ワインは「人の心を開く飲み物」 ここからはワインという飲み物の本質に関わるいささか哲学的な話になってしまうが、僕はワインの根本は「人の心を開く飲み物」だと思っている。何千もの異なる品種、果てしない土地それぞれの個性、さま…
2月半ば、東京・恵比寿に先進的なワインショップがオープンした。店の名前は「wine@EBISU」。
無料の「ワイン診断」で自分の好みを知る
開店の明くる日、覗きに行ってみた。場所は恵比寿駅西口から歩いて1分の雑居ビルの3階。普通はショップを開くなら1階じゃないのと考えつつ、エレベーターに乗り込む。ドアが開いて、目に飛び込んできたのはL字形をしたバーカウンターだった。ウィローグリーンのシャツを着たスタッフが迎えてくれる。
「まず、このQRコードをスマホで読み込んでください」
言われるままに読み込むと、同店のサイトの〈カルテ〉というページが開く。〈あなたに合ったワインがみつかるパーソナライズワイン診断〉と書いてある。なにやらにわかにワクワクし始めたぞ‥‥。
無料のワイン診断は、15問の簡単な質問からできている。例えばこんな感じだ──
〈好みの香りを選んでください(選択肢:レモン、グレープフルーツ、リンゴ、パイナップル、桃、ライチ、ハーブ、ジンジャー、紅茶、ハチミツ、バニラ、ナッツ、青草、潮の香り)〉
〈しいたけの煮物と卵焼き、どちらが好みですか?〉
〈酢の物とごま和え、どちらが好みですか?〉
〈レモン味のジェラートとミルクのジェラート、どちらが好みですか?〉
〈ピーマンとゴボウ、どちらが好みですか?〉
〈さばの味噌煮と白身魚のムニエル、どちらが好みですか?〉
〈カルボナーラとペペロンチーノ、どちらが好みですか?〉
かつて雑誌などでよくあったYES /NO式の性格診断チェックを受けるような、懐かしい気分を味わううちに僕自身のカルテが出来上がった。カルテは白/赤/スパークリングの項目に分かれ、ちなみに僕の白の好みは「W06香ばしいエレガント系」、赤の好みは「R13深みのある大人系」と示された。W=白、R=赤、数字は38通り(白13、赤13、ロゼ4、スパークリング8)あるワインの味わいのタイプを示す。カルテのページにはタイプの分布する様を球体で示したチャートがあり、僕の好みのタイプに「1」「2」「3」と優先順位を示す数字が振られている。
30種類のワインサーバーから注いで、試せる!
店内奥にはワインのサーバーがずらりと並んでいる。その数30種。客は事前に購入したコイン(1枚275円で1杯分=20ml、7枚だと1650円と割安に)を使って、サーバーからグラスにワインを注ぎ、自分のワイン診断を確認することができる。診断通りで気に入ったら併設のショップやオンラインショップで当該のワインをボトルで買い求めることができる。ショップには常時800種類(20カ国、150品種以上)のワインが揃う。
面白いのは、実際に飲んだワインの評価を書き込むことでカルテのデータを更新・補正できることだ。つまり飲めば飲むほど、データは確度を増し、あなたの嗜好そのものに近づいていくということ。
「このカルテのための独自のアルゴリズムを創るのに一番骨が折れました」と、経営元の株式会社ブロードエッジ・ウェアリンク取締役の加藤勝也さんは言う。ワイン専門誌での経験もあるプロ中のプロで、今回はワイン診断の設計とワインの分類の陣頭指揮に当たった人だ。通常ワインの味わいを表すチャートは、赤ワインならX軸で「重さの度合い」をY軸で「果実味/渋味」を表す2次元的なものだが、加藤さんらはそれではワインの複雑で多様な味わいの全容は表現できないと感じ、より立体的な表現を目指した。「まろやか」「エレガント」「大人系」「旨み」といった形容は加藤さんの言うチャートの奥行きによって表される部分だ。
