歴史グルメ・エッセイ「美食・大食家びっくり事典」

歴史グルメ・エッセイ「美食・大食家びっくり事典」(8)モンスレーの遭遇した恐怖の死に至る食事の真髄

ゴルフ・エッセイストの夏坂健さんは、ゴルフの達人であるだけではなく食通としても知られ、1983年に、古今東西の偉人たちの食に関するエピソードを集めた『美食・大食家びっくり事典』を著している。この本のカバー折り返しには、美食家で料理人としても知られた俳優・故金子信雄さんが、フランス王妃マリー・アントワネットの有名な言葉「パンがなければお菓子をお食べ」を引いて、「パンが不味ければこの本をお読み」と書いている。 ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案何人の手引きで、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集をご堪能ください。第8回は、19世紀のパリで行われた一風変わった決闘の凄惨な結末について。

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第1章 絶命するまで啖(くら)いつづけた男たち

肥満が何だ、栄養がどうした。

美味なるものを死ぬほど食べる。

これが生きることの悦楽の極致。

古今東西の食の殉教者たちの垂涎のものがたり。

(8)モンスレーの遭遇した恐怖の死に至る食事の真髄

昔のフランス料理のフル・コースといえばその量はベラ棒なものだった。それを決闘の道具に選ぶとは前代未聞の珍事にはちがいない。

ああ、なんたる美味! このソースなら親父を食っちまうこともできるだろう――グリモ・ド・ラ・レニエール

シャルル・モンスレー(1825~1888)が世にも残酷な光景に遭遇したのは、ナポレオンの第2帝政時代、パリの《カフェ・アングレ》に好物のフォア・グラのパテを食べに入ったときだった。

二人のまだ年若い貴族が、中央のテーブルをはさんでにらみ合っていた。

「何事かね?」

モンスレーの問いに給仕頭が小声で答えた。

「これから決闘がはじまるところでございます」

どうやら喧嘩の原因は些細なことだったらしいが、メンツを重んじる上流社会の掟で、決闘によって紛争に決着をつけることになったのだという。

「正気かね? ピストルをぶっ放すなら外でやるようにいいたまえ」

「それが、ここでなければできない決闘の方法をお選びになりました」

給仕頭の説明を聞いて、ようやくモンスレーにもこれから始まる果たし合いが前代未聞の珍挙だということがわかってきた。つまり、どちらも同じペースで食って食って食いまくり、片方がひっくり返るか、口の動きが止まるか、フォークをポットリ落とすまで制限時間なしの一本勝負、晩餐で果たし合いをやろうというわけだった。

モンスレーといえば美食の作家、『詩的料理女』『美食術』『食道楽年鑑』などで知られているが、食の大家だけに、一見ユーモラスなこの決闘が相当な危険に満ち満ちていることを直感したと『食道楽年鑑』に書いている。牛飲馬食は、ある一線を越えたときから死に直面するからだ。

介添人は、成りゆきが監視できるように脇のテーブルに着席した。

「さて、ご両人!」

この言葉を合図に、死の晩餐レースのスタートが切られた。時刻は夕方の6時、食事をはじめるにはいい時間だった。

すさまじい量の食事が運ばれてきた。一度に3人前を平らげるという申し合わせだった。

スープが3皿、平目や鮭の魚料理、こんがり焼けた鶏、肉の煮込み、パテにパイ、温野菜、どれもこれも3皿ずつ、デザートのこってりと甘い桃の蜂蜜煮とコーヒーまでが3人前だった。フル・コースを決闘者たちは黙々と、かつ果敢に胃袋に納めて、まず1回戦が終わった。

「やり直しだ! どんどん持ってこい」

介添人は調理場に向かって叫んだ。メニューは変わったが、量だけは相変わらず3人前だった。鴨、鳩、仔牛肉、鱒、牡蠣、デザート、その間にワインとリキュールが同じように注がれ飲み干されていった。

2回戦が終わったところで、介添人は双方の顔色をうかがいながらいった。

「どうかな、ご両人。ここらで上着をとってベルトをゆるめ、一服しながら和議についてひとつ冷静に話し合ってみようじゃないか」

この言葉に2人の貴族は色をなした。

「断じてことわる!」

「毛頭応ずる気はない!」

「やれ、やれ」

と介添人は首をふり、再び調理場に向かって怒鳴った。

「早くせい! 晩メシはまだ当分続くぞ」

午前6時、21人前のフルコースを平らげたあとに……!?

