事件の「黒幕」は誰なのか 昔から釣天井事件の黒幕は加納御前ではないかという説があります。彼女の娘は初代小田原藩主であり、大久保彦左衛門の甥にあたる大久保忠隣(ただちか)の息子に嫁いだのですが、大久保忠隣は大久保長安事件に…
画像ギャラリー『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。
戊辰戦争の激戦で焼失、2007年に復元
宇都宮城は「釣天井事件」で有名になりました。「釣天井事件」は徳川時代初期最大のスキャンダルといっていいでしょう。権力をほしいままにしていた男が、罠にはめられ失脚したという、現代でもありそうなこわい話です。
宇都宮城は関東七名城とされ難攻不落の城でしたが、戊辰戦争の際、土方歳三率いる旧幕府軍と新政府軍との激戦の舞台となり、多くの建造物が焼失してしまいました。しかし、市民の方たちの熱意により、平成19(2007)年に宇都宮城が復元されたことは、たいへん喜ばしいことだと思います。
平安末期に築城
宇都宮城は平安時代末期、藤原秀郷の築城とされ、下野国主になった宇都宮氏の祖である藤原宗円が城主となって以来、宇都宮氏の居城として戦国時代になります。
太閤検地で宇都宮氏の不正が発覚したため、宇都宮氏は改易となり、蒲生氏郷の嫡男、秀行が城主となった後は、徳川の譜代大名が城主を務めます。宇都宮藩の成立は慶長6(1601)年のことで、徳川家康の娘で秀忠の姉・亀姫の婿である奥平信昌の嫡男家昌が、10万石で入部しています。
家康の時代に幕政を牛耳った本多正純
奥平氏に続き、15万5000石で城主となったのが本多正純です。正純という人は父の正信同様、家康の側近で、家康存命の時は幕政を牛耳っていましたが、家康が亡くなると、2代将軍・秀忠や秀忠側近の土井利勝などに疎まれるようになっていきます。
秀忠将軍になっても年寄(後の老中)の座にあった正純は、権勢を笠に着た傲慢な態度で、敵を増やしていたようです。
「秀忠暗殺」を企図?
事件が起きたのは、家康七回忌の元和8(1622)年4月16日のことです。秀忠は日光東照宮に参拝した後、宇都宮城に一泊する予定でした。ところが、秀忠の姉である加納御前(先述の亀姫)から、「城の普請に不備あり」と密訴がありました。秀忠の寝室に釣天井を仕掛け、秀忠暗殺を企てているというものです。
これを聞いた秀忠は、御台所(正室の江)が病気として、宇都宮城には泊まらず江戸城に帰ってしまいます。
11の罪状を突きつけられた正純
その年の8月、最上騒動により改易された最上義俊から、山形城を受け取るために赴いた正純の留守中、秀忠は鉄砲の密造や宇都宮城本丸石垣の無断修理、釣天井の嫌疑など11もの罪状を作って、正純に突きつけたのです。
正純には謀反の意思などなく、釣天井なども存在しなかったのですが、本丸の無断修理や鉄砲製造は事実でした。それも宇都宮城が将軍の宿になることから、警備強化のために行ったと考えられますが、正式な手続きを経なかったのは大きな過ちでした。正純は出羽由利5万5000石に転封を命じられてしまいました。まさか自分が訴えられはしないだろうという傲りがあったのでしょう。
正純はこの処分に納得できず、5万5000石の受け取りを拒否します。彼には家康、秀忠に忠義を尽くしてきたという誇りがあったのです。怒った秀忠は正純の嫡男正勝ともども出羽、横手に流罪とします。権力を手にした男が一転、無実の罪を着せられたのです。
事件の「黒幕」は誰なのか
昔から釣天井事件の黒幕は加納御前ではないかという説があります。彼女の娘は初代小田原藩主であり、大久保彦左衛門の甥にあたる大久保忠隣(ただちか)の息子に嫁いだのですが、大久保忠隣は大久保長安事件に連座して失脚しています。実はこれは政敵だった本多正信、正純親子の仕組んだものと信じられており、加納御前は正純のことが大嫌いでした。
正純の前の宇都宮城主が、加納御前の息子・家昌だったことはすでにお話ししました。この家昌の急死により、孫にあたる忠昌が継いだのですが、正純が宇都宮藩主になったことで、忠昌は古河藩11万石に押し出されるかたちになり、加納御前の正純への恨みは大きかったと想像されます。ちょうど弟の秀忠や秀忠の側近たちも、正純を疎ましく思っていたこともあって思惑が一致し、「釣天井事件」がでっち上げられたのではないでしょうか。
【宇都宮城】(別名・亀ヶ岡城)
築城は平安時代末期、築城主は平将門討伐で功のあった藤原秀郷、といわれている。平安時代から慶長2(1597)年、豊臣秀吉によって改易されるまで530年にわたって、宇都宮氏の居城となった。江戸時代は譜代大名の居城として、北関東、東北を見据えての拠点となり、歴代将軍が日光東照宮に参拝する際の宿泊所になった。関東7名城のひとつ。
■宇都宮城址公園・清明館
住所:宇都宮市本丸町、旭1丁目
料金:無料
入館時間:9~19時(櫓などの歴史建築物。展示施設は9~17時)
休日:年末年始
電話:028-632-2529(宇都宮市都市整備部公園管理課管理グループ)
駐車場:城址公園駐車場(無料)
【本多正純】
ほんだ・まさずみ。1565~1637年。永禄8(1565)年、徳川家康の重臣、本多正信の嫡男に生まれる。父同様、知謀家で家康に重用される。家康の死後、2代将軍秀忠に仕える。権勢を誇ったが、しだいに秀忠側近の土井利勝らと対立した。宇都宮城釣天井事件で失脚。出羽国横手に配流され死去。秋田県横手市の横手城に墓があり、連座し同じく配流された息子の正勝も同地に眠る。
松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。
※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載
※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」
(「Webサイト 日本の城写真集」より)