1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第47回。男女が愛を語らうシーンを書くことを頑に避け続けてきた作家が、ある編集者の強烈な一撃で背中をおされた顛末について。
画像ギャラリー「恋愛について」
取材旅行先に現れたラスボス女性編集者
このテーマは、私が小説家である以上まっさきに書かねばならなかったものなのだが、何度か考えては躇(ためら)い、筆を執っては赤面し、書きかけては急激な便意に襲われたりしたあげく、やっとの思いで決心した(ここまで三行)。
私はいっけん厚顔無恥のひとでなしであるが、実はシャイである。
したがって、小説を書きながらでも男女が愛を語らうシーンになると、心臓がバックンバックンと高鳴ってしまい、いざ接吻、さらにベッドインともなれば、ほとんど具体的描写を割愛して、翌朝みずいろの窓辺に小鳥が鳴いてしまうのである。
ならば恋愛経験が少ないのかというと、これは人並みにある。ただし、「あなたを愛しています♡」と口にしたことはない。
性的体験が貧しいのかというと、これは自信をもって人並み以上である。この際にももちろん「愛してるよ♡」などとは言わず、ひたすら寡黙にことをいたす。
ところがちかごろ、私の周辺におる編集者たちが声を揃えて、恋愛小説を書けと要求してきた。以下は記憶に鮮明な各社のオーダーである。
●某月某日、B社H氏。
「しっとりとした大人の恋、男女の心の機微を、ゼヒ」
●某月某日、T社S氏。
「ぶっちぎりの恋愛小説を」
●某月某日、F社H女史。
「浅田さんにはきっと胸のときめくような恋物語が書けるのではないでしょうか」
●某月某日、G社T氏。
「次の連載小説にはロマンスをたっぷりと盛りこんで下さい」
──みなさん存外、真顔であった。
八百屋に行って肉をくれと言うのは無理な相談だと思う。それとも彼らは八百屋に肉も置けと強要しているのであろうか。あるいはまた、この八百屋はもしかしたら肉屋なのではないかと勝手な想像をめぐらしているのであろうか。
かくて極道作家は、毎月恒例の京都取材旅行へと旅立った(この旅行中、京都で発生した山口組vs.会津小鉄の抗争事件は、私とは一切関係ない。念のため)。
以前にも書いたが、私は某月刊誌上に連載中の小説を、毎月京都のホテルにこもって執筆している。京都が舞台となっているので、季節を作中と同時進行させようという目論見である。
祇園祭の近い古都は、やわらかな雨であった。仕事に疲れてたそがれの町に出れば、辻々にはこんちきちん、こんちきちん、と祗園ばやしが流れていた。
京都はいつも、私を任意の旅人に変えてくれる。知り合いのひとりとてないこと、それにまさる安息はない。
ヒロインの歩く道筋をたどり、ときおり気に入った街角に立ち止まって、言葉のデッサンを書き取る。
青蓮院の縁先に腰を下ろし、雨に濡れた青苔の庭を見ながら、美しい恋物語を書いてみようかな、と思った。そう、恋が遠い花火にならぬ、今のうちに。
雨に心を洗われてホテルに戻ると、長い付き合いの女性編集者が私を待ち伏せていた。
10日後に原稿を渡す約束をしている。が、当然私は約束を忘却しているのであった。おそらく私が忘却しているであろうと予測して、卒然と出現する彼女は名編集者と言える。
とっさに私は、まずいところでまずいやつに会ったと思い、彼女はここで会ったが百年目という顔をした。私たちはあたかも偶然の邂逅(かいこう)をしたかのような挨拶を交わし、ハハハと笑った。
女史は武闘派編集者としてつとに名を知られている。抜群の知性と編集センスを持つうえ、携帯電話を2丁隠し持っており、1年中24時間スクランブル態勢を維持し、しかも原稿を取らずんば生きてまた帰らじという気魄が、全身に充ち満ちている。殺せば確実に化けて出るであろうという印象もある。
