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ローマの皇帝は、フランスの太陽王は、ベートーベンは、トルストイは、ピカソは、チャーチルは、いったい何をどう食べていたのか? 夏坂健さんによる面白さ満点の歴史グルメ・エッセイが40年ぶりにWEB連載として復活しました。博覧強記の水先案内人が、先人たちの食への情熱ぶりを綴った面白エピソード集。第33話をお送りします。

ユゴーのごちゃまぜ料理は、いつ見ても気持ちが悪くなる

ワインは食事の知的な部分、肉や魚は物質的な部分にすぎない――デュマ――

なんでもかんでも一枚の皿に盛り上げて嬉々として食べる。こうなると盛りつけも料理のうちなどといってはいられない。

ヴィクトル・ユゴーと、アメリカ文学の父マーク・トウェーンにはおもしろい共通点がある。どちらも一枚の皿の上に手当たり次第の食べ物を山盛りにしてよろこぶクセがあって、しかも味覚よりも量が豊富であることが食事の条件だった。

ユゴーの友人で『フラカス大尉』などを書いたテオフィール・ゴーティエによると、

「彼は大きな皿の中に、油で炒めた隠元豆とスペア・リブ、トマト・ソースでベチョベチョになったロースト・ビーフ、パプリカにまぶされて赤くなっているオムレツ、酢漬けの魚を三匹、それに鮭のくん製の塊とチーズを投げ込んで、うれしそうに、うまそうに、片っぱしから素早く平らげていき、最後に残った肉片、魚片をかき集めて上からミルク・コーヒーをぶっかけ、あっという間に全部飲み込んでしまったのだった」

もう1人の証人であるウスティーヌも、

「アリストテレスの肝をつぶしかねないユゴーのごちゃまぜ料理は、いつ見ても気持ちが悪くなる」

と書いている。『レ・ミゼラブル』のユゴーはまた政治家でもあって、投獄、島流し、カムバックして上院議員という波乱の一生だったが、この無頓着な食欲が精力的な生涯を支えたといえるだろう。

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この皿の中にはニーチェの世界が存在している...
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おとなの週末Web編集部 今井
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