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全国のラーメンの名店が出店する「新横浜ラーメン博物館」(ラー博)が2024年3月6日、横浜市の新横浜駅前に誕生してから30年の節目を迎えました。登場した全国のラーメン店は50店を数えます。開業当初は、まだ空き地が目立っていた東海道新幹線の新横浜駅前。「こんなところに客が来るのか」と、出店したラーメン店主たちが不安を抱えたままの船出でしたが、今では年間約83万人もの客が訪れる“ラーメンの聖地”となっています。1日の入館者数は5000人に達することも。30年間の延べ入館者数は2900万人にも上ります。岩岡洋志館長が、ラー博の歩みを振り返り、現在と未来を展望します。

※トップ画像は、新横浜ラーメン博物館オープン当初の館内

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34年前「全員反対」からのスタート

新横浜ラーメン博物館はオープンから30年が経ちました。皆様のおかげです。ありがとうございます。

岩岡洋志館長

誰もが新横浜ラーメン博物館(以下「ラー博」)が30年続くとは考えていなかったと思います。1990年3月にプロジェクトがスタートする前、家族、友人、関係者に話をしましたが、みんな反対でした。当時の新横浜は開発が進んできたものの、まだ空き地が目立ち、休日には人がいない状況です。それに、バブル経済の影響もあり、「新しいもの・近代的なデザイン」に目が向いている時代でした。

開業前の新横浜の風景(空地手前がラー博の建設地)

そんな状況下にラー博が掲げたコンセプトは、「誰もが知る大衆的な食べ物の『ラーメン』」「昭和33年の風景」「博物館」。すべてが時代に逆行した内容でした。

「みんな反対」の中にあっても、私は、自分にとって価値がある、良いと思うものを信じようとしました。この「自分の考えが信じられるのか」という煩悶を経て、自分自身の戦いに勝った私は、若さゆえの勘違いの自信もありましたが、溢れて枯れることのない泉のような情熱だけを武器に、企画の実施を決断しました。

30年間で50店…“芸能人(銘店)に素人がプロポーズするようなもの”

自分で企画のゴーサインを出したわけですが、実施にあたって、(不動産会社を経営していた)父親より条件が提示されました。それは、全国のラーメン店が出店してくれることです。シンプルで一番の肝になるポイントが条件でした。

有名ラーメン店の誘致は、当時30代前半の私には、“芸能人に素人の私がプロポーズするようなもの”。誘致から出店契約に結び付けるまでには、大変な困難を伴います。

最初は、お会いするのに一苦労、断られて当たり前、名前を知ってもらえればラッキーという状態。そこから、次第に気にかけていただけるようになり、契約へと進めていくことができました。

そして、この30年間で、50人もの店主にプロポーズし、結婚(出店契約)へと至ったのです。

出店まで約100回通った札幌「すみれ」

「博物館」に託した想い…食文化を伝え残すこと

「ラーメンの博物館」とは、どういうところなのか。皆さんがどう感じられていたかは分かりませんが、私は至極、真面目に考えていました。それは、次のようなことです。

全国の有名なラーメン店が一堂に会し、そのラーメンを食べることができる。そして各地域に根付いたラーメンの食文化を知ることができる。

「たかがラーメン、されどラーメン」。このことを強く伝えたかったのです。

新横浜ラーメン博物館の竣工式
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30年間の貴重な“レガシー”を常時公開へ...
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