1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第5回は、浅田さんが愛してやまないB 級グルメについて語ります。旨い店の話は食欲をそそりますが、究極にまずいB級グルメ体験がツボです。
画像ギャラリー「グルメについて」
私がB級グルメを好む理由
私は典型的なB級グルメ党である。
つまり、「高くてうまいもの」にはさしたる興味を示さず、「安くてうまいもの」にすこぶる感動を覚える。
なお念のため言っておくが、もちろん「高くてうまいもの」が嫌いなわけではない。本稿を読んだ編集者たちがあらぬ誤解をして、週に一度の楽しみである理由なき晩餐に誘ってくれなくなったら大変だから、それだけはまず言っておく。
要するにA級よりB級を好むというのは、味覚というより趣味の問題なのである。A級はうまくて当然なのであるが、B級には「うまいかまずいかわからん」という投機的興味があり、果たしてうまいときにはものすごく得をした気分になる。まずけりゃまずいで、まあ笑い話にもなる。そうした点で、B級グルメ志向は一種の冒険と言える。
では、A級とB級のちがいは何かというと、読者の間には異論もあると思うが、私は極めて単純明快に物事を考える癖があるので、「値段のちがい」とハナから決めている。
私的基準によれば、1食1万円以上がA級で同千円以下がB級なのである。この際、ナゼ中抜きかというと、やはり明快な理由がある。特定の品目(たとえば日本ソバ、ウナギなど)を除き、1001円以上 1万円未満の食事は「A級の手抜きメニュー」もしくは「B級の背伸びメニュー」と決めつけているので、ほとんどわがグルメの対象とはならない。
1食1000円以下という厳格な基準のもとにB級グルメを探訪し、思わず唸るような美味を発見したときの感動といったらたとえようもない。歓喜の一語に尽きる。
病みつきになるカツカレー
さて、ここまで書いてしまえば「浅田次郎のおすすめB級グルメ」を紹介せぬわけには行くまい。100万読者が殺到しないことを信じて、地元神田から極めつきの2軒を紹介する。
まず駿河台下すずらん通りの中ほどに、私のガキの時分から毛ほどもちがわぬ味を提供し続けている「キッチン南海」。ここのカツカレーは絶品である。
長蛇の行列をたどって店内に入ると、カウンターの中には絶対に笑わぬコックが4人、忙しく立ち働いている。無愛想なのではない。笑う余裕などないほど緊張してカレーを作っているのである。店長と覚しき人物の目付きなど、まるで鷹匠か棋士のようで、白衣の背中は旗竿でも立てたようにいつもピンと伸びている。
数十年も変らぬメニューはどれもうまいが、ことにカツカレーは一度食ったら病みつきになる。ガキ、学生、自衛官、渡世人、小説家と、人生の有為転変に拘(かかわ)らず私が「うめえうめえ」と食い続けてきたのだからまちがいはない。その間、味はいささかも変わっておらず、値段は今日も650円というのだから、まさしくB級グルメの鑑(かがみ)といえよう。ただし、数ある同名系列店のうち、この店だけがズバ抜けてうまいということだけは言っておく。
この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第5回は、浅田さんが愛してやまないB 級グルメについて語ります。旨い店の話は食欲をそそりますが、究極のまずいB級グルメ体験がツボです。
親父と食いたかった天プラ
さてもう1軒。前述した「南海」はけっこう知られた店であるが、こちらはアクセスとロケーションの不利のせいか、地元の人以外にはほとんど知られていない。
場所は小川町、NTTのそばとしか説明のしようはない。「八ツ手屋」という天プラ屋である。まったくわかりづらい裏道にあるが、鼻の利く人なら江戸前の香ばしい胡麻油の匂いを頼りに発見できるかも知れない。
ここの天プラは信じられぬほど安く、しかも一口食ったとたん誰でもたまげるほどうまい。どのくらいうまいのかというと、かつて私は「八ツ手屋」の目と鼻の先にあった実家を勘当され、勘当されたままガキ、学生、自衛官、渡世人、小説家と、家には帰らず天プラを食いに通ったのであった。
悲劇的なことには、その間いくどか同店にて絶縁状態のオヤジと遭遇した。実は私のオヤジも「八ツ手屋」の信者なのであった。
胡麻油の香りが漂う清浄な店内でバッタリと顔を合わせたとたん、おたがい「てめえに会いにきたんじゃねえんだ、天プラを食いにきたんだ」というように目をそむけ、黙々と天丼を食ったものだ。
ちなみにオヤジは昨年、天プラの食いすぎで肝硬変になり、「八ツ手屋の天丼が食いてえ」と言い残して死んだ。セガレも中性脂肪480という危機的状態にあるので、遠からず同じ運命をたどるであろう。
