「日本は、この娘婿(信長)の天下になる」 道三が、信長に初めて会ったとき、「これからの日本は、この娘婿の天下になるだろう」と思ったといいます。そして、「この若者にわが斉藤家は滅ぼされるな」とも直感したといいますが、そんな…
画像ギャラリー『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。
戦国の三梟雄
小田原城のところでもお話ししましたが、斉藤道三は、北条早雲、松永久秀と並んで、戦国の三梟雄(早雲の代わりに宇喜多直家を指す例もある)と呼ばれています。梟雄の梟の字はフクロウと読みます。フクロウは夜に行動する習性から「闇」といったイメージが先行します。つまり、どこかダーティな影が付きまといます。
たしかにこの3人は、(1)素性がはっきりしない人たちで、(2)3人とも主家を乗っ取ってのしあがり、(3)国盗りに成功した、(4)土地者ではない他国人という共通点はありますが、三人の生きた時代が違っていたり、それぞれが残した業績の大きさなどを考えますと、三人一緒にひっくるめて「梟雄呼ばわり」はちょっとなあ、という率直な感想を持ちます。
標高329mの急峻な金華山(きんかざん)に建設
ま、それはともかく、斉藤道三です。出生年不詳、僧侶から身を起こし、油問屋の暖簾をくぐり、その店の身代を乗っ取ったあとは、美濃の守護・土岐氏の重臣の家来になり、その家も乗っ取り、次に斎藤家に目を向け、その家名まで乗っ取ってしまい、さらには主筋の土岐家に牙をむき、美濃の守護・土岐頼芸をもやっつけて、わずか十数年で37万石の大大名に駆け上がった人です(もっとも、最近の研究では「これらのこと」は道三と親の2代で完成させた、という説が有力)。その道三が築いた城が(金華山)稲葉山城です。
のちに道三の孫にあたる龍興の時代に信長が攻めて落城させ、岐阜城と呼ばれるようになりました。いまでも金華山のてっぺんにその姿を残す城は、みなさんお察しのとおり難攻不落でした。それにしても、よく、あの標高329mもの急峻な山に城建設を思い立ったものです。
「日本は、この娘婿(信長)の天下になる」
道三が、信長に初めて会ったとき、「これからの日本は、この娘婿の天下になるだろう」と思ったといいます。そして、「この若者にわが斉藤家は滅ぼされるな」とも直感したといいますが、そんななかでわが息子にも、少しは名を残してほしいとも思いました。道三は戦に負けないために、困難を承知であえて山のてっぺんに城を築いた男です。戦いでの攻められ方、守り方を熟知している男でした。
しかし、彼の人生最後の戦いは、不幸にして息子・義龍との父子対決でした。道三は息子の挑発に(わざと)乗って、長良川の河原で戦闘に応じたのです。道三の兵は、義龍側に比べ圧倒的に少ない数でした。
兵力に劣る側が平坦な地形で戦ったら負けることは、道三にしてみれば戦術のイロハのイです。にもかかわらず、戦上手の百戦の雄・道三はこの時、河原での戦闘を選択しました。これは、息子に、「さあ、父の屍を乗り越えて、信長に少しでも近づくことができる武将になれ!」という、父の最後のメッセージだったのではないか。息子の前に、あえて身をもって示した親の最後の情ではなかったかと私には思えてなりません。
信長が6年もかかった稲葉山城攻略
義龍はその後、信長に何度も攻め込まれて苦しむうちに、34歳で病に倒れます。息子龍興が14歳で跡を継ぎますが、結局は、永禄10(1567)年、稲葉山城は信長の手に落ちます。信長は稲葉山城攻略に6年もかかったことになり、いかに難攻不落だったかがわかります。
信長は井ノ口と呼ばれていた地名を岐阜に改め、稲葉山城を岐阜城としました。「岐阜」は中国の古代王朝、周が岐山という村から興った故事にならい、信長のブレーンだった沢彦(たくげん)和尚が進言したといわれています。なお、「阜」は、丸くふくれる形を表す単語。こうして岐阜城に本拠を構えた信長は、「天下布武」の朱印を用いて本格的に全国統一に乗り出していきます。
信長にスカウトされた天才軍師・竹中半兵衛
話はそれますが、義龍、龍興父子に仕えたのが、竹中半兵衛こと重治です。主君龍興が女色にふけり、政務をおろそかにしたのを見て、半兵衛は手勢16人で稲葉山城を乗っ取ってしまいます。半兵衛は龍興を諫めたつもりだったので、すぐに城を返しますが、それが信長の知るところとなり半兵衛はスカウトされます。
しかし、半兵衛は主君変更を潔しとせず拒絶。後に秀吉が三顧の礼をもって家臣に迎えたとされています。岐阜城はその後、信長の孫にあたる織田秀信の居城であった時、関ヶ原の前哨戦で福島正則らに攻められ三度目の落城の憂き目に遭っています。
【岐阜(稲葉山)城】
金華山山頂329mにそびえる岐阜城。斎藤道三が稲葉山城として整備し、織田信長が改築、岐阜城と改めた。現在の天守は昭和31年に復元された。
料金:大人200円、小人100円
営業時間:9時30分~17 時30分(10月17日~3月15日は16時半まで)、元旦は6時半~16時半 ※期間限定で夜間営業有
休業日:年中無休(ロープウェーについては定期点検がある場合も)
金華山ロープウェー:大人往復1100円、小人往復550円、大人片道630円、小人片道300円
住所:岐阜市金華山天守閣18
電話:058-263-4853
【斎藤道三】
さいとう・どうさん。1494~1556年。美濃のマムシと恐れられ、下克上大名の代名詞とされる。斎藤氏は金華山に稲葉山城を作り、義龍、龍興と3代にわたってその城下町を治めた。娘、帰蝶(お濃、濃姫)は信長に嫁ぐ。
松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。
※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載
※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」