浅田次郎の名エッセイ

「勇気凛凛ルリの色」セレクト(59)「遥かなる鉄路について」

1990年代半ばは激動の時代だった。バブル経済が崩壊し、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、自衛隊の海外派遣、Jリーグ開幕に、日本人大リーガーの誕生、そして、パソコンと携帯電話が普及し、OA化が一気に進んでいった。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」(週刊現代1994年9月24日号~1998年10月17日号掲載)は、28年の時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。 この平成の名エッセイの精髄を、ベストセレクションとしてお送りする連載の第59回は、1990年代後半、作家が中国取材の道中で出会い感銘を受けた、ひとりの元鉄道員の矜持について。

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「遥かなる鉄路について」

旧満鉄時代から鉄道ひとすじに勤め上げた男

「呉美林(ウーメイリン)」という名は、日本人ならばさしずめ「白鳥麗子」とでもいうふうな、たおやかなる美女の名前である。

だがその名の持ち主は、昔日(せきじつ)の隆々たる筋骨をしのばせる、巨漢の老人であった。

呉さんと出会ったのは長春からハルピンへと向かう軟座車の車内である。軟座車というのはいわゆるグリーン車のことで、日本のそれとは較ぶるべくもないが、ともかく板張りベンチの便座車とはちがい、クロス張りのシートになっている。乗客はすべて軍人か、様子のよいビジネスマンであった。

「私は旧満鉄時代から鉄道ひとすじに勤め上げたので、軟座車はフリーパスなのです」と、呉さんは誇らしげにその証明書を見せた。

それがたまたま向かいの席に座った彼の、自己紹介だった。

日本から同行したガイドのNさんがとても上手な中国語を使うので、はじめは私たち一行を広東か香港から来た旅行者だと思ったらしい。

「不(プー)、我是日本人(ウォーシーリーベンレン)」

と答えたとたん、呉さんはでっぷりと肥えた体をのけぞらせて、大仰(おおぎょう)に驚いた。

「日本(リーベン)!」

近ごろでは中国東北のそのあたりまで足を延ばす日本人観光客は珍らしいのである。呉さんは赤ら顔を上気させて、私たちひとりひとりに握手を求めた。

愛らしい女の子が、呉さんの膝にまとわりついていた。おもかげは祖父に似ている。

まるで孫娘に教え聞かせるように、呉さんは遠い昔に習い覚えた日本語を口にした。

「ア、イ、ウ、エ、オ。カ、キ、ク、ケ、コ。オハヨウゴザイマス。コンチワ。サヨナラ、マタアシタ」

呉さんは忘れかけた歌を唄うように、何度もくり返した。

遥かな地平線に、蜃気楼(しんきろう)のようなポプラ並木が続く。線路の左右には数キロごとに、旧日本軍の残したトーチカが眠っていた。

涯(はて)しもない黄色の大地である。

「13歳で満鉄に入りました。戦後は日本軍に協力した『漢奸(かんかん)』と呼ばれて、ずいぶんひどい目にあった。でも生涯をこの鉄道とともに過ごすことができて、今はこうして軟座車に乗っています」

Nさんは正確に、呉さんの言葉を通訳してくれた。

「みなさんには知っておいてほしいことがたくさんあるのだけれど、聞いて下さいますか」

礼儀正しい前置きをして、呉さんは諭(さと)すように語り始めた。

長春の郊外に、その昔ひどい実験をする日本軍の部隊があった。そこに連れて行かれた中国人はひとりも帰ってこなかった。健康な人の体に黴菌(ばいきん)を注射したり、生きたまま解剖したり。

その話は日本人もみな知っています、と私は言い返そうとして、口をつぐんだ。知っていることでも、この人の口から聞かねばならないと思った。

同行の寡黙(かもく)な老人にかわって、呉さんは言った。

「この人のおかあさんも、そこで殺されたんです。真冬に裸で縛りつけられて、零下10度、20度、30度、45度で亡くなったと、後で聞かされた。日本軍の下働きをしていた近所の人がね、そっと教えてくれたのです」

やめなさいよ、と柔和で寡黙な老人は呉さんをたしなめた。

「でも日本人は立派な建物をたくさん建てて、道路も鉄道も整備してくれた。長春の町は美しかったでしょう。敷石は1メートルの厚さがあって、電線もみんなその下に埋められているのです」

