ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧…
画像ギャラリーローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第14話は、フランス王宮の晩餐会に潜り込んだ男が、失神寸前の恐怖を味わったエピソードについて。
夏坂健の歴史グルメ・エッセイ 第14話
王政復古(レストーラシオン)がレストランの元祖
鳥の足を一本チョロまかしたのはいいが、給仕のポケットからそれがとび出して国王の目にとまった。
食卓にまつわるあれこれの中でも、私は『ルイ・フィリップと鳥の足』という話が好きである。
ルイ・フィリップといえば、例の七月革命のあとでフランスの王位についた〈バリケードの王〉〈市民の王〉で、ルイ14世の弟に発するオルレアン家の御曹子だ。約20年の亡命生活のあとで、ナポレオン対ルイ18世、シャルル10世のめまぐるしい追いかけっこの末に、タナボタ式に国王に迎えられるという幸運に恵まれたお人である。
この時期、つまり1814年からの16年間は《王政復古(レストーラシオン)》の嵐が吹き荒れた時代だが、それと同時に、ルイ王朝の崩壊でベルサイユ宮殿を追われた数百人の料理人たちが、市中で旨いものを手軽に食べさせる店をはじめて、それが根づいた時期でもあった。
だが、どの店も〈ピエールの店〉とか〈ジャック亭〉といった具合に、主人の名前を屋号に使うのが普通だった。
おりからの《王政復古》に、フランス語の美味飽食がひっかけられて、ここにめでたくレストランという言葉が誕生した。〈レストラン・ピエール〉〈レストラン・ジャック〉の出現である。
このタナボタ王、市民の王とは名ばかりで銀行家たちの勝手を許し、個人蓄財の才にも長けていたとしてドーミエらの風刺マンガの餌食にもなっているが、これから紹介する実話でもわかるように、本当は無類の好人物ではなかったかと思われる。
国王に迎えられて間もないある日、テュイルリー宮で宴会が催されることになった。
そのころの宴会といえば、100人や200人のお客を呼ぶことは珍しくなかったが、給仕長のラポアントの計算によると、およそ50人のアルバイト給仕を雇わないことには収拾がつかないほどだったというから、かなりの大宴会だったに違いない。
そこでラポアントは、ピラミッド街に住む牛乳屋のジュールに声をかけてやった。ずっと以前からジュールは、ことあるごとに、
「死ぬまでにたった一度でいい、宮殿の宴会がどんなものなのか、俺にちょっぴりのぞかせてくれないか」
とラポアントに頼み込んでいたからである。ジュールは堂々たる風采している。その点でも申し分なかった。
「ポケットから、小鳥の足が出ておるぞ!」
宴会はまた大舞踏会をも兼ねていた。ご馳走や飲み物を出したり下げたりしているうちに、ジュールは手つかずのまま下げる皿にシャコ(水辺に棲む旨い小鳥)の丸焼きが山盛りになっているのを見つけた。山海の珍味の中で働きづめのジュールの腹は、ただでさえグーグー鳴りっ放しなのに、夢にまで見たあこがれの宮殿のご馳走が、いま手つかずのまま下げられようとしている。
誘惑には勝てなかった。素早くあたりを見回して安全を確認すると、大急ぎでシャコをポケットにねじ込んだ。あとでこっそり雛肉にかぶりつけると思うと、それだけでよだれが口からこぼれ出そうになって始末に困るほどだった。
優雅に踊る人々のあいだを縫いながら、ジュールはお盆を捧げて出たり入ったりしていた。すると突然だれかに肩を叩かれた。ふり返ってみると、な、なんと、国王陛下が立っておられるではないか。化石のようになったジュールに陛下は近づき、彼の耳にささやいた。
「ポケットから、小鳥の足が出ておるぞ!」
この瞬間のジュールのおどろきたるや、全身の血が一度に凍りつき、足許にボトリと心臓がおっこちたような気がした。
蒼白、失神寸前のジュールの脳裏に、瞬間ギロチン台の光景が浮かんで消えた。
陛下はいっそうジュールの耳に近寄り、笑いを嚙み殺した声でささやいた。
「さあ、早くどこかへ行って、その小鳥の足を胃袋に隠してきなさい。ラポアントに見つかると、あいつめ、大騒ぎをするからね」
これはド・フレール侯爵が書いた『ルイ・フィリップ伝』の中に出てくる逸話だが、陛下の政治手腕はともかく、やさしくも心温かな人柄が見事ににじみ出ている話ではないか。
(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)
夏坂健
1936(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。
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