コロナ禍でトップバッターを務めた「井出商店」に感謝 ラー博オープン時メンバーの“94年組”再出店に先駆けて始めていた「3週間のリレー形式出店」の第1弾は、和歌山「井出商店」さんです。この企画がスタートした2022年7月は…
画像ギャラリー全国のラーメンの名店が出店する「新横浜ラーメン博物館」(ラー博)が2024年3月6日、横浜市の新横浜駅前に誕生してから30年の節目を迎えました。登場した全国のラーメン店は50店を数えます。開業当初は、まだ空き地が目立っていた東海道新幹線の新横浜駅前。「こんなところに客が来るのか」と、出店したラーメン店主たちが不安を抱えたままの船出でしたが、今では年間約83万人もの客が訪れる“ラーメンの聖地”となっています。1日の入館者数は5000人に達することも。30年間の延べ入館者数は2900万人にも上ります。岩岡洋志館長が、ラー博の歩みを振り返り、現在と未来を展望します。
※トップ画像は、新横浜ラーメン博物館オープン当初の館内
34年前「全員反対」からのスタート
新横浜ラーメン博物館はオープンから30年が経ちました。皆様のおかげです。ありがとうございます。
誰もが新横浜ラーメン博物館(以下「ラー博」)が30年続くとは考えていなかったと思います。1990年3月にプロジェクトがスタートする前、家族、友人、関係者に話をしましたが、みんな反対でした。当時の新横浜は開発が進んできたものの、まだ空き地が目立ち、休日には人がいない状況です。それに、バブル経済の影響もあり、「新しいもの・近代的なデザイン」に目が向いている時代でした。
そんな状況下にラー博が掲げたコンセプトは、「誰もが知る大衆的な食べ物の『ラーメン』」「昭和33年の風景」「博物館」。すべてが時代に逆行した内容でした。
「みんな反対」の中にあっても、私は、自分にとって価値がある、良いと思うものを信じようとしました。この「自分の考えが信じられるのか」という煩悶を経て、自分自身の戦いに勝った私は、若さゆえの勘違いの自信もありましたが、溢れて枯れることのない泉のような情熱だけを武器に、企画の実施を決断しました。
30年間で50店…“芸能人(銘店)に素人がプロポーズするようなもの”
自分で企画のゴーサインを出したわけですが、実施にあたって、(不動産会社を経営していた)父親より条件が提示されました。それは、全国のラーメン店が出店してくれることです。シンプルで一番の肝になるポイントが条件でした。
有名ラーメン店の誘致は、当時30代前半の私には、“芸能人に素人の私がプロポーズするようなもの”。誘致から出店契約に結び付けるまでには、大変な困難を伴います。
最初は、お会いするのに一苦労、断られて当たり前、名前を知ってもらえればラッキーという状態。そこから、次第に気にかけていただけるようになり、契約へと進めていくことができました。
そして、この30年間で、50人もの店主にプロポーズし、結婚(出店契約)へと至ったのです。
「博物館」に託した想い…食文化を伝え残すこと
「ラーメンの博物館」とは、どういうところなのか。皆さんがどう感じられていたかは分かりませんが、私は至極、真面目に考えていました。それは、次のようなことです。
全国の有名なラーメン店が一堂に会し、そのラーメンを食べることができる。そして各地域に根付いたラーメンの食文化を知ることができる。
「たかがラーメン、されどラーメン」。このことを強く伝えたかったのです。
30年間の貴重な“レガシー”を常時公開へ
33年前から各地のラーメン店誘致に出向いていた私は、各ラーメン店オーナーに、ラーメン店を始めた経緯や、地域でどのように広まっていったのかをその都度聞いてきました。そして、食文化研究家の故・小菅桂子先生の著書『にっぽんラーメン物語―中華ソバはいつどこで生まれたか』(1987年)に登場する老舗ラーメン店の末裔たちへのインタビューや映像の収録、インタビュー内容の裏付け調査などを経て、ラー博で公開(一部は未公開)してきました。
貴重なこれらのインタビュー記録や映像収録データも、30年間の大切な“レガシー”です。ラー博に来ていただければ、これらの記録に常時触れることができる状態にするのが、私の希望です。博物館内でパソコンを使ったアーカイブの閲覧や、数種類の映像を選択して視聴できるような仕組み、時代背景と並列した展示などを考えています。
食文化は伝え残すことが重要です。引き続き進めていかなければならない、ラー博の重要事項でもあります。
この30年間で、ラーメンを自分の好みの味かどうかだけでなく、そのラーメンの生まれた背景、店の歴史、地域の特性、オーナーの人柄など、多方面から見ていただくことに多少は影響を与えることができたのではないかと自負しています。