かつて新京と呼ばれた旧満洲国の首都長春は、たしかに美しい町だった。王道楽土や五族共和といった国家的スローガンが、果たしてどこまで人類の歴史に対して誠実なものであったかは、今となってはむろん疑わしいのだが、ともあれその都に誠実な夢を賭けた日本人も大勢いたはずである。

呉さんは言うにつくせぬ恨み憎しみとはべつに、その誠実さを理解して下さっていた。

「日本人の作ったものは、50年、60年たってもビクともしない。たぶんこのさき、100年、200年たってもね」

苦渋を乗り越えてきた「中国のポッポヤ」の微笑み

呉さんは生涯を捧げた遥かなる鉄路を、まばゆげに見つめた。沿線の左右数十メートルに、芽吹き始めたポプラ並木が続く。それは大連からずっと、絶えることなく線路に沿って続いていた。

「初めは、あの並木のところまでが満鉄の土地でした。日本の権利ですね。そのうちどういうわけか境界がなくなって、ぜんぶ日本になった。ポプラはただの並木になってしまった」

しばらくの間、孫娘と遊んでから、呉さんはふいに言った。

「満鉄に入ったころ、日本人によく叩かれました。このくらいの太い棒きれでね、尻をいやというほどぶつんですよ。バカヤロー、って。バカヤロー、バカヤロー、バカヤロー。意味がわからなかった。いえ、叩かれた意味ではなく、バカヤローという言葉の意味がわからなかった。今もよくわからない。バカヤロー、って、どういう意味ですか」

答えようはなかった。「バカヤロー」は私たちの暮らしの中でも日常性があるのだから、それを使用した日本人たちにべつだんの他意はなかったのかもしれない。しかし、同じ人間だと思っていれば、「バカヤロー」と口にこそすれ、馬や鹿のように中国人の少年を殴りつけることはできまい。

たぶん呉さんは、その意味を承知で私たちに訊ねたのだと思う。

中国人は元来が平和的な民族である。総じておしゃべりで感情的だから、町なかでも口喧嘩はよく見かける。しかし、たびたび中国を旅して、暴力沙汰というものをついぞ見たためしがない。

あれだけ膨大な人口の犇(ひし)めき合う町なかで、口々に怒鳴り合い罵(ののし)り合いながら、中国人はけっして手を上げることがない。

「殴られた痛みはとうに忘れてしまいましたが、あのバカヤローという声は今も耳について離れない。いやな言葉ですね。若い人たちには、昔の話はよく聞かせますよ。でも、バカヤローという言葉は教えない。そんなもの、覚えても仕方がないからね」

列車がハルピンに近付くころ、大いなる地平に夕陽が沈んだ。それは古い歌の文句にあるような赤い夕陽ではなく、黄砂の帳(とばり)の向こうの、銀色の月のような落日だった。

満洲のたそがれには、真赤なそれよりも穏やかに光を失って沈む夕陽のほうがよく似合う。

呉美林さんと名も知らぬ寡黙な老人は、ハルピンに近い小駅で列車を降りた。別れぎわに孫娘を抱き上げ、この人たちが「日本人(リーベンレン)」だよと、私たちのひとりひとりに微笑みかけた。

「ア、イ、ウ、エ、オ。カ、キ、ク、ケ、コ。オハヨウゴザイマス。コンチワ。サヨナラ、マタアシタ」

呉さんは、バカヤローと罵ったかつての日本人を、子や孫に語り伝えようとはしない。言うにつくせぬ怒りや悲しみは鋼鉄の箱の中に収めて、この人たちが「日本人」なのだよと、孫娘に教えてくれた。

それは、遥かなる鉄路に生きた、もうひとりの鉄道員(ぽっぽや)の姿だった。

たくましい掌(てのひら)を握ったとき、私にはどうしても言いたいことがあった。

僕はあなたと同じ職業を全まつとうした日本人を知っています。心をこめて物語に書きました。いつか中国語に翻訳されたなら、ぜひ読んで下さい、と。

もちろん言葉にはならなかった。

〈ポッポヤはどんなときだって涙のかわりに笛を吹き、げんこのかわりに旗を振り、大声でわめくかわりに、喚呼の裏声を絞らなければならないのだった〉

満洲の遥かな鉄路を守り続けたもうひとりのポッポヤに、私は胸の中でお気に入りのフレーズを捧げた。

呉美林さんの掌は、私がそれまで出会ったどのような傑物のそれよりも温かく、また巨(おお)きかった。

(初出/週刊現代1998年4月25日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

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