しかし、名編集者というものは必ず迷える作家に福音を授けてくれる。作家自身が現在立たされているスタンスを正確に察知し、とまどいから一歩を踏み出す動機と勇気とを与えてくれる。
京都からの帰途、新幹線の車中で女史と「恋愛論」を戦わすことができたのは、今回の旅における最大の収穫と言ってよいであろう。
作家と編集者の関係を例えると……
女史は言う。
「恋の終わりに際して、泣き、騒ぎ、じたばたとするのは決まって女性ですが、別れたあとでうじうじと考え続けるのは決まって男性なのです。女性は新たな恋愛を体験すれば、記憶を喪失しますが、男性は記憶を積み重ねます
ううむ、と私は唸った。まさに恋愛小説の核心的テーマである。
ちなみに女史は長い編集者生活の結果、話す言葉まで文章化してしまっており、語尾には♡が付かず、
しばらく考えたあとで、私は疑問を口にした。ちなみにそのときの私は徹夜で書き上げた連載小説のモードのまま、妙な言葉を使用していた。よくある現象である。
「ほしたら、何やねん。セックスと逆やんか」
「は? どういうことですか
「つまりやな、男はそのあとでカラッと忘れるやろが。女はいつまでェも、うじうじと余韻を楽しむやろ。ちゃうか」
女史はあからさまに侮蔑の目を私に向け、こいつがあの『蒼穹の昴』を書いたのと同一人物であろうか、というような顔をした。
「お答えします。浅田さんのご指摘はいわゆる生理学上の問題でありましょう。男性は種を維持するために行為のあとはさらなる行為へと移らねばならず、同様の理由から女性は受胎を促進するために肉体を安定させていなければならないのです
「……さよか。せやけど、恋愛いうのんも、つまるところは生理学上の問題やあらへんのかいな」
「それは、ちがいます
「どうちゃうねん。おせてや」
「恋愛を生殖行為の延長、すなわち知的進化をとげた発情だとする浅田さんのお考えは、人類の尊厳をあやうくします
「そら、おかしわ。うちのパンチ君かて、お散歩の途中で牝犬に会えば、クンクンいうてラブコール送るで。犬も人もおんなしやろ」
「あの、浅田さん──」
と、女史は武闘派の目で私を睨みつけた。
「大変失礼なことを申しあげますが、もしや浅田さんは、愛の言葉を口にしたことがないんじゃありません?
「え? ……いや、そないなことないけど」
「作品の中でも、愛の言葉を意識的に割愛してらっしゃいませんか。あるいはそういうところだけ、あえて象徴的な描写になさってらっしゃいませんか
「……さ、さよか」
「ベッドに入ったあと、一行アケでみずいろの朝が訪れ、小鳥が鳴きませんこと?
グウの音も出なかった。一行アケでみずいろの朝が訪れるというパターンは、たしか10回以上やらかしている。
愛していると口に出せない私の性格は、べつだん男性としての欠陥ではあるまい。ただし、その性格を仕事の中にまで持ちこむのは、私の作家的欠陥であろう。
「作家には勇気が必要だと思います
「はあ……そやね。ごもっともや」
袋小路に追いつめる感じで、女史はとどめをさした。
「では、次回の短篇は、目のさめるような恋愛小説、ということで。よろしくお願いします
小説家と編集者の関係は、ボクサーとトレーナーの関係そのものだと、三島由紀夫は言った。名トレーナーはボクサーの技術的欠陥を矯正し、やがてチャンプにする。
列車がトンネルに入った。暗い窓に映る私の顔は、およそ恋愛とは縁遠い。だが、おのれの趣味や性格に妥協して仕事をするほど、私は老いてはいないと思った。
作家には勇気が必要だと、トレーナーはリングサイドから叫んだのだ。
恋は遠い日の花火ではない。
(初出/週刊現代1996年8月17日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。
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