そば屋の裏手には30アールの小さなブドウ畑 ブドウの方の話をすれば、夫妻は移住の年の春、敷地内の30アールの畑に約800本の苗木を植えた(品種はシャルドネ、ピノグリ、リースリング、ピノブラン等)。移住2年目に200本の苗…
画像ギャラリー手打ちそばとワインの店「naritaya」のことを知ったのは2022年6月半ば、北海道・余市&仁木エリアのワイナリーを取材して回っている最中のことだった。
余市&仁木エリアにワイナリーが集積
積丹(しゃこたん)半島の根っこ、余市川の河口近くの扇状地に広がる余市町と、その上流側に隣接する仁木町は、過去10年ほどの間に一気にワイナリーが集積し、「ドメーヌ・タカヒコ」のように国際的に名を馳せるスター的存在も出て、日本を代表するワイン産地の一つになりつつある隆盛の地だ。
仁木の町と頂白山(ちょうはくざん)を眺望する丘陵地にその店はあった。黒壁の建物に、白く簡素な暖簾が何かを宣言するようにクッキリと際立つ。中に入ってまず気づいたのは窓が大きいこと。横長の窓いっぱいに広がる風景こそは、成田和仁さん・真奈美さん夫妻がこの地を移住先に決めた最大の理由だった。「土地探しを始める前からよく収穫のボランティアにうかがっていた長野・東御のヴィラデストのカフェや、旅行で訪れたナパのジョセフ・フェルプスのテラスから見える、ブドウ畑の向こうに山々が見渡せる景色が素晴らしくて、それが目に焼き付いていました。自分たちが作る店も、来てくれた方の心に残るような景色を見ていただける場所にしたい、と考えていました。そんなこともあって、ブドウ畑の向こうに仁木の町並みと頂白山や余市岳が望めるこの場所に立った時、一目で『ここだ!』と感じたのだと思います」と真奈美さん。
その窓に面したカウンター席がこの店の特等席だ。奥にはテーブル席が数卓。さらにその奥にワインセラーが設けられている。ガラス越しに中を覗いてみると、日本ワインがずらり。中には余市&仁木産の、なかなか手に入らない珍品も混じる。
脱サラし、北海道へ移住
東京で長く暮らした成田夫妻。大手メーカー系商社に勤めていた和仁さんは趣味でそば打ちを学んでいた。広告代理店等で働いていた真奈美さんはワイン好きが高じてワインエキスパートやWSET(レベル3)などのワイン関連資格を取得していた。
「東京・神保町に〈九段一茶庵〉というおそば屋さんがありました。場所柄、そこでは作家と編集者がそばを食べながら打ち合わせをするのがよく見られました。おそば屋さんでお酒を楽しみ、締めにそばを注文する彼らを見て、粋で、かっこいいと思ったんです」と真奈美さん(※九段一茶庵は2016年に閉店)。そんなこともあって成田夫婦は「ブドウ栽培をしながら、そば屋をやる」という夢を膨らませ始める。
夢実現の地は真奈美さんの出身地でもある北海道を選んだ。道内のいくつかの候補地を実際に訪ね、仁木町旭台に決めた理由はすでに述べた通りだ。和仁さんは早期退社した。真奈美さんは東京での仕事を移住先でも続けることにした(その部分は2022年5月に終えたとのこと)。2020年4月、夫妻は東京の住まいを引き払い、仁木に移った。念願のそば屋を開いたのは21年3月のことだ。
そば屋の裏手には30アールの小さなブドウ畑
ブドウの方の話をすれば、夫妻は移住の年の春、敷地内の30アールの畑に約800本の苗木を植えた(品種はシャルドネ、ピノグリ、リースリング、ピノブラン等)。移住2年目に200本の苗木を植え増しし、現在は計1000本になった。通常ワインにできるブドウが実るのは植樹3年目以降と相場が決まっているのだが、天候に恵まれ、2年目の秋には良いブドウが実ったので、ご近所の「ル・レーヴ・ワイナリー」に持ち込んで醸造してもらうことにした。「ル・レーヴ・ワイナリー」は、札幌出身の本間夫妻が15年に就農し、20年から自社醸造を始めた新興ワイナリーだが、その精緻な造りのワインはすでに高い評価を受けている。
成田夫妻の初めてのワインはフィールドブレンド(混醸)、野生酵母にて発酵。生産本数は僅かに116本。ブドウ畑の住所にちなんで「Asahidai 245 Blanc 2021 −Episode 0−」と名付けられた。“エピソード・ゼロ”としたのは思いがけず早くに授かったワインだったから。
僕は鴨せいろとグラスで「Asahidai 245Blanc 2021 −Episode 0−」を、同行者は茄子とじゃこのぶっかけを頼んだ。そばを待つ間にワインを試してみた。柑橘に熟れた青リンゴ、そして白い花の香りがする。口の中では程よい酸があり、軽い苦味が後口に残る。若いのに粗いところはなく、落ち着いた味わいで驚いた。この年はピノブランがアライグマに食べられて(アライグマにはブドウの好みがあるらしい)、ほぼ全滅だったそうだ。ピノブランの構成比率が上がっていたら、甘い花の香りがもっと増していたのかもしれない。
石臼挽きの道産そば粉にこだわった和仁さんのそばは軽やかで喉越しもよく、ワインとも良くあった。道内滝川産の鴨肉は噛むほどに味が出るようで、こっちには赤ワインだなと思ったが、ワインを追加して飲んでしまうと、午後の仕事に差し障りが出そうで、辛くも断念した。
地元の食材と地ワインを楽しみながら、北海道らしい広々とした空に悠然と流れる雲を眺める。ワイン・ツーリズムの目的地としてのこの土地のポテンシャルの高さを強く感じた。
食後に、建物の裏手に広がるブドウ畑を覗かせてもらった。照葉樹の森に抱かれるようにして広がる30aの畑はいかにもこぢんまりとして、いたいけな印象だった。周囲にめぐらされた電線がブドウ木や果実を狙う動物たちの存在を告げている。ピノブランを貪るアライグマ──。
ところで、「Asahidai 245Blanc 2021 −Episode 0−」のラベルには5種類の動物の絵が描かれている。ヒグマ、エゾシカ、ウサギ、アライグマ、キタキツネ、いずれもブドウ畑を荒らす害獣たちだが、成田夫妻はあえて彼らをラベルに登場させることで、共に収穫を祝うことにしたという。そこには、ワイン造りという営みは自然の一部であるべきだという夫妻の「共生の決意」が込められているようで、好もしいと思った。
ワインの海は深く、広い‥‥。
※naritayaのHPはこちら
https://www.naritaya-niki.jp
浮田泰幸
うきた・やすゆき。ワイン・ジャーナリスト/ライター。広く国内外を取材し、雑誌・新聞・ウェブサイト等に寄稿。これまでに訪問したワイナリーは600軒以上に及ぶ。世界のワイン産地の魅力を多角的に紹介するトーク・イベント「wine&trip」を主催。著書に『憧れのボルドーへ』(AERA Mook)等がある。