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 一度それに触れてしまうともう後戻りできないような出会いをしたことがあるだろうか。いきなり質問するくらいだから、私にはある。自分の人生を振り返ってみると、あれが決定的な出会いだったのだろうと、心当たりがいくつか思い出される。

■「人生の分岐点」と呼ぶにはあまりに唐突な出会いと変化

 その日を境に、それまでの私とそれからの私が別人になってしまうような更新。さっきまでの自分をもうすでに思い出せなくなるような前進。現在の私が過去の私と未来の私の架け橋を放棄するような変身。

 出会ってしまうと、言いしれぬ影響をもたらし、自分の内面が決定的に変化してしまうできごとや存在が、私たちの人生にはある。しかも変化してしまうと、私たちは変化する前には決して戻れない、不可逆な自分へ上書きされるのだ。

 たとえば私にとっての何冊かの本、何本かの映画、それから数曲の音楽といくつかの芸術作品がそれである。それぞれ別のタイミングで私と出会い、ぶん殴るように私へ影響をあたえた。ぼんやり道を歩く私は、何度も出会い頭の事故に遭い、怪我が癒えるたびに不可逆な自分へと変貌しながら、断続的に自分を維持してきたのだ。もちろん出会い頭の事故とはいい意味での比喩だが、あの衝撃を考えれば、よく生き延びられたものだと思う。

 それは人生の分岐点というにはあまりに唐突すぎて、どちらかというと強制的に列車の進行が切り換えられるような、レールのポイントのように思えてくる。かんたんに言ってしまえば、「あれがなければいまの私はない」という地点のことなのだろう。

 そもそも芸術や創作といわれる行為が、同時代の、あるいは時空を超えた、どこかのだれかに個人的で不可逆な影響を与える祈りなら、作者にとってまさに私は、その成果物といえる。もし与えた影響の多さゆえに作品が後世に遺されていくのなら、世に名作と評されるものが膨大にあることを考えるに、私と同じような人はたくさんいるにちがいない。

 一方、不可逆な出会いとして、表現や作品ではなく、人を挙げる場合もあるだろう。だれだって「あの人がいなければいまの私はない」と振り返られる、あなたがいつでも大切に思う人がいるはずだ。

 それは家族や友人にかぎらない。死んでしまった人や歴史上の人、先生と呼ぶような人あるいは今なら推しと呼称されるような人だって、あなたを別のあなたに変えてしまうような、不可逆な影響を与えることがある。

 だから私は、家電に「あれがなければいまの私はない」と述懐する人がいても不思議ではないと思うのだ。現に私は、自分の勤める会社がはるか昔に作った家電へ、たくさんの人が敬意と情熱の入り混じった述懐を寄せる光景に立ち会ってきた。

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■「カイシャ」という怪物がだれかの人生を変えること...
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山本隆博
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