松平定知の「一城一話55の物語」

加藤清正は人生最後に何を思ったか 熊本城と「せいしょこさん」

熊本城(「Webサイト 日本の城写真集」より)

『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

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『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。

「穴太衆」が築いた石垣

2016年4月の熊本地震で、大きな被害を受けた熊本城。被災からしばらくしてライトアップされた時には、県民に笑顔が戻りました。やはり熊本城は熊本のシンボルであり、県民のよりどころなのですね。

熊本地震で被害を受けた熊本城の宇土櫓(うとやぐら) Photo by Adobe Stock

その熊本城を築城したのが加藤清正です。地元では清正公(せいしょこ)さんと親しみを持って呼ばれています。加藤清正が肥後にやってきたのは天正16(1588)年で、慶長6(1601)年から築城を開始し、慶長12(1607)年に完成しています。清正流(せいしょうりゅう)と呼ばれる、石垣の上に望楼型の巨大な大天守、小天守、宇土櫓が揃った姿は、まさに圧巻です。

また、自然石を積み上げる近江国の専門集団「穴太衆(あのうしゅう)」が築いた石垣は武者返しと呼ばれ、上にいくほど反り返りがきつく、忍者でさえも引き返さざるをえなかったことから、その名があります。実際に武者返しを見ると、よくぞ自然石でこんなに見事な石垣ができるものだと感心させられます。熊本地震で被害を受けた石垣の修復にも、穴太衆の末裔の石工職人の方たちが協力されたそうです。

西郷軍の猛攻で本丸が焼ける

熊本城は西南戦争の際、新政府軍が籠城し、西郷軍の猛攻を受けて本丸の大部分が焼けましたが落城せず、さすが築城の名人・清正の作った城だと賞賛されました。熊本地震までは宇土櫓のほか12基の櫓が現存し、清正流と呼ばれる石垣もほぼ完全な形で残っていました。

また、平成24(2012)年には、熊本城築城400年を記念して本丸御殿が復元され、最も格式の高い昭君之間(しょうくんのま)も完成しました。これは豊臣秀吉の遺児である秀頼を熊本城に招き入れるための部屋であるといわれています。

熊本城(2021年撮影) Photo by Adobe Stock

秀頼の成長を願った

加藤清正は、朝鮮出兵以来石田三成との対立が顕著となり、関ヶ原の戦いでは家康側につき、東軍の九州平定でも活躍します。そのいっぽうで秀吉の遺児である秀頼が無事に成長するよう、ほかの誰よりも腐心しました。

関ヶ原の戦いに勝利して征夷大将軍になった家康は、4年後には息子秀忠に将軍職を譲り、静岡・駿府城で大御所として実権を握っていました。家康に残された最大の仕事は、豊臣家をどうするか。つぶしてしまうのか、一大名として生かしておくのかということでした。

熊本城(2021年撮影) Photo by Adobe Stock

歌舞伎にもなった二条城の会見

大坂方は秀頼の母である淀殿を筆頭に、本来家康は秀頼の家来であり、政権を簒奪(さんだつ)した裏切り者だと見ていました。また、加藤清正や福島正則、前田利長、浅野幸長といった豊臣恩顧の大名がまだ存命でもあり、家康の言うことは聞くが、秀頼には指一本触れさせないという雰囲気も濃厚でした。

家康は、自分のほうが秀頼よりも上位であることをはっきりさせるため、秀頼に上洛を求めましたが、淀殿の強硬な反対で実現しません。二度目の要請も断ろうとする淀殿を加藤清正をはじめ、豊臣恩顧の大名たちはこのままでは戦争になると淀殿を説得し、清正が「自分の命にかけても秀頼を守るから」と言って、ようやく会見にこぎつけます。これが慶長16(1611)年の二条城会見です。その時の加藤清正の決意と行動は、歌舞伎の『二条城の清正』にもなっています。

短刀を懐に入れて

清正は、秀頼の身に万が一何かあれば家康と差し違えるべく、短刀を懐に、秀頼の後見人として会見に同席したのです。この直後、50歳でこの世を去った清正にとって、まさに人生最後の晴れ舞台だったといえるでしょう。

おそらく清正は、堂々たる体躯の秀頼の姿を見せることで、豊臣家の安泰をアピールする狙いがあったのだと思います。実際、秀頼は、口上も仕草も実に立派な18歳の若者でした。それがかえって69歳の徳川家康をして、「自分が死ねば再び豊臣の天下になってしまうかもしれない」という危惧を抱かせ、その結果が後の大坂攻めとなったのは、皮肉なことでした。

熊本城の夕景(2009年撮影) Photo by Adobe Stock

熊本城に戻る船中で急死

清正は、秀頼を無事に大坂城の淀殿に送り届けた後、熊本城に戻る途中の船で急死しました。

遺言や辞世の句もないほどの突然の死で、一説には徳川方が毒を盛ったともいわれますが、清正の死以降も、豊臣恩顧の大名が次々に亡くなり、家康は大坂冬の陣、夏の陣に突き進むことになります。

熊本城(2021年撮影) Photo by Adobe Stock

【熊本城】(別名・銀杏城[ぎんなんじょう])
大坂城、名古屋城とともに日本三名城のひとつ。東京ドーム21個分98万平方メートル、周囲5.3kmという広大な敷地に大小の天守閣と櫓19、櫓門18、城門29を備える。慶長6(1601)年に加藤清正がこの地にあった隈本城を改修し、築城。明治10(1877)年の西南戦争では西郷軍の猛攻に耐え、その強固さが証明された。籠城戦に備えて加藤清正が食糧確保に備えて植えた銀杏から別名銀杏城の名前がある。(平成28年の地震で大きな被害を受け、復興中で立ち入り制限区域があります)
住所:熊本市中央区本丸1‐1
電話:096ー352ー5900(熊本城総合事務所)

本丸御殿
古文書や発掘調査によって築城当時を復元した本丸御殿。熊本城築城400年を記念し、2012年に完成した。漢の時代の悲劇の美女、王昭君(おうしょうくん)が描かれた昭君之間(しょうくんのま)は「将軍の間」の隠語で、豊臣秀吉の遺児である秀頼を熊本城に招き入れるために作ったといわれる。

武者返し
近江国から加藤清正が連れてきた自然石を積み上げる専門集団「穴太衆(あのうしゅう)」が築いた熊本城の石垣。上にいくに従って勾配がきつくなる特徴を持ち、武者返しと呼ばれる。下部は約30度で上部はほぼ垂直となる。

【加藤清正】
かとう・きよまさ。1562~1611年。秀吉とは遠縁の親戚にあたり、秀吉と同じ尾張の中村に生まれる。秀吉の妻おねに福島正則らとともに育てられる。賤ヶ岳の合戦で七本槍に数えられる活躍を見せる。秀吉の九州平定で肥後北半国を与えられ、治山治水に努め領民から愛された。朝鮮出兵では虎退治をした逸話が残るほどの活躍を見せるも、石田三成と対立し、豊臣政権崩壊の遠因を作る。関ヶ原合戦後は秀吉の遺児、秀頼を支え、秀頼と家康が二条城で会見する際は、秀頼の身に何かあれば、家康と差し違える覚悟だったとされる。なお清正はセロリを朝鮮から持ち帰ったとされ、「清正人参」はセロリの別名だ。

松平定知さん

松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。

※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載

※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」

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