお客さんがやってきて、愚痴を聞いてあげたり愚痴ってみたり。ときにはヨイショして盛り上げ、最後は「明日も頑張って」と送り出す。店を閉めたら、今度は自分で自分に「頑張って」と言わねばということで街に繰り出すわけです。

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おとなの週末Web編集部 今井
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