「お願い。裸になってくださる?」 食事は終わった。未亡人は彼のそばに来て、やさしく髪に触れながらささやいた。 「あなた、お願い。裸になってくださる?」 言い置いて、彼女は扉の向こうに消えた。 ポンションは食卓の横で、稲妻…
画像ギャラリーローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第17話は、19世紀に活躍したフランスの詩人が、ある夜に遭遇した妖艶、豊満な未亡人との逢瀬と衝撃の結末について。
夏坂健の歴史グルメ・エッセイ 第17話
妖艶な未亡人に夕食に誘われ……
フランスの詩人で、食通の誇り高いラウール・ポンションといえば、作品『居酒屋のミューズ』を思い出す方も多いだろう。
ひどく瘦せている上に小さかったポンションは、30歳になるその日まで、さっぱり女性とは縁のない男だった。ところがその晩は大違い。
酒場の詩を得意とするだけあって、これまでのポンションは欲求不満を夜毎の居酒屋で発散させていたのだが、なんと酒の席で隣り合わせた妖艶な未亡人と知り合った上に、
「これから私の家へ行って、お夕食でもご一緒にいかがン?」
甘い声で艶然と誘われたのである。天にものぼる心地のポンションは、鼻血がとび出さないようにそっくり返って夜空を仰ぎながら喜々として未亡人のあとに従ったものである。
食事がおいしかったのかマズかったのか、いや、テーブルの上に何が出ていたのかさえポンションにはわからなかった。
未亡人の一挙手一投足に全身がわななき、彼女が下を向いた一瞬、深い胸の切れ込みと盛り上がった白い肉塊が目にとび込むと、そのたんびに椅子からズリ落ちそうになるのだった。
「お願い。裸になってくださる?」
食事は終わった。未亡人は彼のそばに来て、やさしく髪に触れながらささやいた。
「あなた、お願い。裸になってくださる?」
言い置いて、彼女は扉の向こうに消えた。
ポンションは食卓の横で、稲妻より早くスッ裸になった。
ああ! 早く寝巻きに着替えて出ておいで、ボクの小猫ちゃん……。
扉が開いた。寝巻きに着替えるどころか、彼女は寝ぼけまなこで目をしきりにこすっている5歳ぐらいの男の子の手を引いている。
「さあ、ミシェル、よくごらん!」
未亡人は、スッ裸のポンションをゆび指して叫んだ。
「かあさんがいつも言ってるだろ。食べ物の好き嫌いばかりしてると、どんな大人になるかって! お前のために無理して裸になってもらったんだから、よオく見ておきッ!」
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1936(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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