でも、このパンツは捨てたくない 甘い、と私は思った。 人生はまだ折り返しなのである。今日までセッセと積み上げた努力を世に問うのは、まだこれからなのである。肉体の老化はいかんともしがたいが、それを正確に知り、巧妙に制御しつ…
画像ギャラリー「粗相について」
バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルからの視点で切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。
この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第64回。気体と固体の選別を間違えるという、己の体に対する指導力の低下によって起こった悲劇について。
私は自分の肛門を信じていた
たまには本稿にも文化的な味わいのある「随筆」を書かねばならぬと思い、朝っぱらからモーツァルトを聴き、庭のあじさいを賞(め)でて原稿箋に向き合ったところ、まこと非文化的な事件がわが身に起こった。
以下、本稿の読者が全員同年輩もしくは先輩の男性であると信じて書く。
あろうことか糞を洩らしてしまった。
突然の事故とはいえ、おかしくも悲しい。あまりのおかしさゆえに、雨にたゆとうあじさいの随筆をとりやめて、事故の顚末(てんまつ)をありていに語ろうとするわが身は、まして悲しい。
いっときはリアリズム追求のために、パンツを汚したまま稿に挑もうと考えたが、感触からすると思いがけず大量のようなので、とりあえず風呂に行ってシャワーを浴び、下着を替えて書斎に戻った。
3月の末にディープかつレアな中国の旅をして、油に当たった。以来3ヵ月もたとうというのに、いまだ腹具合がおかしい。下痢というほどではないが、慢性消化不良の不定期便が続いている。
私は案外と用心深い性格なので、腹具合のおかしいときの放屁には万全の配慮をする。緊張感を保ちつつ、直腸内で気体と固体との選別をかなり意識的に行い、しかるのち暗夜に霜の落つるがごとく冷静に沈着に放屁をする。
だがしかし、誰にもうっかりはある。朝っぱらからのモーツァルトとあじさいのせいかも知らぬが、私の精神はこのとき甚だ肉体と乖離(かいり)しており、腹具合のことなどうっかり忘れていたのであった。
原稿に向かい、おもむろにパイプの火を入れ、座椅子に背をもたせかけて文化的表題を思案していたところ、屁が出そうになった。
無思慮無警戒に一発りきんだとたん、たいそう心地よい、乾いた屁が出た。それがいけなかった。フェイントだったのである。
じきに二発目を催したので、一発目の快感に安んじていた私は、続く屁も当然カラカラに乾燥した心地よいものであろうと予測し、一発目にもまして満身の力をこめ、括約筋を全開して屁を放った。
正直のところ、私はうっかりしていたというより、肛門を信じていたのである。彼も46年の齢(よわい)を重ね、持ち主と同じくらい老獪(ろうかい)になっていたことを私は知らなかった。
アッ、と私は声を上げた。
その感触は、「ちびった」というようななまなかなものではなかった。「洩らした」というほどサッパリとしたものでもなかった。あえて率直に、正確にその感触を描写するのなら、「うんこが出た」としか表現のしようはない。
以前にも本稿に書いたと思うのだが、私の特技といえば「早グソ」なのである。
若い時分陸上自衛隊に勤務し、「早メシ」「早ブロ」「早グソ」の習慣を叩きこまれた。以来今日も、大便は小便の出きらぬうちに終わる。それはほぼ一瞬、常に一気呵成の一本糞である。
中国旅行で腹をこわしてこのかた、一本糞にはお目にかかっていないが、ほぼ一瞬の一気呵成には変わりがなかった。したがって、先ほど私の身に起こった事故は、いかな不本意なる事故にしても、その結果からすると「ちびった」のでも「洩らした」のでもなく、「うんこが出た」のであった。
おもろうて、やがて悲しきおそそかな、なんて古川柳が頭をかすめ、私はその通りにまず笑い、しかるのち悲しくなった。
直腸も肛門も、私に反逆したわけではないのだ。これは全肉体に対する私の指導力が低下した結果なのであって、いかんともしがたい老化現象にちがいない。
