「もうひと味」とシンセサイザーを導入、“もう一人のYMO”松武秀樹の存在 プロデュース、作詞、曲によってはドラムスも叩いた松本隆は“大都会の悲しきヒロイン”とでも呼べそうなフィルム・ノワール的なコンセプト・アルバムのアレ…
画像ギャラリー国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」のシンガー・ソングライター・南佳孝第2回は、1973年のデビュー当時の挿話です。アルバム制作には、後の日本の音楽シーンを牽引する豊かな才能が集いました。
1973年9月21日、アルバム発売日に行われたライヴ
南佳孝の名が一部の音楽ファンに認知されたのは、フジテレビ系の人気番組「リブ・ヤング!」のシンガー・ソングライター・コンテストで第3位になったころだった。翌1973年秋、元はっぴいえんどのドラマーで、後に作詞家として有名になる松本隆のプロデュースにより『摩天楼のヒロイン』でアルバム・デビューした。
『摩天楼のヒロイン」は、当時、音楽事業にも進出していたオーディオ・メーカーのトリオ(後のケンウッド)から発売された。発売日の1973年9月21日には、東京の文京公会堂でジョイント・ライヴが行なわれた。50年前のライヴなので詳細は忘れたが、この模様を収録したライヴ・アルバム『1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出』は翌1974年にリリースされ、89年にはCD化もされている。
このライヴは、既に解散していたはっぴいえんど(細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂)のラスト公演で、他に出演者は南佳孝、ムーンライダース(後にムーンライダーズ)、ココナツ・バンク、吉田美奈子などだった。南佳孝、吉田美奈子はもちろん、ムーンライダース、大滝詠一に支持を受けていた伊藤銀次率いるココナツ・バンクなどはその夜が初めてのホール・ライヴだった。
出演者は、はっぴいえんどのファミリーと呼べる面々だったと今は分かる。ナイアガラ・トライアングルの第一期に参加した伊藤銀次。大滝詠一に見出されたひとり、吉田美奈子。はっぴいえんどの弟分的な存在だったムーンライダース。 そして、松本隆のプロデュースした『摩天のヒロイン』でデビューした南佳孝。
1970年代のベスト10に入る名盤
このライヴの後も南佳孝と吉田美奈子は、渋谷の百軒店(ひゃっけんだな、道玄坂から入った高台に広がる商業エリア)にあったギャルソンというロック喫茶によく出演していた。1970年代初期の渋谷百軒店は、ジャズ喫茶、ロック喫茶、クラシック喫茶のメッカだった。ギャルソンもそんなロック喫茶のひとつで、週末になると客数はせいぜい10数人だったが、南佳孝もよく出演していた。
『摩天楼のヒロイン』は1970年代全体でも名盤ベスト10に入ると、個人的には思っている。今聴いてもほとんど風化していない。華麗とも言える松本隆の詞の世界、23歳と思えない南佳孝の完成された歌唱力。それらに加えて演奏には、鈴木茂(ギター)、細野晴臣(ベース)、林立夫(ドラム)、小原礼(ベース)など後の日本の音楽シーンの要人たちがバックアップしていた。
「もうひと味」とシンセサイザーを導入、“もう一人のYMO”松武秀樹の存在
プロデュース、作詞、曲によってはドラムスも叩いた松本隆は“大都会の悲しきヒロイン”とでも呼べそうなフィルム・ノワール的なコンセプト・アルバムのアレンジを当時の矢野顕子の夫だった鬼才矢野誠に託した。
ギター、ベース、ドラムス、ピアノ、ストリングス以外に何か“もうひと味”欲しいと考えた矢野誠は、シンセサイザーの導入を思い立ち、親交のあった音楽家の冨田勲に相談した。日本で初めて本格的なシンセサイザー(ムーグ社製)を購入していた冨田勲は、自分の一番弟子だった松武秀樹にこの依頼を任せた。
“冨田先生のオフィスに寝泊まりしていたころに、矢野誠さんから電話がかかってきて、『摩天楼のヒロイン』でシンサイザー音を作りました(マニュピレイトした)。これがぼくにとって初めてギャラを貰えた仕事でした。このアルバムの関係で多くの人と出逢えましたね”
かつて松武秀樹はぼくに語った。後に結成されるYMOは、松武秀樹のシンセサイザー音(マニュピレイト)なしでは成立しなかった。
「摩天楼のヒロイン」は一部の熱狂的なファンを得たものの大ヒットとは程遠かった。だが、音楽関係者の中では特に評判が高かった。そんなひとりに矢沢永吉などをプロデュースし、後にキティ・エンタープライズの社長などを務めた当時のEPICソニーのディレクター、高久光雄がいた。
“この人(南佳孝)は何があっても自分がプロデュースしたい、そう思わせてくれた。ヒットする、しないより、この声を世にもっと送り届けたい。そう強く思いました。後に南佳孝とコンビを組む高久光雄はそう語っていた。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。