数年前から和解はしていたのであるが、ついに「八ツ手屋」の膳をともにできなかったのは痛恨のきわみである。
我が最悪のB級まずい体験
ところで、B級グルメのひそかな楽しみである「まずい店」についても語っておこう。ただし、どうしようかとよくよく迷った末、やっぱり店名は伏せる。
B級店のうまいまずいを見分ける基準として、店頭の造作は重要なポイントだ。一見してうまそうに見える広告過剰の店はたいていまずく、本当にうまい店はシンプルかつ清潔な印象がある。
数年前の冬の晩であった。駿河台上のホテルにカンヅメになっていた私は、突如としてラーメンが食いたくなった。海外旅行者やホテル住いの人が誰でも感ずる「あっ、ラーメン食いてえ」という、やむにやまれぬ衝動に襲われたのであった。
ところが折しも日曜日で、神田界隈の行きつけの店はみな休みである。この際ラーメンが食えるのならどこでもいいという、ぞんざいな気持ちになったのがいけなかった。
さんざ店を探し、小川町付近の路上に佇(たたず)んで周囲を見渡すと、道路を挟んだ向こう岸に、まるでおいでおいでをするようなケバいネオンがあった。看板には「サッポロラーメン某」とある。日ごろから当節流行の「九州とんこつ」をひそかに憎んでいる私は、たちまちわが身の幸甚(こうじん)を感じて信号を渡った。
空腹のあまり店の凶相に気付かなかった私は愚かであった。ケバケバしいネオン、いかにも「うちはうまいぞ」といいたげな造作、ガランとした店内、しかもカウンターの中では、店員たちがタバコを喫いながらムダ話をしていた。ほとんど擬餌鉤(ルアー)の印象があった。
だが、ホテルのA級グルメに食傷していた私は、飢えた魚であった。
みそラーメンを注文し、フト異臭を感じた。まずいラーメン屋はスープの管理が悪いので必ず腐臭がする。だが神田という街の味覚の水準を信じている私は、この目抜き通りにまずい店などあるはずはないと思った。
ひどく時間がかかったように記憶する。たかだかラーメンを作るのであるから、それほど手間どるはずはないのであるが、要するにそう感じるほど、店員たちはムダ話をしながらダラダラと調理をしていたのであった。
はたせるかな、でき上がったラーメンはものすごくまずかった。どのくらいまずいかと言うと、ドンブリを前にしたとたんオエッとするような悪臭がした。スープにはかつての神田川を彷彿(ほうふつ)とさせるような異物が浮いており、てんこ盛りのモヤシは死骸の山のように真黒であった。
しかし、みてくれはまずそうでも実は思いのほかうまい、ということは多々ある。たぶんその手合であろうと信じて、泥河のごときスープをひとくち含んだら、本当にまずかった。私はガキの時分、お茶ノ水の土手から足を滑らせて神田川に落ちた経験があるのだが、たちまちそのときの恐怖をフラッシュ・バックしちまうぐらいまずかった。
で、なるたけスープには触れぬよう、腐ったモヤシも選りわけて麵をたぐった。ところが口に運ぶ間もなく、茹ですぎでクタクタの麵は割り箸の上からボロボロとちぎれ落ちるのであった。
店員たちの手前、文句も言わずに半分も食った私はイキな男である。ただし、これ見よがしにその場で胃薬を飲んでやった。
あんまりまずかったので、その後親しい編集者を一人ずつ連れて行った。みんなあまりのまずさに呆然とし、今度会社のやつらに教えてやると言った。
その店が営業を続けられる理由は、たぶんこれだと思う。
世の中何でもそうだが、うまい話よりまずい話の方が面白い。B級グルメ党が古傷を語ればキリがないのである。
この手の続きはいずれまた。
(初出/1996年6月15日号)
浅田さんオススメ店の現在は
この原稿が書かれてから、26年の月日が流れた。
ここで触れられている「キッチン南海」神田神保町本店は、2019年6月に多くのファンに惜しまれながら閉店してしたまった。だが、翌月、元料理長による最後ののれん分け店が、旧店舗の南東側に、新・神保町店としてオープンしている。浅田さんが愛したカツカレーは、新・神保町店に受け継がれ、値段は750円〈2021年4月現在〉となっている。
天プラの「八ツ手屋」は、創業100年を超え、1956年に再建されたという渋い木造店舗で今も営業しており、当時と変わらぬ旨い天プラを食すことができる。ただ、営業時間は平日の3時間(11:00~14:00)だけなので、訪れる際にはご注意を。
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。
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