浅田次郎の名エッセイ

「勇気凜凜ルリの色」セレクト(32)「巨頭について」

1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第32回。作家には驚異的ともいえる身体的特徴があった。人並み外れてデカいその身体的特徴をめぐる悲哀こもごものエピソード……。

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巨頭について

合う帽子が有名百貨店にもない!

私は巨頭である。

もちろん偉いわけではない。頭がデカい。

どのくらいデカいかというと、実寸で62センチある。ということは、既製品の帽子は伸縮自在のニット以外かぶることができず、「フリーサイズ」なんて曖昧な表示のものもまったく受けつけない。

いっけんしてそんなにヒドく見えないのは、頭蓋の形が左右に狭く前後に厚いからで、つまり横顔を見れば誰でもこの数字をてきめんに理解する。

まずいことには近ごろその巨頭がすっかりハゲて、社交上もしくは防暑防寒上のつごうにより、帽子を必要とするようになった。

そこでデパートに行き、「ちょっと頭がデカいんですけど、あるかな」と、恥じ入りながら訊けば、見た目がそんなでもないものだから、売り子はタカをくくって微笑み、ころあいとおぼしき帽子を勧める。もとより既成品のLLサイズが60センチどまりであるということは長年の経験により知っている。

しかし一縷の望みをこめて冠る。当然帽子は、私の巨頭の上にさながら正月のおそなえのように乗っかる。

哀しいことには、例年この季節になると、必ずデパートの帽子売り場に行って、この虚しい儀式をくり返してしまうのである。

過日、文学賞の祝儀に貰った商品券を使おうと某有名百貨店に行き、めでたく本年の儀式をおえた。

ちと心外であったのは、若く調子の良い売り子が、躊躇する私に何とか売りつけようとして、「だいじょうぶですよ、これが入らなけりゃおかしいですよ。ほら、ここにゴムもついてるんですから」などと、断定的に強要したのである。なるほどこれなら大丈夫かも知れんと思い、グイと冠ったとたん、ゴム付きの帽子は天高くはじけ飛んだのであった。

あまりのおかしさに売り子はゲラゲラと笑い、私も恥ずかしいやらおかしいやらで笑った。しかし、考えてみれば笑いごとではない。

62センチの帽子が有名百貨店にないということは、私は異状な人間なのである。

母に訊ねたら、生まれたときはそうでもなかったのだけれど、体が育たぬわりに頭ばかりがどんどんデカくなって、一時はどうなることかと気を揉んだそうである。

まあふつうになって良かったわ、と母は言ったが、これもデパートの売り子と同様、実態に気付いていない。そのうち一緒に帽子を買いに行き、責めてやろうと思う。

子供のころは大人の帽子を冠れば良かったので不自由はなかった。初めてこりゃいかんと思ったのは中学に入ったときで、そのころには頭も現在の大きさに成長しきっていたから、当然制帽のサイズがなかった。とりあえず特大サイズを買って、母と2人で頭を悩ました結果、帽子の裏側についている汗とりの布をはさみで切り、芯を抜きとって何とか改造に成功した。以来その帽子は高校を卒業するまで6年間かぶり続けた。

自衛隊入隊直後に悲劇は起こった

私の巨頭に最大の試練が科せられたのは、自衛隊入隊に際してであった。

自衛隊は常に帽子を冠らねばならない。制帽、作業帽、ヘルメット、鉄帽、運動帽、その他特殊なかぶり物もいろいろとある。志願をしたそのときには、まさかそこまで考えは及ばなかった。

