夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」

ゴルフコースの”公爵” 名門ミュアフィールドで起きたハプニング

今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。ゴルフ・エッセイストとしての活動期間は1990年から亡くなった2000年までのわずか10年。俳優で書評家の故児玉清さんは、その訃報に触れたとき、「日本のゴルフ界の巨星が消えた」と慨嘆した。 「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第10回は、ゴルフの母国・スコットランドで最も格式の高いゴルフコースはいかにして生まれたか、そして、そのコースを汚したシミはいかにしてつけられたかについて。

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その10 名画につけられたシミ

第2ホール パー4 この精神がわからんのか 3

ゴルフコースの公爵!

われら庶民には縁のない話だが、とくにゴルフ史研究に欠かせないのが貴族の仕組みである。それというのも、かつてゴルフは貴族中心の高貴なゲーム、歴史の多くは彼らによって築かれたからである。

その国によって貴族の段階別称号にも多少の違いがある。たとえば王政復古以前のフランスには、デュック(公爵)からシュヴァリエ(騎士)まで、八クラスの称号が存在した。

一方、中国の漢代は特権階級の量産時代と言われるが、力仕事の免除から刑罰の軽減、皇帝と同時期に「旬の美食」が味わえる権利まで持つ貴族が、なんと20階級もあった。

これが唐代になると、宮廷における席順が目的で、さらに12階級ほど追加したため、首都は貴族だらけ。馬糞掃除の親方までが「公士」の称号を持つに至った。

ゴルフの本家イギリスでも、11世紀のノルマン・コンクェスト以来、王の直属家臣がデューク(公爵)、マーキス(侯爵)、アール(伯爵)、ヴァイカウント(子爵)、バロン(男爵)と分けられ、さらに上流貴族の家臣にはバロネット(従男爵)、ナイト(騎士)の称号が与えられた。

ところが1832年、ロンドンで発行された紳士録に大きなミスが発生して、自分の身分が軽んじられた貴族から名誉棄損の訴訟まで持ち上がる騒ぎ。以後、すべて「サー」と呼ぶことでお茶をにごす風習が定着した。

ちなみに、同じ男爵でも下にイモの二文字が私の身分、それでも精神貴族でありたいと、努力だけは怠らないつもりである。

ほかでもない。1972年に「スコティッシュ・アカデミック・プレス」から刊行された名門ミュアフィールドの変遷史、『MUIREFIELD AND THE HONOURABLE COMPANY』の見返しに、

「ゴルフコースの公爵」

と、印刷されてあった。これに対してセントアンドリュースをはじめ、クラブの冠にロイヤルがつく名門コースから、公爵とは誰が決めた身分なのか、それではわれわれのコースの爵位を明らかにしてくれと侃々諤々(かんかんがくがく)の非難が相次いだ。当のミュアフィールド側は少しも騒がず、次のよに答えたものである。

「諸君は、もう一度歴史の門をくぐって過去の史実に学びたまえ。コースが爵位の対象となり得るならば、ミュアフィールドこそ貴族中の貴族と思い知るだろう」

その通り、スコットランドでゴルフが流行したのは1300年代の後半からだと言われる。スコットランド特有の茫洋たるリンクス(砂丘)には野芝の草原が果てしなく広がり、すべてが公有地とあって平坦な場所に旗が立てられると、誰もがゴルフを楽しんだものである。プレーが終わると近くの旅籠屋か居酒屋に立ち寄って、まずは一杯の黒ビールからゴルフ談義が始まる。1740年ごろには、仲のいいゴルファーが集まって、いまで言うコンペがしきりに行われるようになった。

1744年のある日、リースにある旅籠屋「ルーキー・クレファンズ・ターバン」が根城の十数人によって、史上初めてクラブ組織が誕生する。これぞ最古の「アナラブル・カンパニー・オブ・エディンバラ・ゴルファーズ」であり、1836年にマッセルバラの東6マイルのリンクスに移転、コースは別に作ったが、クラブハウスはマッセルバラGCと共有した。

