「バビロンの妖精」バーキンでしか表現できない儚さ 極私的3曲その3は1983年に発売されたアルバムのタイトル曲「バビロンの妖精」だ。原曲はブラームス作曲の『交響曲第三番第三楽章』。セルジュ・ゲンズブールはアメリカのロック…
画像ギャラリー国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」ジェーン・バーキン(1946~2023年)の第2回は、筆者の極私的3曲をからめながら、世界的ヒット曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」と、バーキンの独特な歌声について考察します。
ブリジット・バルドーとのデュエットのために書かれた曲
ジェーン・バーキンの数あるヒット曲の中でも特に知られているのは、1969年に発表された「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」だろう。
この曲は元々は、フランスの女優で歌手のブリジット・バルドー(1934年生まれ)とのデュエットのために、セルジュ・ゲンズブール(1928~91年)が作詞・作曲し、1967年に発売される予定だった。当時、バルドーにはギュンター・ザックスという夫がいて、ゲンズブールとは不倫関係だった。ゲンズブールはこの曲をロンドンで録音し、フランスでヴォーカル部分をバルドーとデュエットした。しかし、夫のギュンター・ザックスの怒りを恐れたバルドーはこの曲の発売に同意しなかった。
それはそうだろう。「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」は、セックスの行為そのものという内容だったからだ。1969年、ゲンズブールは新しい恋人となったジェーン・バーキンとこの曲をデュエットし、世界的な大ヒットとなった。イギリスでは即放送禁止になったが、UKシングル・チャートではNo.1にさえなっている。日本でも細川俊之と中村晃子のデュエットがカヴァー・ヒットとなった。
多くのカヴァーやクラブ・ミュージックのサンプリングに使われた「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」だが、ぼくの極私的ジェーン・バーキンの名曲3曲にはあえて入れない。それでも、ジェーンが“ジュ・テーム~Je t’aim(愛してる)”と喘ぐと、ゲンズブールが“モワ・ノン・プリュ~Moi non plus(ぼく?さあね)”と答えるのは、いかにも根っからのシニシストだったゲンズブールらしいと思ってしまう。
「ジョニー・ジェーンのバラード」映画でも使われた
ぼくのジェーン・バーキン超私的3曲その1は「ジョニー・ジェーンのバラード」。セルジュ・ゲンズブールが監督した映画『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』(1976年)ではインストゥルメンタル・ヴァージョンが使われた。歌詞は映画の内容を描写したイメージだが、“ヘイ、ジョニー・ジェーン/君はショートカットで暗い顔して/絶望的な愛を探してた”(兼子涼里訳)という部分が大好きだ。
「想い出のロックン・ローラー」1960年代に夢中だった音楽好きのための曲
極私的3曲その2は1978年のアルバム『想い出のロックン・ローラー』のタイトル曲「想い出のロックン・ローラー」。バーズ、ドアーズ、アニマルズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ザ・ビートルズの4人の名前、エルヴィス・プレスリーなど数多くの伝説のミュージシャン名が歌詞に登場する。1960年代に夢中だった音楽好きのために書かれたような曲だ。
ぼくが初めてエルヴィス・プレスリーにしびれたのは1956年。そして1960年代は、ぼくの音楽リスナー人生の黄金時代だった。1975年に音楽ライターとして生活できるようになったが、1960年代はひとりのアマチュアとして、心から音楽に浸れた幸せな時代だった。「想い出のロックン・ローラー」はその頃を想い出させてくれる。
「バビロンの妖精」バーキンでしか表現できない儚さ
極私的3曲その3は1983年に発売されたアルバムのタイトル曲「バビロンの妖精」だ。原曲はブラームス作曲の『交響曲第三番第三楽章』。セルジュ・ゲンズブールはアメリカのロック/ポップスから多くを学んでいたが、その風土はあまり好まなかったという説もある。
“バビロン”とは“ロサンゼルス”のことで、“バビロンにベイブ(ベイビー)がひとり/洪水にあって溺れそう”(鳥取絹子訳)という歌い出しが、たまらなく儚げだ。この儚さはジェーン・バーキンでしか表現できない類のものだとも思う。
ウィスパー・ボイス
ジェーン・バーキンの歌唱には、よくウィスパー・ヴォイスという表現が使われている。でも、ぼくは単なるウィスパリング(ささやき)やそれに伴うセクシーさだけでは語れない、もっと深い歌心を彼女からいつも感じる。
セルジュ・ゲンズブールは、彼女にウィスパリングとセクシーさを強く求められたと思うのだが、いつしか歌はセルジュ・ゲンズブールから離れて彼女のものだけになった。個人的にはそれは妖精の歌声だったと思っている。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。