浅田次郎の名エッセイ

浅田次郎の「勇気凛凛ルリの色」セレクト(12)「タイトルについて」

1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第12回は、このエッセイのタイトルにまつわる事実を知った著者が驚愕した顛末を。

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「タイトルについて」

普遍的な名タイトルではなかったのか……

先日、本稿を読んだ若い女性編集者に、

「勇気凜凜ルリの色、って、どういう意味なのでしょうか」

と、訊きかれた。

これを誰もが知っているフレーズだと信じ、しかも名タイトルだと自負していた私は、一瞬愕然とした。

「造語ですか、それともなにか古典からの引用とか」

ちがうちがう、と私はいささか取り乱した。

「ほんとに知らないの?」

「はい、ゼンゼン。『勇気凜凜ルリの色』。意味不明だけど、語呂はいいですね。ハッハッハッ」

私の認識不足か彼女の認識不足かのどちらかということになるが、さてどっちだろう。ともあれ、ひとりの読者がわからんということは、何十万人の読者がわからんのかもわからんのである。

そこで、周章狼狽した私はその後、誰かれかまわずこのタイトルの意味について訊たずね回った。「勇気凜凜ルリの色、という言葉を知っていますか?」と。

かかりつけの医者にも聞いた。ソバ屋の出前持ちにも聞いた。親類にもアカの他人にも聞いた。全くアトランダムに百人に聞きました結果、意外な事実が判明したのである。

つまり、職業性別学歴経験その他いっさいに関係なく、満38歳以上はこのフレーズをちゃんと知っており、37歳以下はてんで知らんのであった(1994年当時。2022年現在なら66歳以上は知っていて、65歳以下は知らない。/編集部注)。

ということは、神田正輝は知っているが松田聖子は知らず、落合博満は知っているがイチローは知らず、中島らもは知っているが吉本ばななは知らんのである。

当然、今この文章を読んでいる読者のほぼ半数は私と同様に知っているが、その他半数の読者には全く意味不明だという推測が成り立つ。

うかつであった。普遍的な名タイトルだと信じたのは、明らかに私の思いこみであった。

そこで、今さら変更するのも何なので、約半数の読者のために真実の意味を解説しなければなるまい。

「勇気凜凜ルリの色」とは、昭和30年代半ばの超人気テレビドラマ、「少年探偵団」のテーマソングの一節なのである。

思い出すままに冒頭の歌詞を書く。

ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団

勇気凜凜ルリの色

のぞみに燃える呼び声は

朝焼け空にこだまする……

書きながら思わず歌ってしまった。読者の半数もたぶん頭の中で口ずさんだことと思う。

誰も夢中になった「少年探偵団ごっこ」

ご存じの通りこれは江戸川乱歩の原作にかかるもので、小林少年ひきいる「少年探偵団」が怪人二十面相と対決する冒険ドラマであった。

この番組の人気は凄すごかった。翌日の学校では話題もちきり、うっかり見逃した子供は突然の腹痛を起こして登校拒否になるほどであった。

当時は塾通いの子など一人もおらず、学校から帰れば勝手に遊びに出ていいことになっていたので、原っぱに日が昏くれれば全員そろってテレビジョンのある家に押しかけるのが日課であった。

やがて町内のあちこちに「少年探偵団」が結成され、子供たちに妙な人気のある酒屋の御用ききなんぞが「小林少年」にまつり上げられ、物好きなオヤジが「明智先生」を名乗ったりした。

怪しげな男と見ればひそかに尾行し、アパートをつきとめて張り込んだりする。さらわれ役の子供は、あちこちにチョークで印をつけて仲間を導く。団員にしかわからぬ合言葉や暗号を発明する──と、そんなところがお定まりのパターンであった。

そして、いもせぬ怪人二十面相を求めて町なかを行進するとき、少年たちはきまって「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団! 勇気凜凜ルリの色──」と、合唱したのである。

「月光仮面ごっこ」がガキ大将ひとりをヒーローとしていたのに比べ、参加者全員が正義の味方として連帯できるこの遊びは、誰にとっても魅力的であった。

それまでの遊びの主流は、伝統的な「チャンバラごっこ」や「戦争ごっこ」であったが、「少年探偵団ごっこ」はそれらを一気に駆逐した。その点では明らかに、来たるべきテレビ時代の予兆であり、エポック・メイキングであったといえよう。

ところで、私は今でもそうなのだけれど、当時もひどく偏屈で暗欝な子供であった。

どのくらい偏屈で暗欝だったかというと、たとえば日がな押入れの中にとじこもり、懐中電灯をともして本を読んだり、プラモデルを作ったりするタイプであった。

母は夕飯の時間になっても原っぱに呼びに行く必要はなく、「ごはんだよ」と押入れを開ければ良いのであった。

そんな私を評して祖父は、「こいつァさきざき坊主にするか、物書きにでもするしかあるめえ」と、たしかに言った。いかに肉親の炯眼(けいがん)とはいえ、今さらそらおそろしい予言であった(ちなみに、ナゼか僧侶に憧れた時期もある。ほぼパーフェクト予想と言えよう)。

愛読書はもちろん、乱歩であった。押入れにとじこもり、懐中電灯の光の輪の中で読むのが、乱歩の正しい読み方なのである。

先日、ふと思いたって30年ぶりにやってみたが、やっぱり面白かった。ぜひお勧めする。

さて、そのように日ごろは決して近所の子供らの遊びには加わらない私であったが、当然テレビドラマは欠かさず見ており、わが町の「少年探偵団」結成の噂には色めきたった。

で、ある日ついにいたたまれなくなって、歌いながら行進する彼らの最後尾にサッとくっつき、「勇気凜凜ルリの色ォ!」と、歌い始めた。

いじめ帰されるのは覚悟の上だったのだが、意外にアッサリと入団が許可され、団員のしるしである三ツ矢サイダーの王冠バッジを与えられた。

採用の理由は、当時まだ珍しかったテレビ受像器が、私の家にはあったからである。当然の結果として、翌日からわが家のお茶の間は十数名ものガキどもに占拠されるハメになった。祖父がたいそう歓迎したのは、孫の将来に光明を見出したからにちがいない。

だがしかし、私はそれからいくらも経たぬうちに退団してしまった。理由は至極もっともである。私に割り当てられた役回りは、いつも団員ではなく、怪人二十面相なのであった。

このエピソードはずっと忘れていたが、考えてみれば私は長じてから、まこと怪人二十面相の如き人物になったわけで、ジジイも大したものだが、子供らはもっと大したものだとつくづく思う。

以上のような事情により、「勇気凜凜ルリの色」は、テレビ草創期に少年時代を過ごしたわれらおじさんたちの、いわば忘れえぬテーマソングなのである。

若い方の中には、いったいどんなメロディなのかと興味を持たれるむきもあろう。ビデオの発明される以前であるから、「思い出の名場面集」などという番組にも、出てくることはない。テープもレコードも、もはやあるまい。

しかし聴こうと思えば簡単に聴けるのである。職場の上司でも、酒場のカウンターに隣り合わせたオヤジでもよい。およそ団塊世代とおぼしき男性に前述の歌詞を示して、「ちょっと読んでみてくれますか」と、言ってみよう。

彼は近ごろめっきり遠くなった目を活字に凝らして、読むのではなく、たぶん歌い出す。

「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団 勇気凜凜ルリの色──」と。

(初出/週刊現代1994年10月15日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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