午前4時ごろになって、介添人はテーブルにつっ伏して寝込んでしまった。そこでモンスレーが代役を買って出た。戦士たちはベルトをゆるめ、シャツ1枚の汗だく姿で黙々と食べ続けた。手洗いに行くのも一緒なら、ワインのコルクを抜くのも同時、料理を片づけるペースもぴったり一致していた。

午前6時ごろ、カーテンのすきまから洩れる朝日のまぶしさで介添人がとび起きたとき、徹夜で食べ続けた2人は、ちょうど7回目のデザートを平らげているところだった。12時間のあいだに3人前の食事を7回、つまり21人前のフル・コースを食べたわけだ。その上、一人17本のワインと4種類のリキュールを飲み干していた。

しきりに目をこすっている介添人に、2人が異口同音命じた言葉は、モンスレーを驚嘆させるに十分だった。彼らはこういった。

「お目覚めかね? それでは朝食にしてくれたまえ」

介添人やモンスレーまでご相伴にあずかった朝食は、牡蠣の串焼きにソーテルヌの白、仔羊のグリルにシャンベルタン酒、山盛りのロシア・サラダ、舌平目のチーズ焼き、クロワッサンにイチゴのシュークリームというコースだった。美食、大食のモンスレーが、

「私は1人前で満腹した」

という分量を、彼らは規定通り3人前平らげた。

調理場では夜を徹して10人以上のコックが休みなく働き続けていたが、朝日が昇るころになると次々に倒れてしまい。あわててよそのレストランに応援をたのんで午前9時ごろには20人からの助っ人を揃えることができた。

午前11時を回ったころから、誰の目にも優劣がはっきりと見えはじめてきた。一方の顔面が蒼白に変わって、しきりにアブラ汗をぬぐいはじめたのだ。大儀そうに動かす口は鉛を頰張ったのかと思うほど重く緩慢で、ようやく吞み下したあと、小山のように盛り上がった腹部をさすって深い吐息をもらすのだった。

11回目のフル・コースが終わるやいなや、すぐに12回目の料理が運ばれてきた。テーブルの周囲は十重、二十重の人垣。そのあいだを縫って、まず3皿のスープが並べられた。それはどうやら飲み干したものの、次の合鴨のオレンジ・ソース煮の切り身を口に入れたとき、顔面蒼白氏の動きがピタッと止まった。あたりはシーンとなった。

彼の口の端から、ゆっくりとオレンジ・ソースがしたたり落ちて、それは血痕のように汗まみれのシャツに広がっていった。不意に首がぐらっとゆれて白眼をむくと、そのまま彼はドウと椅子ごと横に倒れてしまった。

「勝負あったッ、これまで!」

介添人は叫びながら倒れた男に駆け寄り、しっかりフォークを握ったままの男の手首の脈をさぐった。33人前の料理を18時間で食べ抜いた果ての消化不良なのか、あるいは不眠不休の鯨飲飽食による心臓マヒか、男はすでにコト切れていた。

「巨岩の砕け落ちるが如く、大氷塊の溶け崩れるが如く、これぞまさしく雄々しき戦死であった」

モンスレーは死者をこう讃美している。

勝者のほうはといえば、これまた気息エンエン、蛙のようにふくれあがった腹部をさすりながらしきりに呻吟していた。

それにしてもこの決闘は残酷だ。ピストルの1発、剣の一突きでケリをつけたほうがはるかに人道的といえるだろう。

ロックフェラーの皮肉

ブリア・サヴァランは、人生で唯一退屈しない場所は食卓だといっている。どんな食事の時間を過ごしているかで、あなたは自分の幸福度を計ることができるはずだ。

ところで、大金持ちが豪華な食事をとり、貧乏人は粗末なものを食べていると思い込んでいる人が多いが、それは間違いである。

先代のロックフェラーがある時、ニューヨークのレストランにやってきてポーク・チョップを注文した。世界一といわれる大富豪にしては信じられない注文だった。支配人もにわかに信じ難く、先週、ご子息がお見えになって、当店の極上フィレ・ステーキにいたくご満足されましたが、と水を向けてみた。

「それは結構。しかし私には金持ちの父親がいないもんでね」と大富豪はいった。

(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典』夏坂健(講談社)

夏坂健

1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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