「同時にぴったりのメロディーが浮かんできた」 『かぐや姫さあど』の制作にあたっては、時間が押していた。南こうせつは友人の喜多条忠に1日で詞を書いて欲しいと殆ど無理を覚悟で依頼した。 そんな条件でも、無名だった喜多条忠は了…
画像ギャラリー国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」は今回から、シンガー・ソングライターの南こうせつを取り上げます。1949年、大分県出身で、70年にソロデビュー。直後に、フォーク・グループ「かぐや姫」を結成し、「神田川」「赤ちょうちん」「妹」などの大ヒットを生みました。解散後の76年には、日本武道館で日本人としては初のワンマンコンサートを成功させるなど半世紀以上、現在にいたるまで精力的に音楽活動を続けています。第1回は、やはり「神田川」のエピソードから。この名曲が生まれた背景は―――。
南こうせつといえば“かぐや姫”
南こうせつといえば“かぐや姫”だ。”かぐや姫”といえば「神田川」だ。1973年に『かぐや姫さあど』からシングル・カットされた「神田川」は発売から約1年で160万枚(当時、発売元クラウンレコードの公表)を売る大ヒットとなった。かぐや姫は国民的フォーク・グループとなった。ある世代の方々には懐しく忘れられない名曲だと思う。
当時のかぐや姫は、アルバムはそこそこ売れて、コンサートでの観客動員数も良かった。だが、シングル・ヒットが生まれない。伊勢正三(しょうぞう)、山田パンダという他のメンバーは、そのことをあまり気にしていなかったが、南こうせつだけはシングル・ヒットを熱望してい た。同世代のフォーク・シンガー、吉田拓郎 並みのヒットが欲しいと思っていた。
伊勢正三、山田パンダを熱心に説得し、何とかシングル・カット曲を売ろうということで制作に入ったのが、3枚目のアルバム『かぐや姫さあど』だ。メンバーはそれぞれシングル・ヒット向けの曲を作り、持ち寄った。
1973年9月にシングル・カットされた「神田川」
まず伊勢正三作曲の「僕の胸でおやすみ」がシングル・カットされ、この曲はオリコンのシングル・チャートで70位台に入るスマッシュ・ヒットとなった。
そして1973年9月にシングル・カットされたのが「神田川」だった。この曲がラジオでオンエアーされると、リクエストがたちまち殺到した。詞は、当時無名の作詞家だった喜多条忠(きたじょう・まこと、1947~2021年)に依頼した。作曲は南こうせつ、哀切感あふれるアレンジを手がけたのは、録音時にスタジオに詰めていた元ジャックスで東京芸大出身のミュージシャン、木田高介(たかすけ、1949~1980年)だった。弦楽器を大胆に導入した木田高介のアレンジがなかったら、あそこまでの大ヒットにならなかっただろう。
「同時にぴったりのメロディーが浮かんできた」
『かぐや姫さあど』の制作にあたっては、時間が押していた。南こうせつは友人の喜多条忠に1日で詞を書いて欲しいと殆ど無理を覚悟で依頼した。
そんな条件でも、無名だった喜多条忠は了承した。でき上がったのは、喜多条忠がかつて住んでいた東京の神田川そばのアパートをモチーフにした詞だった。メールはもちろんのこと、FAXも一般家庭には無かった時代だったので、喜多条忠は南こうせつに電話して、詞を書き取ってもらった。
そのことを後に南こうせつはぼくにこう語った。“喜多条さんから電話があって、待っていたぼくは、彼が話す言葉というか詞をメモしていったんだ。不思議なのは「あなたはもう忘れたかしら…」と記すと同時にぴったりのメロディーが浮かんできた。それから5分後には曲がすべてできていた。あとはヘッド・アレンジでやろうとスタジオに飛び込み、あっという間に完成したんだよね。
普通、編曲~アレンジというと編曲に頼んで楽譜にしてもらい、それをスタジオで演奏する。ヘッド・アレンジはミュージシャン同士がスタジオ内でアイデアを出しながら、そのままアレンジしていく手法だ。あの印象的なバイオリンのイントロは、南こうせつが木田高介に出したアイデアだった。こうして「神田川」は時間にしてわずか1日で完成した。その1日が、その後の南こうせつの音楽人生を変えると誰が予想できたろう。
すべては偶然だった
すべて偶然。まるで音楽の神のいたずらだった。
無名だった友人の喜多条忠に詞を頼むという偶然。5分で曲ができるという偶然。喜多条忠が神田川近くのアパートに住んでいたという偶然。そして、スタジオに芸大学出身の木田高介がいたのも偶然。木田高介は、交通事故で31歳の若さで亡くなった。生きていたら坂本龍一級のスター・ミュージシャンになっただろうと言われる。
それらすべてが、かぐや姫~南こうせつに重なり「神田川」が完成したのだ。かぐや姫は「神田川」の大ヒットにより、“寝る暇もないほど忙しかった”という状態になる。グループはそういった重圧や個々の複雑な思いが重なって、1975年4月の解散へ歩み始める。そして「神田川」は作者の南こうせつへも重圧となっていった。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。