蕎麦屋の一品の中でもファンが多い〈そばがき〉は、なんといっても薫る風味が身上。また、形状や食感もさまざまで、店ごとの個性が窺えるのも面白い。そんな奥深い〈そばがき〉を、歴史も踏まえて考察してみたい。 撮影/貝塚 隆 取材/岡本ジュン
画像ギャラリー室町砂場 赤坂店(最寄駅:赤坂駅)
蕎麦湯に浮くこれぞ王道の“ザ・古典”
江戸蕎麦御三家の流れをくむ『室町砂場 赤坂店』では、風味の強いもり蕎麦用の蕎麦粉を蕎麦湯で練る。丸く整え、箸で切りやすいように放射状に切れ目を入れる。
蕎麦湯に浸かっているのは温かいまま提供するためだ。だからこそ程よい弾力があっても舌触りはごく滑らか、つるりとのど越しよくいくらでも食べられそうだ。薬味はネギ、大根おろし、わさび。
東白庵 かりべ(最寄駅:神楽坂駅)
まるでムースのごとき食感の”ふわとろ”
『東白庵 かりべ』の、熱湯を加え一気に高速で掻くそばがきは、空気を含んで驚くほどふんわり。まるで赤ちゃんのほっぺたのように柔らかく、口の中でとろりとほどける独特のテクスチャー。
この食感が評判を呼び、これを目当てに来る客も多い。蕎麦粉はせいろと同じ長野県黒姫産と新潟県塩沢産のブレンドで、香りと味のバランスがいい。ダシ醤油かそばつゆをお好みで、薬味はネギとわさび。
蕎亭 大黒屋(最寄駅:浅草駅)
蕎麦の香り弾ける”粗挽き”
『蕎亭 大黒屋』名物の粗挽きそばがきに使うのは妙高山麓で昔から栽培されてきた希少な「こそば」。それを主人の菅野成雄さんが自ら目立てした石臼で挽き、美味しさを最大限に引き出している。
専用の土鍋で掻いて熱々で出すそばがきは、力強い香りとつきたての餅のような食感に驚かされる。旨みが濃いのでそのままでも絶品だが、ダシ醤油や国産きなこも添えられている。
蕎麦食の原始の姿にして 奥深きはそばがきの世界
そばがきは実にシンプルな料理といえる。蕎麦粉を蕎麦湯や水などで練ったもので、蕎麦食の原始的な食べ方であり、当然ながら蕎麦切りよりも歴史は古い。石臼の登場で蕎麦粉が普及した初期の頃から、蕎麦の産地では常食のひとつとされてきた。そこで「カイモチ」「カッケ」「ソバネリ」などさまざまな地方名が残っている。現代の蕎麦屋では主役の蕎麦切りの陰に隠れた存在であるが、実は各店ごとに工夫を凝らしているので、食べ比べてみると面白い。
「そばがきは水分量が大切。多すぎると水っぽくなり食べ応えがありません。少ないと固くなってしまいます」と話すのは『室町砂場 赤坂店』主人の村松豊さん。老舗蕎麦店らしく箸でちょうどちぎれるほどの固さで蕎麦湯に浸して提供する。一方、『東白庵 かりべ』は現代的ともいえるスフレのようなふわふわ感で、調理時間はなんと約20秒。「蕎麦は火が入るほどに香りが飛びますので早さが命です」と店主の苅部政一さん。希少な在来種「こそば」を粗挽きでそばがきに仕立てるのは『蕎亭 大黒屋』。粗挽きならではの蕎麦そのものをダイナミックに味わう美味しさがある。「もちもちしたねばりや甘みの強さは『こそば』ならではの特長です」と主人の菅野成雄さん。
味付けもそれぞれに工夫があり、かえしを使ったつゆを添えたり、生醤油やダシ醤油であったり、『蕎亭 大黒屋』のようにきなこをつけるとデザートのようにもなる。薬味のネギは蕎麦よりもむしろ合うし、大根おろしやわさびも塩梅がいい。
一見すると野暮ったい形態のそばがきだが、実は蕎麦切りよりも蕎麦の味がダイレクトに味わえるので、その店の蕎麦を知るには絶好のメニューである。「修業先の『竹やぶ』では、新そばが入荷するとまずそばがきを作って試食し、蕎麦の特長を確かめていました」と教えてくれたのは苅部さんだ。そばがきは蕎麦100%で作り、蕎麦切りのように茹でないので味が逃げず、香りも飛びにくい。従って蕎麦本来の味がよく分かるという。シンプルな調理法であるがゆえに、職人の心意気が現れる奥深きそばがき。蕎麦の香り豊かな新蕎麦のこの時期にこそ、味わいたいというものだ。
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