夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」

ジャマイカの名門コースを”名門”たらしめた、素晴らしいキャディ

1000ドルの小切手はなぜ往復したのか さて、アトランタから直行便でひとっ飛び、USスチールのジム・カナドール元副社長が友人と連れ立ってやってきたのも、目的はトライオールでのゴルフだった。若いころからの大の球打ち中毒も、…

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今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第14回は、カリブ海に浮かぶ名門コース・トライオールでプレーした男とキャディとの間の心温まるエピソードについて。

夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」その14 老キャディの温情

ウィンザー公も夢中になった超強風のコース

紺碧のカリブ海にポツンと浮ぶジャマイカは、総面積10000平方キロメートルの愛らしい島である。
どうやら島は海底に連なる大アンティル山系の最高峰が海上に飛び出したものらしく、全島の8割以上が険しい山地であり、平地はわずか15パーセントにも満たない。東西に走る山脈の東側は「ブルー山地」と呼ばれ、この地で栽培されるコーヒーが逸品「ブルーマウンテン」というわけだ。
1962年に独立したイギリス連邦国と聞くと、国技にゴルフが据えられて不思議ないようにも思えるが、何しろ小さな島の最高峰「ブルーマウンテン」の標高が2256メートル、いずこを眺めても急斜面ばかり、そこで海岸線に土砂を運んで国際的に通用するシーサイド・コースが建設された。これが「世界名コース百選」の常連、ジョニーウォーカー・カップの舞台としても知られるタフなトライオールである。
距離は無風の場合に限って、大した長さではない。青マークからでも6407ヤード、パー71、熱帯樹林でセパレートされた各ホールはフラットであり、バンカーの数も多くはない。ところが洋上の小島に風はつきもの。かつて王位を捨てたウィンザー公がシンプソン夫人を伴って長期滞在すると、1年に100ラウンドも球打ちに熱中、エキシビジョンに訪れたジーン・サラゼンを摑まえて嘆いたことがある。
「風が吹くと吹かないとでは、1ラウンドで20打も違ってしまうのだ。そこで強風対策などご教授願いたい」
「2つの方法があります」
 サラゼンは言った。
「1つはアドレスで体が動くほど風が強い場合、ボールを右寄りに置いて、トップもフィニッシュも低くします。なるべくハーフトップを打つように心掛けてください。2つ目は、クラブを振り上げてヨロケるほどの烈風が吹いた場合、ご自宅にお帰りください。もうゴルフになりません。ピンそばのボールが風に押されてバンカーに落ちる光景も、1度なら笑えますが2度目からはアタマにきます」
ウィンザー公は、いつの場合もメモをとるのが癖だった。そして有益な話を聞くや否や、必ず別室で他の婦人たちと談笑に興じる愛妻に報告すべく、
「ハロー、ダーリン、ハロー、ダーリン!」
と、走り寄るのが常だった。日本式に言えば「おおい、カアちゃん」といったところだろう。もちろん、このときも走った。
翌日は「プロのキング」こと、ウォルター・へーゲンから次なる話を聞いた。
「ゴルフにスランプはつきものです。うまく当たらない日はくよくよせずに、しばしタンポポの匂いでも嗅ぐのが一番ですよ」
メモを取っていたウィンザー公、
「よし、ゴルフの奥義がわかったぞ」
呟くと同時に、メモをひらひらさせて階段を駆け上がりながら叫んだ。
「おおい、カアちゃん!」
へーゲンは自著の中で、あの光景は生涯忘れられないと書いている。
作家のリング・ラードナーによると、ラム酒でプッツン、コーヒーでパッチリのくり返しによって、脳が春の台風に見舞われるのがジャマイカという国、いまではこれにレゲエと大麻も加わって毎日がカーニバルの騒ぎである。

1000ドルの小切手はなぜ往復したのか

さて、アトランタから直行便でひとっ飛び、USスチールのジム・カナドール元副社長が友人と連れ立ってやってきたのも、目的はトライオールでのゴルフだった。
若いころからの大の球打ち中毒も、仕事が忙しくてままならず、引退後は後れを取り戻すのに血眼の日々だった。
文人としても知られる氏は、折につけ雑誌にコラムなど寄稿してきたが、この愉快な出来事も「テキサス・ゴルフマガジン」に掲載されたものである。書き出しからして氏のゴルフに対する傾倒ぶりがうかがえる。
〈初対面のコースに立った瞬間のときめきは、まさに恋である。思えばゴルファーという人種、なんと幸せなことだろう。私は念願の『トライオール』のティに立って風の甘さに酔い、それから小柄な現地の老キャディに向かって、ドライバーをくれるように言った〉
「ドライバーかね? 距離は360ヤードと短いが、少し左ドッグレッグだよ。朝イチはスプーンのほうがいいと思うがね」
「それではきみの言う通り、スプーンにしようか」
「いいお客さんだ。本物のゴルファーには、キャディの助言に耳を貸すだけの余裕がある」
バッグからクラブを抜いて差し出したのはいいが、1メートルほど距離がズレている。ジムはドキンとした。
「わしの目かね? 心配いらないよ。白内障とかで多少ぼんやりするが、何しろ25年のキャリアがある。打球音でショットの9割は当ててみせるぜ」
しかし、言葉とは裏腹にピンの位置さえおぼつかない。ジムは自分でゲームをすすめることにしたが、いざボールがグリーンに乗ってからは秀逸の一語に尽きた。まさに芝目の1本ずつ熟知したリードで、ジムは3つのバーディまで奪うことができた。彼はこのように書いている。
〈視力の悪い彼が、いまだ現役のキャディでいること自体、驚くべきことだ。ここではキャディの権利が日常的に売買されているらしい。彼が若いころ、サイコロ博打で権利を取り上げたのだと語った。
それにしてもなんと献身的なことだろう。ラフのボールを探すとき、本当に彼は四つん這いになって顔から血を流しながら草の中を匍匐前進したのである。一途にひたむきな彼の姿は崇高でさえあった〉


素晴らしいキャディに出会えたことで、トライオールは終生忘れ難いコースに昇華した。これは、いかに名門といえども質の悪いキャディと遭遇したならば、たちまち評価が低くなる事実と好対照である。ジムは心から彼の役に立ちたいと思った。
ホールアウト後、彼はロッカールームに戻って1000ドルの小切手を用意すると、キャディの溜まり場にいた老人にそれを渡して言った。
「このカネを、きみの視力回復に役立ててもらえないだろうか。いまではいい治療法もあるらしい。早く病院に行ってくれないか」
老人が泣きながら感謝したこと、言うまでもない。それから2ヵ月ほど経過したある日、ジムの自宅にいきなり1000ドルの小切手が返送されてきた。同封の手紙には、たどたどしい字で次のように書かれてあった。
「旦那のご親切には、本当に感謝しております。あれから、くだんの小切手を株式投資にくわしいダチに見せたところ、一応振出人の身元を調べるのが常識とかで、USスチールの決算報告書を借りて吟味したってわけです。そうしたら驚いたのなんのって、旦那の会社はアメリカの国家予算に負けないくらいの商売をしなさってる。ところが売上もデカいが借金もデカい。結局、収支ゼロとは哀しすぎる。そこに1000ドルの小切手が舞い込むと、旦那の会社は赤字になるというのがダチの意見、私もそう思うので、お気持ちだけ頂戴します。旦那のご親切は忘れません。(追伸)人生は山あり谷あり、ゴルフとおんなじだ。気を落とさずに頑張りなさいよ」

(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)

『ナイス・ボギー』 (講談社文庫) Kindle版

夏坂健

1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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