夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」

夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」(1)パット・イズ・マナー

今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。ゴルフ・エッセイストとしての活動期間は1990年から亡くなった2000年までのわずか10年だったが、生前から交流のあった俳優で書評家の故児玉清さんは、その訃報に触れたとき、「日本のゴルフ界の巨星が消えた」と慨嘆したほどだった。 「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第1回は、グリーン上での勝負を左右したのは、プレーヤーの腕ではなく、荒れる天候でもなく、とある生き物だったというエピソードについて。

第1ホール パー5 意のままにならぬゲーム 

その1 パット・イズ・マナー

初期のゴルフで悪天候以上の天敵だったのは!?

残された絵画などから推察すると、ゴルフは18世紀前半までゲームとしての体裁が整わず、どちらかというと委細構わず前進するだけの「クロスカントリー競技」に近いものだった。

とくに7世紀ごろから周辺国と戦い続けて、宿敵イングランドにもうしろ姿を見せなかった勇猛果敢なスコットランドの陸軍が教練の一環として採用した日から、「あるがまま」の思想も定着した。

過酷な気象条件下、兵士たちは喜々として障害物に挑みかかり、絶対に弱音を吐かなかった。ゆえにゴルフではスピードも重要なテーマの一つである。

「ゴルフに携わる者よ、肝に銘じて聞け。コースに身分、地位、肩書きを持ち込むべからず。ゴルフは平等の精神によって成り立つゲームなり」(キングホーンGCの設立憲章より)

「コースは神が創り給うた無垢なる大地、全世界にあまねく在り。われら、ただ旗を立てるのみ」(バリーGCの設立憲章より)

初期の時代、次々に誕生するコースには独自の思想があった。やがて、それらが一つにまとまってゲームの核となり、会則にも明記されるようになった。しかし、いくら旗を立てるのみと言っても、ヒースの中に立ててはパッティングに困る。初期のグリーン造りにもいくつかの条件が要求された。

まず、10人以上の屈強な男が思いっきり地団駄踏めるだけの広さと、勝ったチームが一斉に飛び上がって着地しても穴のあかない丈夫さが要求された。加えて犬の散歩道から隔離された場所であれば一層申し分なかった。当時のゴルフにとって、犬は強風以上の天敵であった。

22人が参加したゴルフの決闘の結末とは?

1769年7月、居酒屋「エッシャーズ・ターバン」にたむろする二つのグループに諍いが発生したときもそうだった。これがよその国なら銃と剣による決闘と相成るが、そこはスコットランド、全員参加のゴルフによって決着がつけられることになった。

いよいよ当日、ブラックヒースの1番ティに集まった両チームの頭数を勘定したところ、なんと22人。それでも各自がボールに目印などつけて、まるでラグビー顔負け、団子状のゲームが開始された。

古くからマッチプレーによる1対1も行われてきたが、日常的には人数問わずの団体ゲームだったことが窺える。

ようやく1774年に公式競技のはしりともいえる「シルバーカップ」開催に際して、最初のルール13ヵ条が誕生、さらに1パーティ4人以下とすることでゲームの流れを良くする知恵も生まれた。

何しろプレーヤーが22人、ティショットだけでも30分が経過する難儀に加えて、随所にトラブルが発生、ルール誕生の5年前とあって裁定に基準もなく、つかみ合い寸前の雲行きが数ホール続いた。

と、いきなり信じ難い事態が起こった。1人のプレーヤーのボールが、あろうことかグリーン横に鎮座していた犬のフンの上にチョンと乗ってしまったのだ。これには両軍選手をはじめ、大勢の応援団もお腹抱えて大爆笑。しかし、その選手からすると笑い事では済まされなかった。

「これは自然の障害物に非(あら)ず。拾って後方にドロップする許可をいただきたい」

彼の申し出に対して、相手チームの主将はニべもなかった。

「何を言う。太古よりゴルフには二つの掟(おきて)が宿るのを忘れたか。その1、己れの有利にふる舞わぬこと。その2、あるがままにプレーせよ。ささ、現状のライを改善することなく、しかもエクスプロージョンによって周囲に迷惑が及ばぬよう、十分注意した上でプレーを続行してくれ給え」

