温厚なウィリーが生まれて初めて激怒した グラスゴーの地方局が制作したドキュメンタリー番組、「親友」では、町の人々が撮影したスナップ写真の数々も紹介された。カートを引いてコースに向かう3人の初老の男、サムの赤い帽子を直して…
画像ギャラリー今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。第15回は、スコットランドに生まれ育ち、共にゴルフを楽しんで来た3人の男の友情の物語。
夏坂健の読むゴルフ「ナイス・ボギー」その15 親友たちの午後
偶然を装って現れる2人のエスコート役
サムの妻君から電話だ。
「支度を始めたわよ。お願い」
「何分ぐらいかかる?」
「10分後には、おたくの前を通ると思うわ」
「了解。まかせなさい」
電話を切ったウィリー・キングは、家人に店番をたのむと、隣の自動車修理工場に走ってジョージ・ハドソンを車の下から引っ張りだす。
「サムがくるぞ。すぐ支度してくれ」
「よし、何分後だ?」
「8分」
「忙しいこっちゃ」
踵を返したウィリーは、ゴルフシャツに着替えてガレージに走り、手曳きカートにキャディバッグを乗せると、いつものように隠れんぼうの子供そっくり、物陰にひそんで通りの気配を窺い始める。と、妻君の予告通り、赤帽子に赤シャツのサムが正面にあごを突きだした独特の歩き方で現われた。
彼の派手な服装は、もし行方不明になったときの重要な手掛かりになる。過去に何度か、彼は自宅と反対方向に歩いてパトカーの世話になってきた。
カートを引いたサムが次第に近づいてくる。するとタイミングよく、とぼけた表情のウィリーが物陰から現われて、いかにも驚いた声。
「おや、サムじゃないか! これからゴルフかい?」
「うん」
「こいつは偶然だ。俺とジョージもコースに出掛けるところ、よかったら一緒にどうだい?」
「うん」
「よかった。ゴルフは仲間が多いほどおもしろい。調子はどうだね?」
「いい」
「それはよかった」
そのとき、横手からゴルフ支度のジョージが現われる。
「よお! サム・マッコードじゃないか、偶然だね。一緒に遊ぼうよ」
「うん、いいよ」
真紅のサムを真ん中に挟んで、3人は町外れにあるコーンウォース・ゴルフクラブまでの道のり、他愛ない冗談など飛ばし合いながら、のんびりと散歩を続けるのだった。
サムが軽度のアルツハイマーになってから2年、症状は少しずつ進行している気配だが、子供のころから親しんできたゴルフに対する熱意に限って翳りが見られず、週に2度ほど不意にゴルフ支度を始めるのだった。
そのたび2人の親友が大忙し、雑貨屋のウィリーと自動車修理工のジョージは、やりかけた仕事を投げ出して大急ぎゴルファーに変身すると、いかにも偶然を装ってエスコート役に徹してきた。スコットランドのマザーウェルに生まれた3人は、年齢が近いこともあって少年時代から仲が良く、さらに長じて3家庭の妻君同士もまた姉妹のように仲良しだった。こうした背景が美談を生んだとも言える。
温厚なウィリーが生まれて初めて激怒した
グラスゴーの地方局が制作したドキュメンタリー番組、「親友」では、町の人々が撮影したスナップ写真の数々も紹介された。カートを引いてコースに向かう3人の初老の男、サムの赤い帽子を直してやるウィリー、交叉点の車を手で制してサムの安全に配慮するジョージ。
全長5955ヤード、パー69、1907年に設立された野趣溢れるコースは、アルツハイマーの患者にとって安全な場所とは言えなかった。いくつかの野ウサギの穴が陥没して出来た深いバンカーと、かつてのクリーク跡がV字形の側溝となって残る2ヵ所が、とくに危険だった。
あるいは3人の妻君のうちの誰かがカメラを持って追ったのか、コース内での寸景も紹介されていく。さりげなくティアップに手を貸す2人、うまく飛んだのか、サムの肩を叩いて笑うジョージと、驚いてみせるウィリー。そうかと思うと、親友2人が深いラフの中を這い回っているというのに、ぼんやり高い雲に見とれるサムの童画的シーンも登場する。
とくに印象的なのが、壮大な夕焼けを背に、3人が影絵となって家路につくおだやかな光景である。横を通る車の窓から手が振られ、通りの向こうを行く老夫婦も笑顔で手を振っている。いかに人々が彼ら3人の友情を町の誇りとしてきたか、1枚の写真に愛情と善意が濃縮されて感動せずにはいられない。
やがてある日、コースの理事から素晴らしいニュースがもたらされた。
「クラブ設立75周年コンペの日が、どうやらサムの誕生日に当たるらしい。そこで相談だが、第1組に彼を迎えようではないか。もちろん症状については知ってるよ。スコアなんて二の次だ。当日は2人の名誉会員にサム、もう一人はウィリー、きみに参加してもらいたい。ジョージは第2組に入って、うしろからエスコート役に回ってもらおうか」
「喜んで! いますぐサムの妻君に知らせよう」
ウィリーは当日、サムの家族と近在のゴルフ仲間にも参加を呼びかけた。また、この日初めてドキュメンタリー番組のカメラもコースに入ったが、遠景とうしろ姿はとらえても、サムの顔にレンズを向けることはしなかった。
さて、記念すべきコンペの朝は、いかにもスコットランドらしい鉛色の雲がたれ込めて、ひんやりする風がコースをよぎる生憎の天気だった。
1番ティに現われたサムは、いつも通りの赤帽に赤シャツ、その上から赤いウィンドブレーカーをかぶって不安な表情だった。彼はウィリーがティアップしたボールに向かって小さく2度スウィングを試みたが、うまく当たらず、手前の芝が飛び散った。
「いいぞ、サム、申し分ない。今度は俺の番だ。さあティから降りて待っててくれよ」
残していったボールはウィリーが打って、拍手に送られながら第1組がスタートしていった。サムはときに打つ真似をすることもあったが、ほとんどの時間、小さな歩幅でウィリーのあとに従うだけだった。それでもグリーンに到着して、カップから2メートルほどの場所にボールを置いてやると、なんともお見事、それを一発で沈めてみせた。
「凄いじゃないか!」
ウィリーに抱き締められて、彼は珍しく声を出して笑った。事情に疎い名誉会員の1人が、スコアカード片手に小声で尋ねた。
「そちらの病人さんの場合、スコアはノーカウントだね?」
次の瞬間、温厚なウィリーが生まれて初めて激怒した。それは誰も見たことのない光景だった。
「な、何を言うか! ここにいる男は病人さんじゃない。人生の大半、町のために尽力した偉大なる公務員、サム・マッコードが彼の名だ。それからサムは、いつだって1番ホールが5に決まっている。昔から、こいつは1番が苦手なんだ。いいか、彼に対する無礼は断じて許さないぞ」
ウィリーは泣きながら叫んでいた。友情のあまりの深さに誰もが息をのみ、目頭を押さえる者もいた。
それから半年後、サムはあの世に旅立っていった。番組のナレーションはジョージの次なる言葉で終わっている。
「何を以て成功した人生と言うのだろう。富? 名誉? いや、いずれも真の幸福とは無縁のものだ。人生の中で真の友と出会い、日々心の贅沢に浸ることが出来たならば、富も名誉も色褪せた話の一つにすぎないと思うよ」
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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