ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧…
画像ギャラリーローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第45話をお送りします。
豆腐が初めて史書に登場するのは10世紀
中国料理のバリエーションの1つに乳製品がある。
中国では6世紀ごろ、北方民族から順次伝えられてバター、ヨーグルト、チーズはすでに一般食になっていた。
ときにはトボけた父親がいるもので、開宝7(974)年に死んだ軍人の穆寧という人は、自分の長男に醍醐(バターとチーズをミックスしたような最上の乳製品)という名前をつけていた。
以下二男には酥(バター)、三男は酪(チーズ)、末っ子の四男には乳腐(できそこないのヨーグルト)という名をつけて悦に入っていたというから、あきれたものである。
もし乳腐がグレてやくざ者にでもなったとしたら、この場合は絶対に親が悪い。
乳腐といえば、連鎖的に豆腐を思い出してしまう。中国原産の豆腐がはじめて史書に登場するのが10世紀、陶穀の書いた『清異録』が最初である。
倹約家の副知事が「代用乳製品」として発明
それによると、安徽省池州府の副知事に時戢という倹約家がいた。この人は豆を材料にした「代用乳製品」を作るすべを心得、一度それをご馳走になった者が、
「淡々と冷謐で、気品に満ちた逸品!」
と口々に絶賛するので、その豆製品は「幻の珍味」と騒がれた。
公僕のくせに利にさとかった時戢は、市中に豆腐を出荷して、かわりに肉や魚を得ることをはじめた。
油っこいものばかり食べていれば、さっぱりしたものが欲しくなるのは道理だから、豆腐は爆発的な人気を博するようになる。
そのころはまだ名前がなかったので、人々は豆腐を「副知事羊」と呼んでいた。
正式に豆腐と呼ばれだしたのは11世紀になってからのこと。思えば、ゆうべ食べた冷や奴には、およそ1000年の歴史があったわけである。
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1934(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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