最終的には、『(仮題)ラーメンの誕生から現在まで』として、100年先にまで残るような本にまとめ、国立国会図書館に収蔵することが、私のラー博人生の集大成と考えています。
30周年企画「あの銘店をもう一度」で知った店主の新たな一面
2年前から実施してきた30周年企画「あの銘店をもう一度」については、何から何まで分かっているつもりのラーメン店オーナーの新たなる一面を見ることができました。そのことに驚き、感動、喜びを感じています。この企画でのエピソードを、いくつかお話します。
まずは1994年創業のメンバーで、このコラムでも幾度となく紹介した東京・目黒「支那そば勝丸」の後藤勝彦さんのことです。
出店前に「3カ月間休まず現場に立つ!」と言われたのですが、出店期間中に80歳を迎える後藤さんが休まず厨房に立つのは正直無理だと思っておりました。しかし、結果的に休まず立たれたのです。
この出来事がその後、出店する店主たちに大きな影響を与えました。
86歳となった福島・喜多方「大安食堂」の遠藤進さん、66歳の札幌「すみれ」の村中伸宜さん、71歳の博多「一風堂」の河原成美さんは、口をそろえて、「後藤さんには負けられない!」と自身を鼓舞し、長時間にわたり厨房に立たれました。後藤さんの行動が導火線となり、長老たち(笑)の心に火が付いたのです。
大先輩たちはとても輝いていました。かっこいいなと、心底憧れました。同時に、以前出店していただいた時も今回みたいにずっと厨房にいてくれたらな~とも思いましたが(笑)。
コロナ禍でトップバッターを務めた「井出商店」に感謝
ラー博オープン時メンバーの“94年組”再出店に先駆けて始めていた「3週間のリレー形式出店」の第1弾は、和歌山「井出商店」さんです。この企画がスタートした2022年7月は、まだコロナ禍の真っただ中でした。お客さんが来るかどうか分からない中で、トップバッターをご決断いただいたことには本当に感謝しかありません。結果、多くのお客様にお越しいただき、この出店が話題を呼んで、素晴らしいバトンが第2弾へと繋がっていきました。
第15弾でご出店いただいたのは「支那そばや」さんです。創業の地・鵠沼(くげぬま、神奈川県藤沢市)時代のラーメンを再現していただいたのですが、あまりにも原価がかかってしまい、通常のラーメンが1400円というこれまでで最も高い価格になりました。不安もありましたが、価値を超える内容に、お客様から値段に関しての不満は一切出ませんでした。
福岡の2店がリレー、生まれた「絆」と集客の相乗効果
第21弾の「ふくちゃんラーメン」と、第22弾の「魁龍博多本店」は、福岡で暖簾を掲げる店舗のリレーとなりました。企画がスタートする前は、同じ地域のラーメンが続くとお客さんが減るのではないかという不安がありましたが、実際にやってみると、逆に相乗効果を生んで、多くのお客さんに来ていただけました。そして、感動的だったのが、お店同士の絆でした。
「ふくちゃん」の榊伸江さんは、その後に入る「魁龍」の森山智子さんが不安がっているところを見て「大丈夫だから。何でも相談して」と、声をかけられました。智子さん曰く、その一言が大きな支えとなったそうで、出店期間中はほとんどの麺あげを成し遂げられました。智子さんはゆで麺機の前に、伸江さんの写真を貼って厨房に立たれました。
二代目、三代目の活躍が企画を盛り上げた
第24弾で出店いただいたのは北海道・旭川の「蜂屋」さん。二代目の加藤直純さんが出店直前で入院することになりましたが、三代目の信晶さんが指揮をとり、大盛況の中で3週間を終えました。大変失礼な話ですが、以前は頼りなく感じた面もあったので、三代目の成長にはびっくりしました。
今回の企画では以前出店していただいた頃から代替わりも始まっています。二代目、三代目が活躍したのも、今回の企画が盛り上がった要因だと思います。完全に代が替わったわけではありませんが、福岡・久留米「大砲ラーメン」の香月望来さん、博多「一風堂」の河原凜さん、岩手・久慈「らーめんの千草」の遠藤圭介さんなど、新しい世代の成長には夢と希望があります。
これ以外にも書ききれないエピソードがたくさんありますが、今回の企画に賛同していただきご出店いただいたこと、心より感謝申し上げます。
「ラーメン登龍門」の復活、ラー博31年目に向けて
ラー博の未来について少しお話しします。
まず31年目の近未来の取り組みとして、1999年に開催した「ラーメン登龍門」を3年に1度実施していく予定です。
ラーメン文化は、その地域の気候、風土、産業やライフスタイルによって独自の味が生まれてきたと推測されます。知恵を振り絞り、工夫を重ねてきたのは、ラーメン職人の方々です。
それは「美味しいラーメンを作ろう!」との一念で、独自のこだわりをもって妥協することなく研究された賜物であると私たちは考えます。