1890年になると、ゴルファーも急増の一途、すべてが手狭になって収拾つかず、さらに東の町ガランに近い現在のミュアフィールドに移転、と同時にクラブの名称もミュアフィールドGCに変わったが、格式の高さは相変わらずである。

たとえば、ひと目クラブハウスだけでも見たいと、世界中のゴルフ愛好家が地図片手にミュアフィールドを目指すが、容易に発見出来ないのが普通である。ガランの町にも、海岸線に沿った細い道路にも、一枚の看板すら見当たらないのだ。ここはメンバー専用のコースであり、ビジターがプレーする場合でも必ずメンバーが同伴しなければならない。従って看板はなくて当たり前、クラブハウスの入口にも表札がないのである。

名コースを侮辱した、とある国のプレイヤーたち

移転から1年後の1891年5月3日、多くのゴルフ関係者が集まって開場式が行われると、その翌年には早くも全英オープンの舞台に選ばれ、集まった選手たちはミュアフィールドの景観とレイアウトの至難に、ただ絶句するばかりだった。

その2年前の全英オープンに優勝、さらには全英アマに勝つこと9回、アイリッシュ・オープンにも3回優勝している天才アマ、ジョン・ポールも参加選手の1人だったが、初めて見たミュアフィールドの印象を次のように語った。

「ここでパーを取るのは、他のコースでバーディを取るに等しいだろう。平坦に見えるが、その起伏たるや複雑怪奇、しかもバンカーの位置が10ヤードの誤差も許さない。加えて微妙な凹凸と大きなうねりによって構成されたグリーンは、4パットが当たり前に思えるほどラインが読みにくい」

このジョンは、ハンディが「プラス10」の天才だった。つまり「62」で回ってパープレーとは、途方もない。当時のゴルフ界はプロとアマの実力が接近して、ゴルフにおける戦国時代と呼ばれたが、案の定、新装なったミュアフィールドで優勝したハロルド・ヒルトンもまたアマチュアだった。クラブ史の中に、彼の優勝コメントが残されている。

「この素晴らしいコースは、オールド・トム・モリスの卓抜した設計と、近在の人間、牛馬のすべてが動員されて比類なきリンクスに仕上がった。これほど自然の美しさと苛酷さが同居したコースは見たこともない。プレー中に遭遇した夕焼けの大パノラマには、感動のあまり涙が止まらなかった。ミュアフィールドは、神々の住む国に最も近いコースだと思う」

1925年になると、設計界の巨匠ハリー・コルトとトム・シンプソンが招かれ、1番、447ヤード、パー4のホールから改修が始められた。やがてゲームの流れに問題があった場所も整えられて、全長6941ヤード、パー71の世にも美しい18ホールが誕生する。ミュアフィールドGCとは、かくも見事なコースなのである。

ところが1996年のこと、3人の日本人がメンバーと共に1番ティからスタートした。メンバーは急用が出来たのか、前半で帰ってしまった。3人が15番まで来たとき、柵の外にいた細君の一人がコース内に入ると、カメラ片手に18番まで一緒について歩いた。

この行為自体、いかに糾弾されても弁解の余地すらないというのに、それだけではなかった。そのとき、クラブハウス内にいた全員が立ち上がって、顔面を朱に染めながら戸外に飛び出すと、口々に何か叫んだ。

彼らがゆび指す方向に視線をやると、まさに信じられない事態、細君は名誉と伝統に輝くミュアフィールドのコースをハイヒールで闊歩したのである。

それから1ヵ月後、ガランの町でクラブの理事からこの話を聞いて、私は死にたいと思った。同国人でいることに耐えられなかった。

「女房族は、パリとミラノでブランド漁り。亭主もカネにもの言わせて、ゴルフ場のブランド漁りか」

打ちのめされ、顔を上げられず、ひとりバーの片隅に蹲(うずくま)っていた。

(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)

『ナイス・ボギー』 (講談社文庫) Kindle版

夏坂健

1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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