歴史グルメ・エッセイ「美食・大食家びっくり事典」

「皿の中にニーチェの世界が存在している」!? 料理をごちゃまぜにするマーク・トウェインの持論

この皿の中にはニーチェの世界が存在している マーク・トウェーンといえば、ミシシッピー河の水先案内人の言葉で「水深2尋(ひろ)!」という意味である。アメリカが生んだ希代のユーモリストらしいペンネームである。 『トム・ソーヤ…

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ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第33話をお送りします。

ユゴーのごちゃまぜ料理は、いつ見ても気持ちが悪くなる

ワインは食事の知的な部分、肉や魚は物質的な部分にすぎない――デュマ――

なんでもかんでも一枚の皿に盛り上げて嬉々として食べる。こうなると盛りつけも料理のうちなどといってはいられない。

ヴィクトル・ユゴーと、アメリカ文学の父マーク・トウェーンにはおもしろい共通点がある。どちらも一枚の皿の上に手当たり次第の食べ物を山盛りにしてよろこぶクセがあって、しかも味覚よりも量が豊富であることが食事の条件だった。

ユゴーの友人で『フラカス大尉』などを書いたテオフィール・ゴーティエによると、

「彼は大きな皿の中に、油で炒めた隠元豆とスペア・リブ、トマト・ソースでベチョベチョになったロースト・ビーフ、パプリカにまぶされて赤くなっているオムレツ、酢漬けの魚を三匹、それに鮭のくん製の塊とチーズを投げ込んで、うれしそうに、うまそうに、片っぱしから素早く平らげていき、最後に残った肉片、魚片をかき集めて上からミルク・コーヒーをぶっかけ、あっという間に全部飲み込んでしまったのだった」

もう1人の証人であるウスティーヌも、

「アリストテレスの肝をつぶしかねないユゴーのごちゃまぜ料理は、いつ見ても気持ちが悪くなる」

と書いている。『レ・ミゼラブル』のユゴーはまた政治家でもあって、投獄、島流し、カムバックして上院議員という波乱の一生だったが、この無頓着な食欲が精力的な生涯を支えたといえるだろう。

この皿の中にはニーチェの世界が存在している

マーク・トウェーンといえば、ミシシッピー河の水先案内人の言葉で「水深2尋(ひろ)!」という意味である。アメリカが生んだ希代のユーモリストらしいペンネームである。

『トム・ソーヤーの冒険』の著者も若いころはひどい貧乏で、20歳ごろには20回目の仕事にミシシッピー河で水先案内人をしていた。本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズのマーク・トウェーンがシカゴのレストランで食事をしたとき、同席したのはアン・グレームという女性ジャーナリストだった。

アンによると、トウェーンは空腹でいくらか気が立っている様子だった。フランス料理店のメニューを見ながら矢継ぎ早に注文するその品数に彼女は仰天した。

やがて料理がやってきてもう一度びっくりした。トウェーンはあっちの皿、こっちの皿、この皿はあっちへやって、あれをここに入れて、などと独り言をいいながら食卓の上で障害物レースをはじめたのだった。合計で9皿あった料理は一緒にされて3皿にまとめられた。

「これでよし、と」

ようやく満足げにひとりうなずいてから、トウェーンはおもむろに食事をはじめた。3つの料理が1つになった皿の上の光景に、彼女は胸が悪くなってきた。

「あのう、ミスター・トウェーン、1つうかがってもいいでしょうか?」

「私の食べ物のことかね?」

トウェーンは先廻りしていった。

「私が考えたところでは、コックがその日の気分次第で作ったものを全面的に信頼して食べるのは危険な賭けというものだ。彼らが作るのは単なる二次的加工品にすぎない。そこで私はそれをもう一度加工して完成させているというわけさ」

皿の上をゆび指しながら、トウェーンは彼女に説明した。

「たとえばここにはコールド・ビーフとデザートの熱い煮栗とグリーン・サラダが入っている。わかるかね? この皿は熱の対照によって完成されている。熱いものと冷たいものが交互に作用して味覚を新鮮なものにしてくれる」

「この皿には仔牛肉のシチュー、フライド・ポテト、カラメルをまぶしたバター・ライスが入っている。これは堅さの対照がテーマになっている。カリカリしたものと、ドロドロしたものが共存すると、人をおどろかせる味覚芸術が誕生するものだ」

「そしてこの皿にはコール・スロー(千切りのサラダ)とマッシュ・ポテト、それにレアのステーキが入っている。ここでは本質の対照を問題にしているのだ。ニーチェがいうように、この世には異なるものが必要とされるわけだが、まさにこの皿の中にはニーチェの世界が存在している。わかったかね?」

そういってからトウェーンは、ヘドロのような皿に顔を突っ込んでいったのだった。

(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典』夏坂健(講談社)

夏坂健

1936(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

Adobe Stock(トップ画像:k2_keyleter@Adobe Stock)

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