飽食の時代と言われ、情報化社会となった現代において、これから先、ラーメンの未来はどうなっていくのか。そう考えた時、ラーメン職人の潜在能力や新たな才能を発掘するステージが必要なのではと思い、ラーメン登龍門を実施する運びとなりました。
2024年6月に51店舗目がオープン
そして「あの銘店をもう一度」が終了した後、2024年6月には51店舗目の新店舗がオープンします。まだ詳細はお伝え出来ませんが、お客様に驚き、感動、喜びをお届けできると思っております。
最後に、5年後の70歳で、私は館長の立場を退き、次の世代へバトンタッチしていきたいと考えています。
私自身は、ラー博を立ち上げた時から変わらない想いがあります。それは、超情報化社会の中で、お客様に驚き、感動、喜びを、どのように提供できるかということ。これについては、引き続き次世代と話し合っていきます。
31年目のラー博に是非ご期待ください。
「あの銘店をもう一度」の参加店舗一覧
■銘店シリーズ(3週間のリレー形式出店)
・第1弾:和歌山「井出商店」(2022年7月1日~7月21日)
・第2弾:福島・会津「牛乳屋食堂」(2022年7月22日~8月11日)
・第3弾:埼玉・川越「頑者」(2022年8月12日~9月1日)
・第4弾:福井・敦賀「中華そば 一力」(2022年9月2日~22日)
・第5弾:静岡・伊豆「あまからや」(2022年9月23日~10月13日)
・第6弾:岡山・笠岡「中華そば坂本」(2022年10月14日~11月3日)
・第7弾:札幌「名人の味 爐(いろり)」(2022年11月4日~11月24日)
・第8弾:福岡・久留米「大砲ラーメン」(2022年11月25日~12月15日)
・第9弾:青森「八戸麺道大陸」(2022年12月16日~2023年1月9日)
・第10弾:高知・須崎「谷口食堂」(2023年1月10日~1月30日)
・第11弾:博多「麺の坊 砦」(2023年1月31日~2月20日)
・第12弾: 岐阜・飛騨高山「やよいそば」(2023年2月21日~3月13日)
・第13弾: 博多「元祖名島亭」(2023年3月14日~4月3日)
・第14弾:函館「マメさん」(2023年4月4日~4月24日)
・第15弾:「 支那そばや」(2023年4月25日~5月15日)
・第16弾: アメリカ「IKEMEN HOLLYWOOD」(2023年5月16日~6月5日)
・第17弾:イタリア・ミラノ「カーザ ルカ」(2023年6月6日~6月26日)
・第18弾:佐賀・唐津「らぁ麺むらまさ」(2023年6月26日~7月17日)
・第19弾:京都「新福菜館」(2023年7月18日~8月7日)
・第20弾:アメリカ・NY「YUJI RAMEN」(2023年8月8日~8月28日)
・第21弾:博多「ふくちゃんラーメン」(2023年8月29日~9月18日)
・第22弾:福岡・久留米「魁龍博多本店」(2023年9月19日~10月2日)
・第23弾:宮城・気仙沼「かもめ食堂」(2023年10月3日~10月30日)
・第24弾:北海道・旭川「蜂屋」(2023年10月31日~11月20日)
・第25弾:札幌「けやき」(2023年11月21日~12月11日)
・第26弾:ドイツ「無垢ツヴァイテ」(2023年12月12日~2024年1月10日)
・第27弾:福島・郡山「春木屋郡山分店」(2024年1月11日~1月31日)
・第28弾:カナダ「RYUS NOODLE BAR」(2024年2月1日~3月3日)
・第29弾: 岩手・久慈「らーめんの千草」(2024年3月6日~4月7日)
■94年組シリーズ(3カ月前後のリレー形式出店)
・第1弾:東京・目黒「支那そば勝丸1994」(2022年11月7日~2023年2月26日)
・第2弾:東京・環七「野方ホープ1994」(2023年3月2日~7月17日)
・第3弾:東京「げんこつ屋1994」(2023年7月20日~10月22日)
・第4弾:福島・喜多方「大安食堂1994」(2023年10月27日~2024年1月8日)
・第5弾:札幌「すみれ1994」(2024年1月9日~2月5日)
・第6弾:博多「一風堂1994」(2024年2月9日~5月12日)
『新横浜ラーメン博物館』の情報
住所:横浜市港北区新横浜2-14-21
交通:JR東海道新幹線・JR横浜線の新横浜駅から徒歩5分、横浜市営地下鉄の新横浜駅8番出口から徒歩1分
営業時間:平日11時~21時、土日祝10時半~21時
休館日:年末年始(12月31日、1月1日)
入場料:当日入場券大人450円、小・中・高校生・シニア(65歳以上)100円、小学生未満は無料
※障害者手帳をお持ちの方と、同数の付き添いの方は無料
入場フリーパス「6ヶ月パス」500円、「年間パス」800円
※協力:新横浜ラーメン博物館
https://www.raumen.co.jp/