教育隊に入隊してすぐ、被服の受領があった。制服も現在のそれのようにスマートなものではなく、紺色のぶ厚いウール地であった。

「大きめを受領せよ。あとは体がついてくる」

とか、補給陸曹は言った。それはそれで良い。鍛えられて筋肉がつけば、ダブダブの制服も似合うようになるだろう。しかし、どう捜しても、帽子がない。

おろおろと帽子を捜しあぐねる私に向かって、補給陸曹は言った。

「特大ってのがあるだろ。60センチの帽子が入らなけりゃバケモノだぞおまえ」

私はバケモノであった。人間なら誰でも冠れるはずの特大帽を冠ってみれば、まあ乗っかることは乗っかるのだが、庇が下がらない。どう見ても共産軍ふうである。

次にヘルメットを冠ってみると、これはもっと悪い。内側に緩衝のためのベルトが組んであるから、冠ったとたんに正月のおそなえ餅のような有様になった。

そこであわてた補給陸曹は、おそなえ餅を頭に乗せた新隊員を教育隊の事務室に連れて行った。

自衛隊の事務室というのはどこでも同じだが、鬼のような先任陸曹を上座にしてコの字形に机が並び、百戦錬磨といった感じの下士官がズラリと座っている。補給陸曹にしてみれば、こういう情況は口で説明するのも難しいから、現物を連れて行って意見を求めよう、ということであったらしい(いま思い出して気付いたのだけれど、もしかしたらあんまり面白いからみんなに見せてやろう、ということであったのかもしれない)。

いずれにせよ、扉を開けて私が直立不動の姿勢をとったとき、事務所にはドッと爆笑が起こった。気持はわかる。ダブダブの作業服を着た新隊員の頭に、正月のおそなえ餅のごときヘルメットが乗っているのである。

しかしまあ、当の本人にしてみれば志願して自衛隊になんぞ入ったからには、それ相応の深く悲しい事情もあるわけで、この期に及んで巨頭に合うヘルメットがなく、おそなえ餅のみじめな姿を笑われるのは辛い。

先任陸曹は戦に勝ってもそうまではすまいと思われるほど、ガッハッハと大声で笑いながら、私を中隊長室に連れて行った。

中隊長ドノは部内幹候の一等陸尉で、つまり昔ふうに言うなら一兵卒から叩き上げた陸軍大尉で、とても謹厳な、実直な人物であった。

「ガッハッハッ、中隊長、ごらん下さい。これですよ、これ」

中隊長は背筋を凛と伸ばして、面白くもおかしくもない軍人の顔で書類を読んでいた。「ン?」と、目を上げたとたん、中隊長は謹厳な表情がブッこわれる感じで大笑いをした。私はつくづく、やっぱり自衛隊なんぞに入らず、ヤクザになれば良かったと思った。

中隊長はさんざ笑いおえると元の謹厳な顔に戻り、

「信じられん。こういう前例はまったくない。ともかく補給陸曹とよく相談をして、君も努力するように」

というようなことを言った。

相談すると言ってもいったい何を相談すりゃいいんだか、ましてや努力しろと言われたって、できる努力とできない努力はある。

結局私はその夜、たまたま当直であった補給陸曹と営内班長との3人であれこれと考え、できる限りの「努力」をした。

「おまえ、高校のときはどうしてたんだ」

と、やさしい営内班長は何だか切実な感じで訊ねた。

「ええと、この裏側の芯を抜いて、裏地もぜんぶ破いちゃってですね、汗取りも切り取っちゃえば何とか入ると思いますけど」

「いかん、それはいかんぞ。官品を勝手に傷つけてはならん。これは国民の血税だ」

と、補給陸曹は言った。昔ならば「天皇陛下から下賜されたもの」なのであろう。つまり軍人はそういう理由をつけて、装具を大切にし、軍費を節約してきたのにちがいない、と思った。

3人は長らくいじましい議論をした結果、「満期除隊のときに現状に復することのできる程度の改造」をしよう、ということになった。

ものすごく悲しい気分だった。栄夜灯の下にしゃがんで消灯ラッパを聴きながらタバコを喫っていると、営内班長がやってきて、自衛隊に志願したいきさつを訊ねた。

かくかくしかじか、話せば長いことながら、私は愚痴とも懺悔ともつかぬありのままを語った。本当は小説家になりたいと他人に告白したのは、そのときが初めてだったと思う。

翌朝、補給陸曹が夜なべで改造してくれた帽子が、ベッドの枕元に置いてあった。後頭部を切ってゴムを縫いつけた制帽は、頭でっかちの私の巨頭をふしぎなぐらいにすっぽりと被った。

(初出/週刊現代1995年7月1日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『きんぴか』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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