セントアンドリュースをはじめ、各地に点在したコースは市民広場の間借りだった。ゆえにペットの往来も激しく、連中にとって平坦な芝は絶好のトイレ、悲喜劇が絶えなかった。

さて、囂々(ごうごう)の野次の中、くだんの男は何回となく小さな素振りをくり返したあと、いよいよフンと対峙した。全員固唾(かたず)をのんで見守る緊張の一瞬、クラブが小さく振られた。

次の瞬間、天地が裂けたかと思うほどの喚声が沸き上がり、全員その場にひっくり返って手足バタバタ、笑って笑って悶絶寸前。くだんの男もしばし呆然と立ちすくんでいたが、やがてクラブを放り投げると一座の中に飛び込んで、こちらも笑って笑ってケイレン状態だった。そう、確かにデリケートなアプローチは実行された。ところがボールはヘッドに密着して前には飛ばなかった。

この珍事によって、両者のわだかまりが氷解したこと言うまでもない。ゴルフはムキになって戦うものに非ず、勝負より友愛が似つかわしいゲームだと、また一つ学んだ次第である。

天敵となる生き物は犬ばかりじゃない

1860年、第1回全英オープンがプレストウィックで開催された当時のグリーンも、それほど安泰とは言えなかった。試合前、役員総出の態勢でも間に合わず、大勢の住民が駆り出されて動物の跡始末に忙殺された。にもかかわらず、1880年にマッセルバラで行われた全英オープンでは、1匹の犬が7番ホールの旗竿めがけて片足上げると、ついでにバンカーの砂上で中腰のパフォーマンス、役員に追い立てられるまで長逗留と決め込んだ。

そうとは知らない選手たち、芝目を読むために姿勢を低くして匂い嗅ぎのポーズそっくり、ギャラリーは大喜びだった。ルール上、どうなるかって? もちろん「カジュアル・ウォーター」に決まってる。

そればかりではない。この試合が手始め、地元のB・ファーガソンが以後3連勝して、ヤング・トム・モリスが持つ実質的4連勝に迫る緒戦となっただけに、前泊組まで現われる騒ぎだった。ファーガソンは冷静にゲームを進めていたが、同じく地元出身のN・コスグロゥブがぴったり密着して、文字通り一進一退、手に汗握る好ゲームが続いた。

16番ホールまで来たとき、コスグロゥブの第2打目がグリーン横の茂みに吸い込まれた。現場に到着した巨漢は、草の根かき分けて捜索に大わらわだったが、不意に、

「痛ッ!」

と飛び上がった。うっかり野ネズミの巣穴に指をつっ込んでしまったのだ。傷は大したことなかったが、彼はペストが心配でたまらず、たちまちショットが乱れてダブルボギーの山、優勝したファーガソンに6打も差をつけられてしまった。

グリーンは年々改良されて、いまでは舐めるほどきれいに変身したが、こんどはミクロの計算が要求される事態、かつて神頼みで打っていた時代と比べて10倍も時間を要するようになった。

ゴルフで妻子を養うプロならともかく、真っすぐ1メートルも打てないご仁がプロの真似して行ったり来たり、見苦しいったらありゃしない。挙句、「失礼」と言いながら人のラインを平気でまたぐ狼藉ぶり。またいだ着地点が他の人の曲がりラインという場合もある。

「ライン上をまたがれると、泥靴で顔を踏まれた気がする」

温厚なボビー・ジョーンズにして、静かな怒りをぶつけていた。いかに遠回りしようとも、人のボールのうしろを歩くのがグリーン上の基本であり、「失礼」は許されない蛮行だ。

さて、コースに棲息する生き物とゴルファーの関わり合いの中で、最も地味な存在がクモだろう。飛んだり跳ねたり這い回ったりする連中と比べたとき、彼らが視野に入ることは至ってマレと言える。ところがどうして、ときに主役として登場するから侮ってはいけない。

1972年の「ウェスタン・レディース・クラシック」最終日、17番ホール、とかくスロープレーが取り沙汰されるデボラ・マクギニーのパットは約2メートル、もし入れば首位タイの場面だ。

彼女は行ったり来たり、なかなか打つ気配がない。そのときTVカメラがボールを大写しにした。なんと1 匹のクモが巣を張っていたのである。

「キャーッ」

彼女は3位に転落した。

(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)

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夏坂健

1934年横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘されていた。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

この記事のライター

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