統一感がなく、妙に健康的な繁華街 さて、ノーザンファームを後にした私の、カルチャー・ショックの旅はまだまだ続く。 つむじ風のようなタクシーは再び荒野の直線道路を突っ走り、そのまんま札幌市街へと飛びこんで行くのだから怖ろし…
画像ギャラリーバブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第112回は、「カルチャー・ショックについて」。
北海道は「すぐそこ」の感覚が違う!
生まれて初めて北海道というところに行った。
少年時代から勝手気儘(きまま)な独り旅を好み、長じてはしばしば三度笠をかぶり、現在もいわゆる旅先作家であるというのに、なぜか北海道にだけは渡ったことがなかった。
まこと波瀾万丈の人生で、極楽にも地獄にも行ったが、北海道にだけは行ったことがないというのは、われながら意外である。
ただし遊びではない。れっきとした取材旅行である。JRAからのオーダーで、小説なんぞはたいがいにして牧場訪問をし、帰りがてら札幌記念にドンと張りこんで売上に協力せえ、というわけだ。
折しも出版各社からのオーダーは後も先もわからんくらい猖獗(しょうけつ)をきわめていたのであるが、私の場合なぜか講談社よりも文藝春秋よりも、日本中央競馬会との付き合いが古く、いわんや「週刊現代」よりも「オール讀物」よりも、「優駿」編集部との縁(えにし)が深いので、あらゆる仕事に優先してこれを引き受けた。
初めての北海道。久方ぶりの飛行機。聞くところによるとそこには梅雨というものがないらしい。カニや魚がめっぽううまく、女性はおおらかで美しく、何でもススキノとかいう歓楽街は、新宿と銀座と渋谷を1箇所に集めたようなパラダイスであるという。
有頂天になった私は京浜急行川崎駅から思わず快速特急に飛び乗ってしまい、あれよあれよという間に蒲田を通過して次の停車駅品川から再び引き返すという愚挙を犯した。
知る人ぞ知る遊園地マニアの私は、ジェットコースターを好むがティーカップやマジックハウスを嫌う。つまり速度には快感を覚えるのだが、回り物には弱いのである。かつて後楽園の「魔法のじゅうたん」に搭乗中あからさまにゲロを吐き、機械を急停止させたという逸話は本稿にも書いた。
ということは、私にとって飛行機はバクチに等しい。離着陸は快いのだが、天候の次第によっては大変なことになる。
幸い気圧は安定しており、私は楽しい旅行気分のまま新千歳空港に降り立った。
北海道はデカかった。余りのデカさに、ターミナルから出たとたんつい「ヤッホー!」と叫んでしまい、同行の優駿編集者をたまげさせた。
北海道は寒かった。いかに雨もよいとはいえ、6月末に気温17度とはいったいどういうわけだ。Tシャツに麻のジャケットという私の出で立ちは、ほとんど裸同然なのであった。
予期せぬカルチャー・ショックはさらに続く。
取材地の牧場はすぐそこです、と優駿担当者は言った。東京で言う「すぐそこ」とは、たとえばソニービルから有楽町駅とか、ハチ公前から道玄坂とか、せいぜい新宿駅から歌舞伎町のことを言うのである。銀座4丁目から8丁目の間ですら、誰も「すぐそこ」とは言わない。
タクシーは猛スピードで荒野の道を突っ走る。いつまでたっても「すぐそこ」の牧場に到着しないので、場所をまちがえているのではあるまいかと私は気を揉んだ。北海道の「すぐそこ」とは、そういうものであるらしい。
牧場はデカく、オーナーもデカい
それにしても、一般道を100キロ超えのスピードで走るタクシーは信じ難い。前後の車間が変わらぬところを見ると、あながち伝法(でんぽう)なタクシーというわけではなく、制限速度50キロの道路を100キロで疾走することが北海道のドライバーのマナーであるらしいのだ。
中央分離帯もガードレールもない。ということはタクシーが雨でスリップするか、もしくは対向車のドライバーが居眠りをしたら、私は即座にお陀仏、ということになる。
『勇気凜凜ルリの色』の単行本に「遺作」の黒オビを巻き、講談社がささやかな「浅田次郎ファイナルフェア」を開催するさまなんぞを想像するほどに、私は青ざめた。
