パソコンという、出会う前には戻れない家電【シャープさんの「家電としあわせ」第4回】

 一度それに触れてしまうともう後戻りできないような出会いをしたことがあるだろうか。いきなり質問するくらいだから、私にはある。自分の人生を振り返ってみると、あれが決定的な出会いだったのだろうと、心当たりがいくつか思い出され…

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 一度それに触れてしまうともう後戻りできないような出会いをしたことがあるだろうか。いきなり質問するくらいだから、私にはある。自分の人生を振り返ってみると、あれが決定的な出会いだったのだろうと、心当たりがいくつか思い出される。

■「人生の分岐点」と呼ぶにはあまりに唐突な出会いと変化

 その日を境に、それまでの私とそれからの私が別人になってしまうような更新。さっきまでの自分をもうすでに思い出せなくなるような前進。現在の私が過去の私と未来の私の架け橋を放棄するような変身。

 出会ってしまうと、言いしれぬ影響をもたらし、自分の内面が決定的に変化してしまうできごとや存在が、私たちの人生にはある。しかも変化してしまうと、私たちは変化する前には決して戻れない、不可逆な自分へ上書きされるのだ。

 たとえば私にとっての何冊かの本、何本かの映画、それから数曲の音楽といくつかの芸術作品がそれである。それぞれ別のタイミングで私と出会い、ぶん殴るように私へ影響をあたえた。ぼんやり道を歩く私は、何度も出会い頭の事故に遭い、怪我が癒えるたびに不可逆な自分へと変貌しながら、断続的に自分を維持してきたのだ。もちろん出会い頭の事故とはいい意味での比喩だが、あの衝撃を考えれば、よく生き延びられたものだと思う。

 それは人生の分岐点というにはあまりに唐突すぎて、どちらかというと強制的に列車の進行が切り換えられるような、レールのポイントのように思えてくる。かんたんに言ってしまえば、「あれがなければいまの私はない」という地点のことなのだろう。

 そもそも芸術や創作といわれる行為が、同時代の、あるいは時空を超えた、どこかのだれかに個人的で不可逆な影響を与える祈りなら、作者にとってまさに私は、その成果物といえる。もし与えた影響の多さゆえに作品が後世に遺されていくのなら、世に名作と評されるものが膨大にあることを考えるに、私と同じような人はたくさんいるにちがいない。

 一方、不可逆な出会いとして、表現や作品ではなく、人を挙げる場合もあるだろう。だれだって「あの人がいなければいまの私はない」と振り返られる、あなたがいつでも大切に思う人がいるはずだ。

 それは家族や友人にかぎらない。死んでしまった人や歴史上の人、先生と呼ぶような人あるいは今なら推しと呼称されるような人だって、あなたを別のあなたに変えてしまうような、不可逆な影響を与えることがある。

 だから私は、家電に「あれがなければいまの私はない」と述懐する人がいても不思議ではないと思うのだ。現に私は、自分の勤める会社がはるか昔に作った家電へ、たくさんの人が敬意と情熱の入り混じった述懐を寄せる光景に立ち会ってきた。

■「カイシャ」という怪物がだれかの人生を変えること

 1978年にシャープが発売したMZシリーズというパソコンがある。パソコンだから家電と呼ぶと語弊があるかもしれない。実はパソコンと呼ぶのも語弊がある。なぜならその頃はまだ、パソコンという概念が確立していなかったからだ。

 パソコンの夜明け前ともいえる時代。MZと同時期に発売されたいくつかのマシンによって、当時の(おそらく若く、そしてごく少数の)者たちが、出会い頭にパソコンという概念に触れたらしい。

 およそ半世紀前の、しかも自分の働く会社に関する史実が伝聞調なのは、もちろん私が当事者でなかったこともあるが、私が当時の様子を個人的な「思い出」として、SNSを通して断片的に伝え聞いてきたのが大きな理由だ。そして思い出の内容は、おどろくほど「あの時にあのマシンを触らなければ、私はいまの仕事をしていなかった」という述懐に回収される。

 その述懐の中には、いまやだれもが知るアニメーション作家やITの企業家、それから巨匠と呼ばれるような漫画家たちが、私がはじめて出会ったパソコンとして表明されている。おそらくあなたの周囲でも、いまプログラムと呼ばれるスキルを手にバリバリ活躍されている年長者がいるなら、「あれがなければいまの私はない」と吐露してくれる人がいるはずだ。MZがレールのポイントだったと胸に秘めながら社会で活躍する人が、おどろくほどたくさんいるのだ。

 人でもなく、作品でもなく、家電という無機質なモノが、ある時代のどこかのだれかを不可逆的に変えてしまうことがある。そのことを私は知っている。不可逆な影響をいくつか抱えてきた私は、当時の衝撃と、ワクワクや情熱をありありと想像できる。

 光栄にも私は仕事を通して、自分の働く会社の製品が他人の人生を不可逆に変えることを知った。それはカイシャという一見無人格で、ただ一意に営利しか追及しない怪物のような存在が、時に芸術にかぎりなく近いなにかを産むことがあると知る体験だと思う。以来私は、家電を単なる機能の集積物と見られなくなった。家電に、不可逆な愛情と尊敬を感じるようになったのである。

文・山本隆博(シャープ公式Twitter(X)運用者)
テレビCMなどのマス広告を担当後、流れ流れてSNSへ。ときにゆるいと称されるツイートで、企業コミュニケーションと広告の新しいあり方を模索している。2018年東京コピーライターズクラブ新人賞、2021ACCブロンズ。2019年には『フォーブスジャパン』によるトップインフルエンサー50人に選ばれたことも。近著『スマホ片手に、しんどい夜に。』(講談社ビーシー)

まんが・松井雪子
漫画家、小説家。『スピカにおまかせ』(角川書店)、『家庭科のじかん』(祥伝社)、『犬と遊ぼ!』(講談社)、『イエロー』(講談社)、『肉と衣のあいだに神は宿る』(文藝春秋)、『ベストカー』(講談社ビーシー)にて「松井くるまりこ」名義で4コママンガ連載中

■シャープさんの「家電としあわせ」シリーズ

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