グラスを持ってサーバーのところに行き、僕自身のカルテに「好み」と示されたタイプの白・赤3種ずつのワインを注いでテイスティングしてみた。白は、カルフォルニアのシャルドネ、カリフォルニアの別のシャルドネ、そしてシャブリ。赤は、ブルガリアのボルドーブレンド、プロヴァンスのバンドール、カリフォルニアのカベルネ・ソーヴィニヨン主体だった。すでに飲んだことのあるワインもあり、見たこともないワインもあった。並んだ6つのグラスを眺めると、「これが僕か」と、しみじみとした感興が湧いた。
飲んでみてふと思ったのは、「ワインを飲み始めた頃に、こういうワインをよく飲んだな」ということ。ある意味で、このワイン診断は正鵠を射ていたと言えるだろう。ただ一方で、「でも、最近はこういうワインは滅多に飲まないな」とも思った。
ワインは「人の心を開く飲み物」
ここからはワインという飲み物の本質に関わるいささか哲学的な話になってしまうが、僕はワインの根本は「人の心を開く飲み物」だと思っている。何千もの異なる品種、果てしない土地それぞれの個性、さまざまな醸造スタイル、造り手の技量や意向、それらの掛け算によって生まれる無限のバリエーションを楽しめること──それがワインの最大の魅力だろう。僕はよく「ワインは合法的浮気である」とも言っているのだが、今日の気分や体調、目の前にある料理と合うワインと明日のそれは全く別物である可能性が高い。淑女も、悪女も、心の赴くままに愛して良いのがワインを飲むことの豊かさだ。
一方で、同じ人間であっても、30代で好みだったワインを50代でも楽しめることは稀だろう。この日、受けたワイン診断にはそのあたりの「変数」が盛り込まれるべきではないか? その疑問を加藤さんにぶつけてみたところ、彼もその点は承知していて、まずはワイン選びを煩雑で面倒だと思っている人を対象とし、彼らを解放することを狙った、と説明してくれた。2度目以降には、飲んだワインの評価が蓄積すること、他人の評価まで反映されていくことで、カルテの精度が高まっていく。将来的にはさらに別の「軸」を診断に加えることで、ワインを飲み慣れた人にもドンピシャ感の得られる分析ができるようになるという自信はあるようだ。
思えば、このワイン診断は腕利きによる占いや心理療法士によるセラピーと似ているかもしれない。当たった感じが強ければ強いほど、人は「私のことを理解してくれている人がいる」と思え、脳内には多幸感をもたらす物質が分泌する。何かとストレスフルな時代である。ヤケ酒とは全くベクトルの異なる癒し飲みの可能性については一考すべきだろう。
約1000軒の飲食店と提携、BYOを推進
この店の取り組みでもう一つ面白いのは、都内約1000軒の飲食店と提携して、BYO(持ち込み)を推進していることだ。実はBYOについては僕も以前からその意義を痛感し、個人的に普及活動をおこなってきたのだ。BYO(bring your own)とは客が飲食店に自分の好みのワインを持ち込むことだ。店側は1本につき1000〜3000円程度の「抜栓料」を取る。
「BYO先進国」であるオーストラリアの実情をシドニー在住でワイン卸業に従事するフロスト結子さんに訊いてみた。
「以前は飲食店がリカーライセンス(酒販免許)を取るのがすごく面倒で、お金もかかり、それで店側はグラスや氷などだけ出してお酒は客が持ち込むという習慣が広まったようです。1965年から始まったという話があります。今は、ワインリストに個性を出したいというお店も増えて、BYOは減少傾向にありますが、まだまだ多いですね。現在でもBYOを認めている店は、ワインリストを作るリソースのないカジュアルな店か、ワインリストは持っているが、顧客に面白いワインを持ち込む機会は提供したいという店のどちらかだと思います」
シドニーにおける抜栓料のスタンダードは、1本10〜15AUD(約800〜1200円)とのこと。物価の高いオーストラリアにしては安めの設定に見える。レストランによっては平日のみ「BYO歓迎」にして、集客の一策にしているところもあるそうだ。
市販価格の2倍か、それ以上
