「平賀源内説」の真偽は?なぜ、土用の丑の日にうなぎを食べるのか

2023年の土用の丑(うし)の日は7月30日。各地のうなぎ料理店では、職人が猛暑をものともせず、焼き台でうちわ片手に炭火の勢いを調整しながら、秘伝のタレを絡めたうなぎを焼き上げる香ばしい煙が店先にまで流れてきます。思わず…

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2023年の土用の丑(うし)の日は7月30日。各地のうなぎ料理店では、職人が猛暑をものともせず、焼き台でうちわ片手に炭火の勢いを調整しながら、秘伝のタレを絡めたうなぎを焼き上げる香ばしい煙が店先にまで流れてきます。思わず足を止める往来の人も多く、1年中で最も活況のときを迎えています。元来、日本人はうなぎが大好きですが、なぜ、土用の丑の日にうなぎが食べられるようになったのでしょうか。

万葉集にも詠まれた夏バテに効くうなぎ

土用とは、四季の変わり目とされる立春、立夏、立秋、立冬前の18日間を指し、年に4回あります。昔の暦では十二支(子、丑、虎、卯、辰…)で日にちを数えており、土用の期間内にある丑の日は「土用の丑の日」とされています。ただし、現代では夏のイメージとして定着しています。

この時季は、1年中で最も暑さの厳しい二十四節気の大暑(たいしょ)にもあたります。体力が消耗され、疫病にもかかりやすく、健康管理が何より優先されることから、酷暑を乗り切るためのスタミナ食として、滋養に富んだうなぎは、古くから珍重され、受け継がれてきました。

うなぎが桶の中でひしめき合う姿は、生命力に満ち溢れている

最古の歌集『万葉集』に奈良時代(710~794年)、歌人の大伴家持(おおとものやかもち)が、友人に宛てて詠んだ歌があります。「石麿(いわまろ)にわれもの申す 夏痩せに良しといふ物そ 鰻(むなぎ)とり食(め)せ」。夏バテして痩せてしまった友人に、栄養豊富なうなぎを食べて健康を取り戻すようにすすめる、家持の心遣いが表れています。

また、民間伝承で「土用の丑の日に“う”のつくものを食べると、暑気あたりを防ぐのに良い」とされ、うなぎのほかにも、うどんや梅干しなども好んで食べられていました。

食文化史研究家の飯野亮一さんによると、随筆集「明和誌(めいわし)」(文政5、1821年)に、「近き頃、(略)土用に入、丑の日にうなぎを食す。(略)安永・天明の頃よりはじまる」と記されていることから、江戸時代の安永・天明年間(1772~89年)に、土用の丑の日にうなぎを食べる慣習が始まったのではないかと考えられています。時代的には、老中、田沼意次による商業振興を重視した政治が行われ(1772~88年)、天明の大飢饉(1782~88年)に見舞われた頃です。

なぜ、土用の丑の日にうなぎが特別に好まれたのでしょうか。「諸説あるなかで、決定打はありませんが」と、飯野さんは前置きしたうえで、史料を元に解説してくださいました。

うなぎが蒲焼きとして食べられるようになったのは、江戸時代から。池や沼に群生している蒲(がま)の穂が、うなぎを筒切りにして串に刺して焼いた様子に似ているからとも言われている

「丑うなぎ」という言葉が流行

そもそも、うなぎは食欲増進や抵抗力を高めるビタミンAや、疲労回復に良いとされるやビタミンB群が豊富で、他にも夏バテ予防に最適な栄養素を多く含んでいます。

スタミナのつく食べ物として古くから親しまれていたうなぎが、人気を博したのが江戸時代中期から。この頃、江戸ではうなぎを背開きにした蒲焼きを売る店がこぞって、江戸城前の東京湾の特定地帯で獲れたうなぎを他と差別化して、「江戸前うなぎ」とブランドに仕立て上げ、美味をウリにしていたとか。ブランド化されたうなぎは、多くの人々にとって垂涎(すいぜん)の的の食べ物だったといえるでしょう。

加えて、夏の暑い盛りに貴重なたんぱく源として精をつけるのにうなぎが一番とする、蒲焼屋の戦略と庶民の欲求が一致したのでしょうか。「丑うなぎ」という言葉が流行るほど、土用の丑の日にうなぎを食べる慣習が一気に広まりました。

飯野さんいわく、「現代のバレンタイン商戦と似ていて、チョコレートをバレンタインデーに結び付けて売り出す商戦が成功したように、江戸の蒲焼屋もうなぎを土用の丑の日と結び付けて、年中行事としていったのはないでしょうか」
この流れ、他の何かにも似ているような…。2000年以降、全国で親しまれるようになった2月の節分の行事食、恵方巻きにも当てはまるのではないでしょうか。発祥の起源は定かではないものの、コンビニやスーパーが主導となって、恵方を向いて太巻き寿司を丸かぶりすると縁起が良いとされ、いまやすっかり風習と化しつつあるのは、「丑うなぎ」と共通点があるように思われます。

江戸のアイディアマンにすがった?「確証はなし」

土用の丑の日にうなぎを食べるのが良いと諸説あるなかで、最もポピュラーなのが江戸の万能学者、平賀源内(1728頃~79年)が仕掛けたとされる俗説です。平賀源内が、友人の蒲焼屋から夏場にうなぎが売れずに困っているとの相談に応じて、「土用丑の日 滋養にうなぎを食べよう」とった内容の貼り紙をしたところ、商売繁盛、世間に広く認知されたというものです。

暑いさなか、「土用の丑の日 栄養満点」の貼り紙に食欲がそそられる。江戸時代には、「丑うなぎ」という言葉が流行るほど人気を博した

これについて飯野さんは「平賀源内説が広まったのは明治以降だと考えられますが、確証となる文献、史料は残されておりません」ときっぱり否定します。「アイディアマンとして有名な平賀源内の提案によるものと結び付けることで“もっともらしい話”として定着したのかもしれません」(飯野さん)。

やがて参勤交代によって、江戸の風習や話題が全国各地にもたらされるようになると、多くの日本人が夏バテ防止に良いとして土用の丑の日にうなぎをいただくようになりました。

うなぎのたれと脂が炭に落ち、跳ね返った香ばしさでうまみがさらに増す

江戸時代の蒲焼きは蒸していないのが一般的。「(個人的には)蒸さない蒲焼きが酒の肴に最高だ」と笑う飯野さんは、うなぎが日本人に長らく愛される理由についてこう話します。「熟練の職人のもと、脈々と受け継がれてきた捌(さば)き、味付け、焼きと随所に卓越した技が光るうなぎ料理は、最高の一品です。単品の食材だけで商売する店は、うなぎ料理店の他にほぼありません」
江戸時代、いや古代から日本人があやかってきたうなぎが持つ並外れた生命力を大切にいただいて、厳しい暑さを無事、乗り切りたいものです。

文・写真/中島幸恵

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