今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。ゴルフ・エッセイストとしての活動期間は1990年から亡くなった2000年までのわずか10年。俳優で書評家の故児玉清さんは、その訃報に触れたとき、「日本のゴルフ界の巨星が消えた」と慨嘆した。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第8回は、「あるがまま」というゴルフの崇高な精神を現代に伝えてくれる、スコットランドに残されていた20世紀初頭の貴重な記録について。
画像ギャラリーその8 さわっちゃ駄目よ!
第2ホール パー4 この精神がわからんのか 1
メモ魔の質屋が書き残したある男のこと
あとになって、書いた本人が思ってみなかった価値を生むメモがある。たとえば1957年に地中海の藻屑と消えた客船「スロポト号」の場合、乗客のデンマーク人記者、ハンス・カルサルードの克明な日誌が海底から引き揚げられて、沈没の原因がスクリューに至る主軸の亀裂と断定された。
「深夜、二度にわたってベアリングの球が欠けたような音を聞く」
調査委員会の報告によると、こう2行に書かれメモで証拠は完璧だそうだ。
他の分野でも、何気なく残された走り書きが内閣の屋台骨まで揺さぶることがある。たとえば愛人、秘書、運転手、料亭の女主人など。なかでも会計係のメモには計り知れない付加価値があるらしい。
さて、1870年代からエディンバラ市中で質屋を営むステファン・ブローニングも、世に言う「メモ魔」の1人だった。洋の東西を問わず、質屋に駆け込む人は危機的状況にあるため、病人の布団まで剝ぐなど常識の範疇とされた。
バルザックの小説にも、ついに自分の金歯まで抜いて質屋に走るおもしろ哀しい男が登場する。さらには怪しい気配の人物が現われ、盗品とおぼしき物も置かれる。必然、日々の混沌は尋常ならず、その都度メモに残す以外、対応できなかったというのが真相だろう。
かくしてブローニング氏のメモ帳は厚みを増すばかり、1939年に亡くなったときには、質草でごった返す蔵の片隅に、なんと3メートルに及ぶノートが堆く積まれていたそうだ。
いざ処分する段になって、かねてから内容の資料性に興味を抱いていた甥のパトリック・ウォードが家族の承諾を得て蔵に入ると、足掛け半年、ごった煮のメモと格闘した。のちに「エディンバラ・タイムズ」の編集長に迎えられた男だけに、この着眼はさすがの一語、ブローニング氏は当時の市民生活を知るに最高の「裏面史」を残したのである。
たとえば、表向きの派手なふる舞いとは裏腹に、深夜こっそり先祖伝来の品々など質入れする上流階級の実態が判明したかと思うと、旅の途中で現金に窮したオランダの王侯が、女に変装して彼の店にやってきた事実も明らかにされた。
また、周囲が呆れるほどのゴルフ狂として知られた氏だけに、その日のゲーム内容、天候、勝敗の行方から同伴競技者の人物評までが、ほとんどオタク的ミクロ観察によって延々と綴られた。そうしたメモの中から、甥のパトリックが意外な事実を発見する。
「(1902年)6月12日。ハイランドから赴任してきた高級官吏、H・ポッターのゴルフ、さもしいの一語に尽きる。ああ、なんとも不愉快な1日」
日付から逆算して、H・ポッターなる人物が、いまをときめく税務署長の若き姿に間違いない。
「人の目を盗んで、彼は素早くボールのライを変える。目撃すること3回、なんともおぞましい」
「9月19日。ベイラーバーの記念コンペに出場したところ、H・ポッターと組むことになった。案の定、誰かが打って全員の視線がショットの行方に集中した瞬間、チョロッとライを変えたではないか。私は言ってやることにした」
エリート官僚はライ改善の常習犯!
ゴルフは審判不在のゲーム、ゆえにゴルフほど欺瞞行為が激しく軽蔑される競技もない。とくにライの改善とスコアの過少申告は「死罪に価する」とジェームズⅡ世が広言したこともあって、どう弁明しようとも許されない重罪だった。
「ポッターさん。あなたはボールのライを変えましたね」
ブローニング氏は、臆することなく彼に詰め寄る。
「以前ご一緒したときも、クラブの先端を巧みに操って、少なくとも3回はライの改善をやりました。私はこの目で見たのです」
当時、イングランドはスコットランドに対して大胆な税制改革を断行したばかり。不測の事態に備えて、ロンドンから大勢の役人がスコットランド各地に派遣された時代であり、ポッターもその一人だった。つまり、巷の質屋の主人がエリート官僚に嚙みついたことになる。
「貴様、何を言うか!」
イカサマを指摘されて、彼は激怒した。
「質屋ごときが生意気言うな。どこに証拠がある!? ただでは許さんぞ」
「では申し上げます。まず第一に、あなたは質屋ごときと言った。ゴルフというゲームに肩書きは不用、クラブハウスに入る前に、地位と身分は外に置いてくるもの、あなたと私は対等な一ゴルファーの関係にすぎないのだ。あなたは肩書きがゴルフに役立つとでも思っているらしいが、まずは威張る態度こそゴルフが誇る『平等の精神』に大きく離反するもの、コース内に地位と身分は持ち込まないでいただきたい」
凛とした発言に、彼はひるんだ気配だった。
「次に、あなたは証拠を出せとおっしやるが、これこそ恥の上塗り、語るに落ちましたね。ゴルフでは『疑わしき行為』の一片すらあってはならないのが常識、怪しまれた瞬間から信用がなくなると、ご存知ないのか」
語気は、次第に鋭さを増していった。
「拝察するに、あなたもまたゲームの精神に知らん顔、学ぶつもりもないらしい。このスコットランドでは、ゲームの娯楽性だけ掠めてパーだのボギーだの騒ぐ人間が最も軽蔑される。ゴルフでは、いくつでホールアウトしたかを語る前に、いかにプレーしたか、その立ち居ふる舞いこそが取り沙汰されると承知されたい」
彼は地面にボールを置くと、ポッターの真似をしてみせた。
「よく見なさい!」
顔をそむけようとする官僚に、𠮟責が飛んだ。
「あなたは、こうしているのだ。クラブの先端で浮いたライにボールを押し上げ、有利にゲームを進めようと考えている。さもしいと思いませんか? この姿、よく見なさい、みっともないでしょ?」
メモから炙りだされた事件は、甥の筆によってコラムに紹介された。くだんの男は「H・P」のイニシャルに化けていたが、そこは狭い土地柄、いまでは税務署長に昇進したポッターが当事者だと、子供でもわかる話だった。
「そう言えば、あの男は自分の部下以外の者とプレーしないね」
町民の冷やかな目に居たたまれず、ライ改善の常習犯は間もなくロンドンに引き上げていった。
翻って私たちの周囲を見回してみると、いるいる、自分のボールに近づくなり、たちまち手を伸ばして「6インチ・リプレース」の権利行使に熱中するいやらしい連中が、山ほどいる。
「ローカル・ルールに従って、何が悪いんだ!?」
彼らの論拠は、ローカルと銘打った一コース主体の「いなかルール」にすぎない。ゴルフでは発祥当初から「あるがまま」「自分に有利にふる舞わない」の二大原則が守られてきたというのに、その精神もご存知ないとは情ない限り。
たとえローカル・ルールがあろうとも、絶対ボールに触れない人がいる。その人物こそが生涯の友人だ。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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