ステージでも、CDやレコードと同じキーで 努力家という点では彼女の魅力のひとつである歌に於いても同様だ。歌い手には固有のキーがある。上限のキーを半音上げたり、下限のキーを半音下げたりするのは、並大抵のことではない。キーが…
画像ギャラリー国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。中島みゆきの第6回は、レコード制作、ライヴに臨むプロ意識についての関係者たちの証言です。筆者が“超努力家”と賛辞を贈るこのシンガー・ソングライターの興味深い横顔です。
“音質”にまでこだわる姿勢
昭和の3大女性シンガー・ソングライターは、松任谷由実、竹内まりや、中島みゆきだと思う。ユーミンには松任谷正隆、竹内まりやには山下達郎というプロデューサーがいる。対して、中島みゆきはほとんどのアルバムを自分でプロデュースしている。ある時期から瀬尾一三(いちぞう)との共同プロデュースとなったが、ユーミンや竹内まりや以上に深く制作に係わってきた。
かって、中島みゆきと深く係わったベーシスト/プロデューサーの後藤次利に、彼女の制作現場の話を訊いたことがある。それによると若い頃から中島みゆきは、アレンジ、エンジニアリングなどを熱心に学んでいたという。この曲のアレンジをこうして欲しいとか、歌入れが終わった後のミックスダウンにも自分の意見を述べていた。
1970年代、中島みゆきの制作現場でエンジニアを務めた吉野金次(きんじ)も同様のことを言っていた。吉野金次は、はっぴいえんど、沢田研二、矢野顕子などを手掛けた。日本のロック/ポップスの音を創ったルーツ・エンジニアといえる大御所だ。作詞・作曲、歌唱だけではなく、ファンに届ける“音質”にまで中島みゆきは深くこだわっているのだ。
NHK紅白での歌詞間違い
現在の中島みゆきの堂々たるステージでの歌いっぷりからは想像できないが、ごく初期のライヴに於いて、最初の1、2曲目は音程を外すこともあった。多くのステージでは、2回ベルが鳴る。最初のベルは、そろそろライヴが始まるので席に着くようにという合図。2回目のベルはライヴ開始を告げる。中島みゆきはかって、“2ベルのみゆき”と年上のスタッフから呼ばれていたことがあった。
“そうだったのよね。1ベルが鳴ると心臓がバクバクして、トイレに駆け込むのよ。で、座って2ベルを待つんだけど、とにかくあがり症だったのね”
2002年、NHK紅白歌合戦に中島みゆきは出演した。彼女の歌唱はホールからではなく、黒部ダムからの生中継だった。曲は「地上の星」。ライヴ、一発中継の生放送で中島みゆきは2番の歌詞を間違えたのだ。ぼくはそれを観ていて、デビュー当時の彼女を思い出した。
中島みゆきは本当は繊細かつ弱い一面も持っている。だから、弱さを克服すべく、ライヴやレコード制作に完全を期するのだ。ライヴに於ける本番に向けてのリハーサル時間の長いことでも知られている。中島みゆきは“超努力家”なのだ。プロであることに徹しているのだ。
ステージでも、CDやレコードと同じキーで
努力家という点では彼女の魅力のひとつである歌に於いても同様だ。歌い手には固有のキーがある。上限のキーを半音上げたり、下限のキーを半音下げたりするのは、並大抵のことではない。キーが広がれば、より歌をアッピールでき、表現力が上がるのだ。その両方、上限のキーを半音上げ、下限のキーを半音下げることを中島みゆきは30歳過ぎてからやってのけた。
このことに関して、かって中島みゆきは性差別に当たるのでここでは記せないが、信じられないほどの大胆な発言をぼくに訊かせてくれたことがある。それは彼女の本物のアーティストであることの執念を感じさせるものだった。
この執念はステージでも結実している。かなりのシンガーは高いキーの歌をレコーディングでは何とか歌い切る。それはレコーディング現場では、パンチイン・パンチアウトと言って歌唱の編集も出来るからだ。が、ステージでは1曲を歌い切らなければならない。結果、そういった曲は半音下げて歌うことも多い。手抜きでは無いが、高音部の声を出し切れなかった時の対策なのだ。しかし、中島みゆきはそういった安全策は選ばない。ステージでもきちんとCDやレコードと同じキーで歌うのだ。
2020年1月、中島みゆきは“ラストツアー”と銘打った全国ツアーを開始した。計24公演の予定だったが、新型コロナのために8公演のみであとは中止となった。ぼくにとっては妖精のように思えた少女だった中島みゆきももう70歳。今後は不定期開催でライヴを行うという噂もあるが、本人からの発表はない。これは個人的な推測だが、“完全”をファンに提供できにくくなったので、大規模ツアーは行わないという意味ではないかと思っている。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。