世界初、気候変動に強い大麦「N68‐411」を開発 サッポロビールが創業時から大切にしているビール原料への思いとは

サッポロビールが開発した大麦「N68‐411」

圃場で見た「N68‐411」 原料開発研究所の訪問では、以上のようなことがより理解できるために、穂発芽した大麦の穂の実物を見て、穂発芽がビールの品質に影響することを示す実験を観察したほか、「溶けやすさ」を実感する体験もで…

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サッポロビールには大きな特徴がある。ビールの主原料となる大麦の品種開発を、国内のビール大手4社の中で唯一行っている点だ。大麦やホップへの徹底したこだわりは明治9年の創業時から変わらない。100年以上の歴史を持つ同社が、実用化を目指して期待を寄せている大麦が「N68‐411」。農作物の生育や収穫は気象条件に大きく左右されるが、気候変動に強く、温室効果ガスの排出削減にもつながる優れた特性があるのだという。このような大麦は世界初だ。世界的な気候変動で収量減少のリスクが高まる中、原料の安定調達やサステイナブルなビールづくりへの貢献が期待できる。その「N68‐411」をはじめ品種改良の研究が行われているサッポロビール原料開発研究所(群馬県太田市)を訪れる機会があった。気候変動に適応する新品種の開発を目指す同社の取り組みをレポートする。

1876年の開所式、ビール樽に書かれた言葉

「麦とホップを製すればビイルとゆふ酒になる」

これは、サッポロビールの前身「開拓使麦酒醸造所」の開所式で、積み上げられたビール樽に書かれていた一節だ。1876(明治9)年9月、札幌。ここから、今に続くサッポロビールの歴史が始まった。冷製「札幌ビール」と名付けられた北海道初のビールが発売されたのは、1年後。ほどよい苦みと芳醇な香りがするとして高い評価を得たという。

以来、同社は自ら大麦とホップの品種改良を進め、ビールに適した新たな品種の開発を積極的に行ってきた。大麦とホップを「育種(いくしゅ)」(品種改良)しているビールメーカーは世界を見渡しても珍しいのだという。開所式の樽の挿話からは、「美味しいビール」を送り出すために創業時から続く原料へのこだわりが伝わってくる。

「我々の先人が、原料の重要性を(当時から)認識していた証拠になるのかなと思います」

群馬県太田市にあるサッポロビール原料開発研究所。保木(ほうき)健宏所長が、「開拓使麦酒醸造所」開所式の資料写真を示しながら、こう説明してくれた。

サッポロビールの原料研究開発の歩みについて説明する保木所長

原料開発の研究拠点は、群馬・太田と北海道・上富良野

サッポロビール原料開発研究所は、国内に2つの拠点がある。ひとつは、ホップの研究を行う北海道原料研究グループの北海道上富良野町。もうひとつが、主に大麦研究を行う原料育種開発グループと原料ソリューショングループの群馬県太田市だ。

保木所長が、続ける。「弊社では、良い原料というのは、良い品種、良い産地、良い管理で、出来上がるという基本的な考え方を持っています」

これが、同社の原料調達に対する基本姿勢。つまり、育種によって「良い品種」を求め、協働契約栽培によって「良い産地」と「良い管理」を担保しているのだという。

協働契約栽培とは、2006年からサッポロビールが始めた同社独自の原料調達の取り組み。顧客に「美味しさ」と「安全・安心」を届けるために、原料となる麦芽とホップを畑の段階からしっかりと見ていこうという考えだ。

具体的には、「フィールドマン」と呼ばれる原料の研究・製造・調達に携わる専門家が、直接現地に赴き、生産者との協働作業を通じて、畑から安全・安心で高品質な原料をつくり上げていく。いわば、サッポロビールと生産者を直接結び付ける重要な役割。同社では、協働契約栽培の3本柱として、「大麦とホップの産地と生産者が明確であること」「生産方法が明確であること」「サッポロビールと生産者の交流がされていること」を挙げている。