話を恵比寿に戻そう。wine@EBISUの立ち上げメンバーの一人でBYO加盟店の拡充に奔走した永松太郎さんによると、恵比寿エリアだけで加盟店の数は約170店に上るという。
「コロナ以前はBYOの利点が飲食店側に浸透していないこともあって、10数店のみだったのですが、コロナ禍で状況が一変しました。飲食店側にとっては在庫管理の必要がないのが最大のメリットです。時短要請などでワイン在庫がいつ解消できるか見通しがつかず、皆さん頭を抱えていましたから」
従来、高級レストランではワインの価格は市販価格の2倍か、それ以上であることが多かった。例えば町場のワインショップで4000円のワインは、レストランのワインリストでは8000〜10000円の値が付いている。これに対し、BYOで同じ価格のワインに2000円の抜栓料(=6000円)ではレストラン側に儲けがほとんど出ないように思える。が、実際は管理費・人件費などの諸経費が浮くことでレストラン側にも十分利益が出るとのこと。
顧客の側に立てば、今の時代、ワインの原価はスマホで瞬時に調べることができる。市販価格の2倍という数字に違和感を持つ人が増えたのは無理からぬことだろう。ソムリエがいるような店では「プライド」が邪魔をすることはあるだろうが、そこさえクリアすれば、BYOは顧客・店側双方にメリットがあるように見える(ちなみにブロードエッジ・ウェアリンクの親会社は元々、物流施設を含む不動産関連が主業である。wine@事業には最初から在庫管理できるスペースが組み込まれていたのだ)。加盟店リストにはこちらが思わず二度見してしまうような有名店の名前も並ぶ。
問題は顧客にとってワイン選びが容易でないことだが、その点はくだんのカルテがものを言うというわけだ。wine@EBISUのワインディレクターで、800種の品揃えにも大きく関わる林やよいさんは、その道では広く知られた「ワイン売場作りのエキスパート」だ。ワインのセレクトに当たっては、知名度や権威といった枠を取り払い、ワインそのものの価値を見極め、料理とよく合って、少人数でも楽に1本飲めてしまうようなドリンカブルなものを選ぶよう心がけたと言う。彼女にワインカルテを差し出し、その日の食事内容を告げれば、条件に即した1本をたちどころに提案してくれるだろう。
想定されるwine@の利用法はいくつか考えられる。店に来て、ただワインを飲むというのももちろんありだ。ワイン診断は、デートや仲間とのアペリティフを大いに盛り上げてくれるだろう。来店してワインを選び、それをBYO加盟店に持ち込んで料理と共に楽しむのが常道だろう。行く店が決まっていない人は、BYO加盟店のリストから選ぶ手もある。あるいは、加盟店に席を取り、その場からスマホでワインを選べば、無料でボトルをデリバリーしてくれるサービスもある。ビジネスシーンにおいては、接待相手とwine@EBISUで待ち合わせ、ワイン診断をしてもらって相手の好みのワインを入手する「ゼロ次会」的な使い道もある。
この店の次なる展開は、恵比寿以外のエリアにも拠点を増やし、wine@…の「…」にどんどん新たな地名を入れていくことだ。ワイン選びのハードルが下がり、BYOが普及すれば、外食産業全体にも大きなインパクトを与えることになるだろう。
僕はこの日、セラーからカルテの推奨するワインとは対極の特徴を持ったイタリア北部の赤ワインを1本選んで買って帰った。天邪鬼と言うなかれ。好みのワインを知るは真の己を知ることなり。
ワインの海は深く広い‥‥。
Photo by Yasuyuki Ukita, wine@EBISU
浮田泰幸
うきた・やすゆき。ワイン・ジャーナリスト/ライター。広く国内外を取材し、雑誌・新聞・ウェブサイト等に寄稿。これまでに訪問したワイナリーは600軒以上に及ぶ。世界のワイン産地の魅力を多角的に紹介するトーク・イベント「wine&trip」を主催。著書に『憧れのボルドーへ』(AERA Mook)等がある。