1969年、埼玉・所沢での合宿 1969年になるとPANTAは自分のバンドを組みたいと思い始めた。生まれ故郷の埼玉県所沢で合宿をすると打ちあけられた。お前も参加しないかと誘ってくれたが、ギター演奏に自身の無かったぼくは断…
画像ギャラリー国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。今回から、ロックバンド「頭脳警察」のPANTAを取り上げます。1969年に、TOSHI(パーカッション)らと4人編成で頭脳警察を結成。2022年は、発売禁止になった幻のデビューアルバム『頭脳警察1』(1972年)から50年となります。筆者は、PANTAと同い年で、付き合いは50年以上に及ぶ親友です。メディア側では本人を最もよく知る存在と言っていいでしょう。貴重なエピソードの数々にご期待ください。
日本のロック・シーンに与えた影響
この連載では誰もが知っているミュージシャンを紹介しているかも知れない。例えば、ユーミン、沢田研二などといったミュージシャンは、その音楽を良く知らなくとも、その名前は知っているという方は多いだろう。
今回、紹介するPANTA(パンタ)は、彼が1969年に結成したバンド、頭脳警察を含めて、その名を初めて聞いたという方もいると思う。では単なる無名のミュージシャンかというとそうでもない。彼が日本の音楽シーン、特にロック・シーンに与えた影響は大きい。例えばPANTA及び頭脳警察の音楽のファンだったサザンオールスターズの桑田佳祐は、PANTAへのオマージュを込めて、自身が監督した映画『稲村ジェーン』に出演を依頼した。
ぼくは多分、職業柄なのだがミュージシャンと深く付き合うことが殆ど無い。ミュージシャンはあくまで取材対象であって、友人とは言えないと思っている。それでも、いわゆる“気が合う”とかいうやつで、ごくたまに私的な付き合いが始まることもある。
ぼくにとってのPANTAは私的な存在を超えているかも知れない。と言うのは、ぼくがPANTAと出逢ったのは、18歳の秋だったからだ、その頃のぼくは音楽と文学の好きな、将来など考えたこともない、その日暮らしのプータローだった。PANTAは学年こそ早生まれなので一級上になるが、同じ1950年生まれの同い年だった。
GS予備軍のひとり
出逢いの場所は夜の赤坂3丁目。「樽小屋」という夕暮れ時から朝の5時過ぎまでオープンしている小さな酒場だった。ぼくはそこでアルバイトをしていた。客として通って来たのがPANTAだった。その頃は、やや下り坂に差し掛かってはいたが、GS~グループ・サウンズの時代だった。ルックスの良かったPANTAは、さる大手プロダクションに所属するGS予備軍のひとりだった。待機バンドという言葉があった。ある人気GSバンドのメンバーが不祥事などを起こしてしまうと、バンドを首になる。その替わりに待機バンドのメンバーが格上げされる。そんな仕組みだった。
まだピンク・フロイドは『狂気』(1973年)を発表していなかったし、レッド・ツェッペリンもレコード・デビューしていなかった。エリック・クラプトンの所属していたクリームなどのヒットによって、ようやくロックという言葉、ジャンルが日本では一部の音楽ファンに認知され始めた頃だった。
待機バンドに疲れたPANTAは自分の詩に曲をつけ始めていた。まだギターが充分に弾けていなくて、ぼくがいくつかのコードを教えたこともある。左利きのPANTAが器用にぼくの右利き用のギターを弾いていたことを今でも昨日のように思い出す。
1969年、埼玉・所沢での合宿
1969年になるとPANTAは自分のバンドを組みたいと思い始めた。生まれ故郷の埼玉県所沢で合宿をすると打ちあけられた。お前も参加しないかと誘ってくれたが、ギター演奏に自身の無かったぼくは断った。もし、この時にPANTAの誘いに応じていたら、自分の人生はどうなったかなと時々考えたこともあった。
2003年にぼくがプロデュース、インタビューを行った『頭脳警察(パンタ&トシ)~スタジオライブ&インタヴュー』というDVDが発売された。その中でPANTAは、“この席~ミュージシャンの席~にお前が座って、インタビュアーの席に俺が座っていたかも知れない”と語っていた。
所沢にて合宿を始める前にPANTAは“過去の歴史から俺達は飛び出さなければ…”と言っていた。ある時期、学生運動とも深く関わり、ある時期、いわゆるザ・芸能界の音楽とも深くかかわったPANTAのこの言葉は、彼のその先の人生への決め文句だった気がする。そして所沢に戻ったPANTAは頭脳警察を結成して、シーンに帰って来た。
2020年代の現在、J-POPとかJ-ROCKという言葉が当たり前のように使われている。そのルーツは今から50年以上前に結成された頭脳警察、その後に形となった大滝詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂によるはっぴいえんどに遡る。このふたつのバンドが誕生したからこそ、J-POPの今があるのは間違いない。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)