「誰もが最高だと感じる味などありゃしない」
山の手と下町のギャップに悩んだ開店当時
昭和45(1970)年、大阪万国博覧会で日本中が沸き立っている最中に店を持って52年。振り返ってみれば、あっという間ですが、開店した頃はずいぶん悩みました。
私が修業した店は、江戸前寿司では五指に数えられた「京橋与志乃(きょうばし よしの)」の吉祥寺支店で、腕は一流、ネタも一流。作家や画家といった文化人が多く住むお屋敷町を抱えた土地柄ですから、それなりのお勘定をいただいていました。
ところが、店を持った深川は、下町の代表のような所ですから、気さくで気取らない分、値段も手ごろです。当然、前の店のような金額はいただけませんから、高い魚は買えない。どうしよう、どうしようと頭を抱える毎日でした。悩みぬいた末のある日、すぽんと結論は出ました。
自分は、親方の斉藤実さんに、仕込みのイロハから様々な応用の仕方、本手返しのきれいな握り方といった古くから伝わる江戸の寿司職人の技を徹底的に仕込まれている。だったら、自分の店の売上に合った魚を買ってきて、きちんと仕事をすればいいじゃないか。言葉は悪いですが、お客様を上手に騙(だま)せばいいと気づきました。
まずは素材へのこだわりを捨てた
江戸前の穴子にこだわるより常磐(じょうばん/茨城県産)の穴子を、生の本鮪(ほんまぐろ)より冷凍を、天然の鯛ではなく養殖でいい。だますと言っても、それは、冷凍や養殖のネタでも旨さをきちんと引き出す仕事をするということであって、聞かれれば、これは冷凍です、養殖ですと正直にお答えしています。
また、魚は自然界からの恵みです。東京は穏やかな日が続いていても、産地の海が荒れれば漁師さんも船は出せず、魚の値はグンと上がります。私の店では30年以上前からメニューに一貫いくらと表示してあるので、こういうときはたいへんです。赤字覚悟で仕入れることもありますが、とても手が出ない値段になることもあるし、まったく手に入らないこともあります。当然、お客さんはそんなことはご存じありませんから注文なさる。そういうときは、正直に「ないんです」とお伝えするようにしています。
2011年の東日本大震災の直後や今回のコロナ禍でもそうでしたが、お客様が少ない日が続くときもあります。魚は残ってしまいますが、捨てるのは忍びない。なんとか美味しく保存できないかと一生懸命工夫します。酢漬(すづ)けにする、煮る、焼く。
そうこうしているうちに、こだわりはもっとなくなっていき、お客様がする食べ物の話をよく聞くようになりました。どこそこではこうして食べるとか、あそこではこんなやり方だったとか。さすが魚の国・日本。聞けば聞くほど面白い食べ方がありますね。