サッポロビールの群馬工場(木崎)、原料開発研究所

奇跡の大麦「はるな二条」と「旨さ長持ち大麦」

大麦の品種開発では、1981年に目覚ましい成果があった。サッポロビールが開発したビール大麦品種「はるな二条」のこと。従来のものに比べてエキス分が飛躍的に向上したのだ。「醸造品質が極めて優れる奇跡の大麦といわれる品種になった」(保木所長)。次世代のビール大麦を開発するにあたって、多くの国産ビールの大麦品種が、「はるな二条」の特性を受け継いでいるといっても過言ではないのだという。いわば、当時の日本のビール大麦のスタンダードにもなった。

同社の長年にわたる大麦研究の成果としては他に「旨さ長持ち麦芽」もある。麦芽は、文字通り“発芽した麦”のこと。収穫された大麦からつくられ、美味しいビールを醸造する上で欠かせない大切な原材料だ。ビールは、保存によって、味と香りが次第に劣化していく。具体的には、「老化臭」といわれる段ボールのような匂いが出てしまう。原因は、ビールの酸化を促す酵素「リポキシゲナーゼ‐1(LOX‐1)」の存在だった。この酵素を持たない大麦から製造したのが「旨さ長持ち麦芽」。この麦芽を用いることで、ビールの香味が従来よりも長持ちし、泡持ちの良さにつながった。「旨さ長持ち麦芽」は、2015年度の日本育種学会賞を受賞している。

大麦だけでない。2018年には、ホップの育種・栽培技術から商品開発までの一貫した取り組みが評価されて農芸化学技術賞にも輝いた。

そんな、原料の開発の歴史や実績を持つサッポロビールが、画期的な研究結果として発表したのが、「N68‐411」だった。

2023年6月、アメリカの学会で注目を浴びる

「気候変動にともなう降雨量増加への耐性と麦芽成分のバランスを向上させる性質を併せ持つ大麦を、世界で初めて発見」。1年前の2022年4月、同社はこんなニュースリリースを発信し、注目を浴びた。地球温暖化による大雨に対応した特性と、ビールの品質を保ち、美味しさを両立できる大麦の発見を伝える内容だった。

そして、今年2023年6月、アメリカで開かれたビール醸造技術で権威ある学会「2023 ASBC Annual Meeting」で、大麦をビール原料の「麦芽」にする過程(製麦)で発芽日数が短縮され、CO2排出量の削減につながる新たな大麦を開発したと発表。地球温暖化が進み、農作物の収穫への影響が懸念される中、その研究内容が大いに注目された。

温暖化による気候変動の影響を受けづらく、安定した収量を確保

「N68‐411」の大きな特性とは、何なのか。

ひとつは「穂発芽耐性」といわれるもの。もうひとつは「溶けやすい」性質がある点だ。

「穂発芽」とは、長雨の影響で「穂についたままの種子が収穫前に発芽する現象」のこと。こうなってしまうと、麦芽としては利用できなくなってしまう。

左が穂発芽大麦、右が通常大麦(提供画像)

「溶けやすい」とは、発芽の過程でデンプンやβ‐グルカン、タンパク質の分解が進みやすいことを指す。

そもそも、ビールの主役となる大麦とは、大瓶(633ml)1本にどれほど含まれているのか。大麦の穂で数えると約100本(種子の量としては約90グラム)となる。収穫された大麦は、同社資料によると、吸水させる浸麦(しんばく)工程(約2日間)、発芽工程(約6日間)、乾燥させる焙燥(ばいそう)工程(29時間※ラボスケールの製麦条件の場合)を経て、ビール醸造用の麦芽となる。

この発芽の過程で起きる「溶け」という現象が、とても重要になる。「溶け」(デンプンやβ‐グルカン、タンパク質の分解)が進み、発酵に必要な成分(糖やアミノ酸)が生成される。