また、それが避くべからざる老化現象であるにせよ、軍隊や企業でいうなら私がおのれの統率力を過信していたのは事実であり、スポーツでいうなら一発目のフェイントによって二発目のシュートをみごとに決められたのも事実であり、要はおのれの実力を正確に知らなかったのである。
でも、このパンツは捨てたくない
甘い、と私は思った。
人生はまだ折り返しなのである。今日までセッセと積み上げた努力を世に問うのは、まだこれからなのである。肉体の老化はいかんともしがたいが、それを正確に知り、巧妙に制御しつつ後半生をまっとうに生きねばならぬ。これは男子の義務である。
と、ここまで思惟したところで、さきに述べたように、リアリズム追求のための稿に挑もうと考えたのであるが、いきなり冒頭から「私はいま、うんこを洩らした」というふうに書けば十中八九はボツになるであろうと思い直し、とりあえず風呂場に行った。
折しも家族が不在であったのは幸いである。外は雨、猫どもは眠っていた。
何しろパンツをはいたままの座りグソであるから、その惨状たるやとうてい筆舌には尽くしがたい。書けと命ぜられれば商売なのだから、細密なる描写を試みる自信がないわけではないが、文章表現におけるリアリズムの追求は、映像の前にはすでに無価値であると信ずるがゆえ、ここは行間を読ませる。
パンツを脱いだとき、ふと迷った。
常識的判断からすれば、かように穢(けが)れたパンツはビニール袋にくるんで捨てるべきであろう。
しかしそのパンツは、先日ニューヨークはマディソン街で購入した、カルバン・クラインであった。値段も高かったけれど、なにせカルバン・クラインの本店で買ったのである。そこいらで買ったその他のパンツとは、そもそも出自がちがう。たかだかクソに汚れたくらいでゴミ箱に捨てるのは、あまりに忍びがたかった。
しかもそのパンツは、ダーク・グレーの同色のTシャツと対(つい)になっており、パンツだけが消えればTシャツは気の毒な後家となる。私は常にシャツとパンツのメーカーは同一でなければ気が済まぬ。だとすると、罪もないTシャツまで、パンツとともにゴミ箱に捨てねばならない。ましてやお気に入りのカルバン・クラインがセットで消えたとなれば、家人はいち早くそれに気付き、多分に怪しむであろう。
どこに置いてきたのと問いつめられて、まさかうんこを洩らしたのでゴミ箱に捨てました、とは言えない。口がさけても言えない。さる事情により捨てたなどと言えば、よけいに怪しい。
汚れたパンツをぶら下げたまま、私は風呂場でしばし懊悩(おうのう)した。
次善の策としては、わが手で洗濯をし、乾燥機にかけ、そのまましらばっくれることであろう。しかし本稿の締切時間は刻々と迫っており、おもらしパンツを洗っている時間はなかった。
ましてや、その洗濯作業の最中に家族が帰ってきたら、いったい何と言いわけをすればよいのであろう。どう考えたって他の理由は思い浮かばないから、うんこを洩らしたので自分で責任をとっているのだよ、と言うしかあるまい。誠実すぎて涙ぐましい気がする。
時間的にも無理であるが、いっけん正道と思えるこの方法を採用すれば、家長としての権威はまちがいなく失墜すると私は思った。
捨てられぬ。洗えぬ。だとすると、残る策はひとつしかなかった。
雑巾バケツに水を張り、パンツを漬けておく。それだけでよい。
そう、家長はトイレに行く間も惜しんで、仕事をしているのである。もし笑われたり咎(とが)められたりしたら、体じゅうの息を吐きつくすような溜息をつき、「小説を書くというのは、大変なことなのだよ」などと呟けばよろしい。
バケツに堂々とパンツを浸し、シャワーを浴びて身を浄(きよ)めたのち、私はこのおかしくも悲しい原稿を書き始めたのであった。
不慮の事故ではある。しかし、私の思いすごしでなければ、日常の激務と体力の低下によって引き起こされた、必然の結果かもしれぬ。だとすると、多くの読者も同様の体験をお持ちなのではあるまいか。
つらつらとクソの役にも立たぬ原稿を書いてしまったが、若い編集者の手でボツにされぬよう、希(ねが)ってやまない。
(初出/週刊現代1998年7月11日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。
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