巨頭について
合う帽子が有名百貨店にもない!
私は巨頭である。
もちろん偉いわけではない。頭がデカい。
どのくらいデカいかというと、実寸で62センチある。ということは、既製品の帽子は伸縮自在のニット以外かぶることができず、「フリーサイズ」なんて曖昧な表示のものもまったく受けつけない。
いっけんしてそんなにヒドく見えないのは、頭蓋の形が左右に狭く前後に厚いからで、つまり横顔を見れば誰でもこの数字をてきめんに理解する。
まずいことには近ごろその巨頭がすっかりハゲて、社交上もしくは防暑防寒上のつごうにより、帽子を必要とするようになった。
そこでデパートに行き、「ちょっと頭がデカいんですけど、あるかな」と、恥じ入りながら訊けば、見た目がそんなでもないものだから、売り子はタカをくくって微笑み、ころあいとおぼしき帽子を勧める。もとより既成品のLLサイズが60センチどまりであるということは長年の経験により知っている。
しかし一縷の望みをこめて冠る。当然帽子は、私の巨頭の上にさながら正月のおそなえのように乗っかる。
哀しいことには、例年この季節になると、必ずデパートの帽子売り場に行って、この虚しい儀式をくり返してしまうのである。
過日、文学賞の祝儀に貰った商品券を使おうと某有名百貨店に行き、めでたく本年の儀式をおえた。
ちと心外であったのは、若く調子の良い売り子が、躊躇する私に何とか売りつけようとして、「だいじょうぶですよ、これが入らなけりゃおかしいですよ。ほら、ここにゴムもついてるんですから」などと、断定的に強要したのである。なるほどこれなら大丈夫かも知れんと思い、グイと冠ったとたん、ゴム付きの帽子は天高くはじけ飛んだのであった。
あまりのおかしさに売り子はゲラゲラと笑い、私も恥ずかしいやらおかしいやらで笑った。しかし、考えてみれば笑いごとではない。
62センチの帽子が有名百貨店にないということは、私は異状な人間なのである。
母に訊ねたら、生まれたときはそうでもなかったのだけれど、体が育たぬわりに頭ばかりがどんどんデカくなって、一時はどうなることかと気を揉んだそうである。
まあふつうになって良かったわ、と母は言ったが、これもデパートの売り子と同様、実態に気付いていない。そのうち一緒に帽子を買いに行き、責めてやろうと思う。
子供のころは大人の帽子を冠れば良かったので不自由はなかった。初めてこりゃいかんと思ったのは中学に入ったときで、そのころには頭も現在の大きさに成長しきっていたから、当然制帽のサイズがなかった。とりあえず特大サイズを買って、母と2人で頭を悩ました結果、帽子の裏側についている汗とりの布をはさみで切り、芯を抜きとって何とか改造に成功した。以来その帽子は高校を卒業するまで6年間かぶり続けた。