ノーザンファームはデカかった。数字で聞かされても全然実感が湧かないのであるが、ともかくここだけで120ヘクタールの広さがあると言う。ここだけで、と言うのは、近隣に点在する社台グループの牧場を合わせれば、700ヘクタールとかいう面積になるのだそうだ。
私にとっての「ヘクタール」という単位は、「ヘクトパスカル」とか「デジベル」とかいうのと同じで、ほとんど「不可思議」なのであった。ちなみに、広さを表す単位で言うのなら、私は只今『蒼穹の昴』の印税を元手に「30坪」ぐらいの土地を探している。とりあえず「ヘクタール」は「坪」よりデカい単位であるということはわかる。
面会に応じて下さった牧場オーナーの吉田勝己氏もデカかった。体もデカく、声もデカく、顔もデカい。当然のことながら、人物のデカさもただものではなかった。話すほどに何だか叱られているような気分になり、体も声も顔も完全なる四畳半サイズの私は、すっかり萎縮してしまった。
牧場探訪の内容については「優駿」8月号に詳しい。
統一感がなく、妙に健康的な繁華街
さて、ノーザンファームを後にした私の、カルチャー・ショックの旅はまだまだ続く。
つむじ風のようなタクシーは再び荒野の直線道路を突っ走り、そのまんま札幌市街へと飛びこんで行くのだから怖ろしい。しかも信号は赤に変わってから数秒の間は走り続けてもかまわぬらしく、青に変わりそうになったら即座にスタートしても良いらしい。もちろんUターンなどもどこであろうとおかまいなしで、正確に守られている交通法規といえば、一方通行ぐらいのものであった。
すべてがデカく、かつダイナミックであった。この分だとホテルの部屋は百畳ぐらいあり、ルームサービスにはホステスまで現れるのではなかろうかとひそかに期待したが、宿は全国共通規格のワシントンホテルであった。
夜も8時だというのに空が青かった。時計がブッこわれたのかと疑ったが、実は緯度のせいでいつまでたっても日が昏(く)れぬのである。
で、シャワーもそこそこに噂のパラダイス、ススキノへと向かった。
またしてもデカい。ほとんど仰天絶句のデカさである。銀座と新宿と渋谷を足したぐらいの広さというにはまあオーバーにしても、まちがいなくそれらひとつひとつの比ではない。
おまけにケバい。競い立つビルにはどう見ても普通のオフィスらしきものが見当たらず、地下からてっぺんまで、窓々はくまなくきらびやかなネオンに彩られている。
そしてよくよく見れば、それらの遊興施設の配置には、てんで統一性というものがない。
ふつう東京の盛り場では、ソープはソープの区域に、バーはバーばかりのビルに、赤ぢょうちんの飲み屋はそれらしい場所に固まっているものだ。しかし札幌ススキノの場合、まったく無作為に、まったく任意に、それらが混在している。たとえば、まことに有り得べからざることではあるが、1軒の雑居ビルにラーメン屋とコンビニとバーとソープランドとゲームセンターと焼き鳥屋が、てんでにネオンを掲げているのである。
もしかしたら札幌には警察も消防署もないんじゃねえか、と私は思った。少くとも道路交通法と消防法がないことは確かだ。
カニを山のように食らい、ウーロン茶を牛飲しつつ涯てもないススキノを徨(さまよ)い歩くうちに、私はもうひとつ、この町の特色に気付いた。
夜も更けた時刻であるというのに、ジジイがいない。禿頭が恥ずかしいくらい、若者ばかりが溢れ返っているのである。すなわち、ケバいわりには猥雑感がなく、妙に健康的な雰囲気なのであった。東京や大阪の盛り場にはありがちの背徳と犯罪の匂いが、ススキノにはまったく感じられなかった。
もしかしたら、ここは警察も消防も必要のない、理想の繁華街なのではなかろうかと私は思った。
週末の土曜と日曜を、札幌競馬場のゴンドラ席で過ごした。何だってデカいのだから、きっと配当もデカかろうという甚(はなは)だ非合理的な根拠により、馬番連勝6万円台という超万馬券を、またしてもヤマのように取った。
北海道はいいところだ。東京の猫の額の土地さがしなどやめて、札幌郊外に庭付きの家でも買うか―—。
(初出/週刊現代1996年8月10日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。