今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第14回は、カリブ海に浮かぶ名門コース・トライオールでプレーした男とキャディとの間の心温まるエピソードについて。
夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」その14 老キャディの温情
ウィンザー公も夢中になった超強風のコース
紺碧のカリブ海にポツンと浮ぶジャマイカは、総面積10000平方キロメートルの愛らしい島である。
どうやら島は海底に連なる大アンティル山系の最高峰が海上に飛び出したものらしく、全島の8割以上が険しい山地であり、平地はわずか15パーセントにも満たない。東西に走る山脈の東側は「ブルー山地」と呼ばれ、この地で栽培されるコーヒーが逸品「ブルーマウンテン」というわけだ。
1962年に独立したイギリス連邦国と聞くと、国技にゴルフが据えられて不思議ないようにも思えるが、何しろ小さな島の最高峰「ブルーマウンテン」の標高が2256メートル、いずこを眺めても急斜面ばかり、そこで海岸線に土砂を運んで国際的に通用するシーサイド・コースが建設された。これが「世界名コース百選」の常連、ジョニーウォーカー・カップの舞台としても知られるタフなトライオールである。
距離は無風の場合に限って、大した長さではない。青マークからでも6407ヤード、パー71、熱帯樹林でセパレートされた各ホールはフラットであり、バンカーの数も多くはない。ところが洋上の小島に風はつきもの。かつて王位を捨てたウィンザー公がシンプソン夫人を伴って長期滞在すると、1年に100ラウンドも球打ちに熱中、エキシビジョンに訪れたジーン・サラゼンを摑まえて嘆いたことがある。
「風が吹くと吹かないとでは、1ラウンドで20打も違ってしまうのだ。そこで強風対策などご教授願いたい」
「2つの方法があります」
サラゼンは言った。
「1つはアドレスで体が動くほど風が強い場合、ボールを右寄りに置いて、トップもフィニッシュも低くします。なるべくハーフトップを打つように心掛けてください。2つ目は、クラブを振り上げてヨロケるほどの烈風が吹いた場合、ご自宅にお帰りください。もうゴルフになりません。ピンそばのボールが風に押されてバンカーに落ちる光景も、1度なら笑えますが2度目からはアタマにきます」
ウィンザー公は、いつの場合もメモをとるのが癖だった。そして有益な話を聞くや否や、必ず別室で他の婦人たちと談笑に興じる愛妻に報告すべく、
「ハロー、ダーリン、ハロー、ダーリン!」
と、走り寄るのが常だった。日本式に言えば「おおい、カアちゃん」といったところだろう。もちろん、このときも走った。
翌日は「プロのキング」こと、ウォルター・へーゲンから次なる話を聞いた。
「ゴルフにスランプはつきものです。うまく当たらない日はくよくよせずに、しばしタンポポの匂いでも嗅ぐのが一番ですよ」
メモを取っていたウィンザー公、
「よし、ゴルフの奥義がわかったぞ」
呟くと同時に、メモをひらひらさせて階段を駆け上がりながら叫んだ。
「おおい、カアちゃん!」
へーゲンは自著の中で、あの光景は生涯忘れられないと書いている。
作家のリング・ラードナーによると、ラム酒でプッツン、コーヒーでパッチリのくり返しによって、脳が春の台風に見舞われるのがジャマイカという国、いまではこれにレゲエと大麻も加わって毎日がカーニバルの騒ぎである。