保木所長の次に説明を行った木原誠主任研究員によると、一般的な大麦には「やっかいな現象がある」のだという。それは、一般に、穂発芽に対して強い「穂発芽耐性」のある品種は「溶けにくい」性質があること。つまり、デンプンやβ-グルカン、タンパク質の分解が進みにくく、麦芽の品質が低下するという課題があった。特に、β‐グルカンには粘性があって、ビールにとっては「悪玉」となる。充分に溶けていることが美味しいビールの条件となるわけだ。

大麦について解説する木原主任研究員。手にしているのは中瓶

「近年は気候変動で、穂発芽被害が出ている。そうなると、ビール会社としても極めて深刻な問題になってしまう」。木原主任研究員は、近年あった国内外の穂発芽被害の実例を挙げながら、「世界的にも、穂発芽のリスクが高まっている。今後の気候変動を考えて、品種改良によって、原料が安定調達できる取り組みを行っていく」と力を込める。

穂発芽しにくい品種は、溶けにくい―――。この難点を解決する大麦が、「N68‐411」だった。穂発芽しにくい性質と、溶けやすさを併せ持つことが示されたのだ。

そして発見した特性が「溶けが速い」ことだった。発芽日数が約6日間から約2日間に短縮されることから、二酸化炭素排出量の削減が期待できる。

さらに、今回のアメリカの学会では、「N68‐411」とその系統の大麦について、新たに分かった研究結果が発表された。浸麦工程も短縮できる可能性があるという内容。浸麦工程にはかなりの水を使う。水分量が従来のものより少なくても、ビール醸造に使える品質が確保された麦芽をつくることができるため、製麦に関するコストや環境への負荷が低減できる可能性がある。地球環境の変化に対応し、高品質で安定して供給できる大麦という特性が伝わる内容だった。

「溶け」への影響が分かる実験。溶けているほど染色されている。3番が「N68‐411」。低浸麦度(39%)で短日発芽日数(4日)にもかかわらず、1番と2番の通常大麦よりも染まっているのが分かる。2番は3番と同じ条件、1番は浸麦度が43%で発芽日数が6日(提供画像)

圃場で見た「N68‐411」

原料開発研究所の訪問では、以上のようなことがより理解できるために、穂発芽した大麦の穂の実物を見て、穂発芽がビールの品質に影響することを示す実験を観察したほか、「溶けやすさ」を実感する体験もできた。

通常の麦芽と、穂発芽した大麦で製麦した麦芽を使って、それぞれ製造した麦汁の色を見る実験は顕著だった。穂発芽したものの麦汁は通常のものより、色がかなり濃いのだ。「通常のビールより、味わいを阻害し、色味がそもそも全然違うので、これだとヱビスや黒ラベルには使えないんです」(木原主任研究員)

左が穂発芽大麦麦汁、右が通常大麦麦汁(提供画像)

このあとは、研究所を出て、周囲にある研究用の圃(ほ)場へ。そこには、実際の「N68‐411」が育っていた。圃場に近接して、大麦などを一時貯蔵する保管施設のサイロや、製麦施設が並んでいる。

サッポロビールが開発した大麦「N68‐411」

「原料から新たな商品価値を提案するのが原料開発研究所。新たな取り組みとして、気候変動に適応した品質の開発に注力していく」(保木所長)

日本の麦芽輸入量は、国別でみると、カナダやオーストラリアが多い。サッポロビールは北海道をはじめカナダ、オーストラリアの3つの産地でも育種を行っている。今後は、各地での栽培に適応した大麦に、この「N68‐411」の特性を取り入れる育種を進めていく。

穂発芽の品質への影響を説明する牧本梨奈研究員。フィールドマンでもある

2030年までには気候変動に適応するための新品種(大麦、ホップ)を登録出願し、35年までに国内で実用化、50年までにこの新品種のほか新たな環境適応性品種を開発し、国内外での実用化を目指すという。

「原料からビールをもっと美味しくしたい」。サッポロビールの原料開発研究の現場からは、創業時から脈々と続くこんな純粋な思いが改めて伝わってくる。

文・写真/堀晃和

「N68‐411」の畑で。左から牧本研究員、木原主任研究員、七森理仁主任研究員
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