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自衛隊入隊直後に悲劇は起こった

私の巨頭に最大の試練が科せられたのは、自衛隊入隊に際してであった。

自衛隊は常に帽子を冠らねばならない。制帽、作業帽、ヘルメット、鉄帽、運動帽、その他特殊なかぶり物もいろいろとある。志願をしたそのときには、まさかそこまで考えは及ばなかった。

教育隊に入隊してすぐ、被服の受領があった。制服も現在のそれのようにスマートなものではなく、紺色のぶ厚いウール地であった。

「大きめを受領せよ。あとは体がついてくる」

とか、補給陸曹は言った。それはそれで良い。鍛えられて筋肉がつけば、ダブダブの制服も似合うようになるだろう。しかし、どう捜しても、帽子がない。

おろおろと帽子を捜しあぐねる私に向かって、補給陸曹は言った。

「特大ってのがあるだろ。60センチの帽子が入らなけりゃバケモノだぞおまえ」

私はバケモノであった。人間なら誰でも冠れるはずの特大帽を冠ってみれば、まあ乗っかることは乗っかるのだが、庇が下がらない。どう見ても共産軍ふうである。

次にヘルメットを冠ってみると、これはもっと悪い。内側に緩衝のためのベルトが組んであるから、冠ったとたんに正月のおそなえ餅のような有様になった。

そこであわてた補給陸曹は、おそなえ餅を頭に乗せた新隊員を教育隊の事務室に連れて行った。

自衛隊の事務室というのはどこでも同じだが、鬼のような先任陸曹を上座にしてコの字形に机が並び、百戦錬磨といった感じの下士官がズラリと座っている。補給陸曹にしてみれば、こういう情況は口で説明するのも難しいから、現物を連れて行って意見を求めよう、ということであったらしい(いま思い出して気付いたのだけれど、もしかしたらあんまり面白いからみんなに見せてやろう、ということであったのかもしれない)。

いずれにせよ、扉を開けて私が直立不動の姿勢をとったとき、事務所にはドッと爆笑が起こった。気持はわかる。ダブダブの作業服を着た新隊員の頭に、正月のおそなえ餅のごときヘルメットが乗っているのである。

しかしまあ、当の本人にしてみれば志願して自衛隊になんぞ入ったからには、それ相応の深く悲しい事情もあるわけで、この期に及んで巨頭に合うヘルメットがなく、おそなえ餅のみじめな姿を笑われるのは辛い。

先任陸曹は戦に勝ってもそうまではすまいと思われるほど、ガッハッハと大声で笑いながら、私を中隊長室に連れて行った。

中隊長ドノは部内幹候の一等陸尉で、つまり昔ふうに言うなら一兵卒から叩き上げた陸軍大尉で、とても謹厳な、実直な人物であった。

「ガッハッハッ、中隊長、ごらん下さい。これですよ、これ」

中隊長は背筋を凛と伸ばして、面白くもおかしくもない軍人の顔で書類を読んでいた。「ン?」と、目を上げたとたん、中隊長は謹厳な表情がブッこわれる感じで大笑いをした。私はつくづく、やっぱり自衛隊なんぞに入らず、ヤクザになれば良かったと思った。

中隊長はさんざ笑いおえると元の謹厳な顔に戻り、

「信じられん。こういう前例はまったくない。ともかく補給陸曹とよく相談をして、君も努力するように」

というようなことを言った。

相談すると言ってもいったい何を相談すりゃいいんだか、ましてや努力しろと言われたって、できる努力とできない努力はある。

結局私はその夜、たまたま当直であった補給陸曹と営内班長との3人であれこれと考え、できる限りの「努力」をした。

「おまえ、高校のときはどうしてたんだ」

と、やさしい営内班長は何だか切実な感じで訊ねた。

「ええと、この裏側の芯を抜いて、裏地もぜんぶ破いちゃってですね、汗取りも切り取っちゃえば何とか入ると思いますけど」

「いかん、それはいかんぞ。官品を勝手に傷つけてはならん。これは国民の血税だ」

と、補給陸曹は言った。昔ならば「天皇陛下から下賜されたもの」なのであろう。つまり軍人はそういう理由をつけて、装具を大切にし、軍費を節約してきたのにちがいない、と思った。

3人は長らくいじましい議論をした結果、「満期除隊のときに現状に復することのできる程度の改造」をしよう、ということになった。

ものすごく悲しい気分だった。栄夜灯の下にしゃがんで消灯ラッパを聴きながらタバコを喫っていると、営内班長がやってきて、自衛隊に志願したいきさつを訊ねた。

かくかくしかじか、話せば長いことながら、私は愚痴とも懺悔ともつかぬありのままを語った。本当は小説家になりたいと他人に告白したのは、そのときが初めてだったと思う。

翌朝、補給陸曹が夜なべで改造してくれた帽子が、ベッドの枕元に置いてあった。後頭部を切ってゴムを縫いつけた制帽は、頭でっかちの私の巨頭をふしぎなぐらいにすっぽりと被った。

(初出/週刊現代1995年7月1日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『きんぴか』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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おとなの週末Web編集部 今井
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