今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。…
画像ギャラリー今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。
夏坂健の読むゴルフ その36 プロ製造、承ります
全米くまなく「人狩り」に飛び歩く
その世界の「巨匠」ともなると、入門希望者が押し寄せて門前市をなす賑わい。権威たるや絶大と相場も決まっているが、パティ・バーグの場合、自ら「全米女子プロゴルフ協会」を設立して初代会長に就任する傍ら、試合数の少ない時代にプロとして55勝、アマ時代も含めると通算80勝! まさに女子ゴルフ界の大巨匠と呼ぶにふさわしい女傑だったが、威張るのが大嫌い。会長の椅子に座る時間も惜しんで、全米くまなく「人狩り」に飛び歩いたものである。
たとえば、のちにアイアンの切れ味では天下一品といわれたキャロル・マンの場合、全米陸上選手権に備えて柔軟体操に余念がないとき、向こうから人のよさそうな農婦タイプの中年女性が近づいてきた。
「あなたがキャロルね?」
よく陽焼けした肌、広い肩幅、見事に発達したヒップ。
「私はパティ・バーグ。仕事はプロゴルファー。新聞であなたの走る写真を見て会いに来たの」
握手した瞬間、あまりの握力の凄さにキャロルは5本の指が砕けたかと思った。
「あなたの走る姿は完璧の一語、カモシカが逃げだすほど美しく、しかも力強い。私は1時間も写真に見とれて、それから決心したの。とにかく会って30分だけ話を聞いてもらおうと」
それまで、ゴルフのクラブに触れたこともないキャロルは、彼女の話に戸惑うばかりだった。
「一つだけ信じて頂戴。ゴルフはね、最初から正しく覚えた人だけが進歩するゲーム、運動神経のすぐれた未経験者ほど短期間でモノになるのよ。いつでもいいから電話してね」
半年後、陸上競技に限界を感じたキャロルは、ためらいながらフロリダに電話する。「肝っ玉かあさん」は、受話器の向こうで明るく言った。
「荷物をまとめて、すぐにいらっしゃい。2年後にはゴルフであなたは大金持ちよ!」
サンドラ・パーマーと、ホリス・ステイシーの場合、水泳とバスケットボールの試合場で彼女から声を掛けられた。しかし、実際は「人掠い」に近い行為だったとご両人は証言する。
「多くの企業が、誕生したばかりの女子プロに注目しているわ。連中は新しいものに投資したくてウズウズしている。さあ、プロゴルファーになりましょう。私がちゃんと教えてあげる」
「でも……」
困惑する2人に、彼女はブ厚い胸を叩いて言った。
「これからご両親に会って、女子プロの未来がどれほど前途洋々か、納得いただけるまで説明するから、そのあいだに身仕度が整えられるわ。1年間はつらいと思うけど、同じ苦労でも地味なスポーツは報われることがない。その点ゴルフには花があるのよ。決して後悔させないから、私についていらっしゃい」
人は人生1発目で間違ったスウィングに汚染される
キャシー・ウィットワースの場合、すでにアマ選手として十分すぎる評価を得ていた。しかし、1番ティから最後まで密着した正体不明の女性ギャラリーが近づいて微笑した瞬間、あまりのことに息が出来なかった。
「そういう訳なのよ」
パティは、握手しながら言った。
「こっそり観戦して、ごめんなさい。あなたが緊張すると困るから」
ミネソタ州の大きな穀物商人の娘に生まれただけあって、彼女の発言はいつも直截的だった。
「とても上手だけど、いまの打ち方では駄目。間もなくフックの曲がりがひどくなってシワが増えるわよ。私のところにいらつしゃい、全米一のゴルファーにしてあげる」
スポーツ界の逸材に関する情報を集め、資料と写真の分析に時間をかけた上、よしと思うと直ちに赴いて口説きにかかる。その合格点とは、
「体のしなやかさ。歩行中も背骨が左右に揺れないバランスの良さ。最後に根性がありそうな面構え」
こう語っている。「人狩り」は女性にとどまらず、野球、フットボール、テニス、アイスホッケーなどの分野から男性まで釣り上げて、フロリダのフォートマイヤーズにある自宅別棟の部屋を提供した。
サンドラ・パーマーの打ち明け話によると、最初の1ヵ月はスタンスの基本と素振りだけ、ボールは打たせてもらえなかった。
「初心者の目の前にボールを置いてごらんなさい。誰だって力まかせに飛ばそうとするでしょう。そのとき、つまり人生最初のひと振りが問題、1発目にして早くも間違ったスウィングに汚染されるのです。1歩目から間違った方向に歩きだした人は、振れば振るほどゴールに背中を向けて走るランナーと化して、ついに生涯、本物のスウィングがわからないままに終わるのです。
いいですか? 素振りのフォームが完成するまで、絶対にボールは打たないでください。私の言葉が守れない人は、直ちに帰ってもらいます。
これがパティの初日の挨拶でした」
パーマーが初めてボールを打ったのは、クラブを握って5週目だった。マットに向かって一心不乱に7番アイアンを振っていると、目の前に立っていた師匠がひょいと白球を置いた。驚く間もなくクラブは振り下ろされ、ボールは150ヤード彼方まで美しい放物線を描いて飛び去った。
「それはもう、信じられない出来事でした。だって人生最初のショットが、まるでプロ並みに飛んだのよ!」
これがパティ流の教育法だった。ようやく始まった実践ラウンドでは、その場で必要とされるショットについて誰もが納得するまで説明し、何日かかろうとも出来るまで練習をやめさせなかった。
1940年、まだ女性がプロとしてやっていけるかどうか、皆目見当もつかない時代にプロ宣言すると、ベッツィ・ロールズ、ミッキー・ライト、ルイズ・サッグスらに呼びかけて、女子プロのトーナメントを開催する。
「当初のギャラリーときたら、まるで芝の上のストリップショーでも見るような目つきだった。私は選手層を厚くするために、年間200日も各地を飛び歩き、1982年までに約2000人の女子プロを育てた」(自伝『Patty Berg on Golf』より)
こんにちの隆盛は、彼女の努力によって築かれたものである。
「2年あれば、どんな人でもプロにしてみせます。実は、プロになるだけなら正しい打ち方をマスターするだけのこと、要は努力次第です。問題はプロになって勝つことにあります」
つい数年前まで各地を講演して歩いた彼女は、決まって「勝つ秘訣」を語るのだった。
「誰もが勝ちたいと思っている。たった8人のコンペに参加してさえ、勝つことに全力をあげるのがゴルファーという名の人種です。しかし、本当に必要なのは意気込みと別物、勝つための意志を最後まで持続する精神力、これが問題なのです」
ある講演会場では、1人の観客が質問に立った。
「あのう、プロになるためには、どの程度練習したらいいのでしょうか?」
すると彼女、こともなげに答えた。
「Sun up, Sun down.」(日の出から日没までよ)
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。