天皇家の食卓

天皇陛下が自由を満喫された、英国オックスフォード大学留学中の食事

アサザ

2024年6月22日から、天皇陛下と雅子さまは英国に公式訪問される。英国は、若かりし頃のお二人がオックスフォード大学に留学していた懐かしい国。今回の訪英の間には、かつて勉学に励んでいたオックスフォード大学を再訪する予定もあるという。留学当時20歳だった浩宮さま(今の天皇陛下)の著書『テムズとともに――英国の二年間』には、オックスフォード大学での食事の様子が詳しく記されている。若き日本の親王は、大学でどのような食生活を送られていたのだろうか。今回は、浩宮さまが青春時代を過ごしたオックスフォード大学の食の物語である。

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2024年6月22日から、天皇陛下と雅子さまは英国に公式訪問される。英国は、若かりし頃のお二人がオックスフォード大学に留学していた懐かしい国。今回の訪英の間には、かつて勉学に励んでいたオックスフォード大学を再訪する予定もあるという。留学当時20歳だった浩宮さま(今の天皇陛下)の著書『テムズとともに――英国の二年間』には、オックスフォード大学での食事の様子が詳しく記されている。若き日本の親王は、大学でどのような食生活を送られていたのだろうか。今回は、浩宮さまが青春時代を過ごしたオックスフォード大学の食の物語である。

自由な学生として過ごした青春の日々

1983(昭和58)年6月、浩宮さま(今の天皇陛下)は英国オックスフォードに到着。しばらく大使館などで過ごされたのち、10月4日にオックスフォード大学マートン・コレッジに入学された。1985年(昭和60年)10月に帰国するまでの2年間、一人の学生として過ごされたのだ。当時の様子を『テムズとともに――英国の二年間』(徳仁親王著)から紐解いてみよう。

オックスフォード大学は、ロンドンの西北西約90キロメートルに位置するテムズ川中流域の町である。オックスフォードには、オックスフォード大学の建物があるのではなく、女子のみのコレッジと大学院生と研究者のコレッジを含む、35(現在は39)のコレッジがおのおの独立しながらオックスフォード大学という一つの連合体をつくっている。コレッジは学寮であり、専攻分野を異にする学生が生活をともにする場である。すべての学生は、コレッジとファカルティー(日本の学部学科にあたる)の両方に属することになっていた。

インスタグラムの宮内庁公式アカウント

ちなみに、こののち1988(昭和63)年に雅子さまが外務省職員時代に留学されたのは、ベーリオール・コレッジである。

浩宮さまにとって、オックスフォードでの2年余の経験は、計り知れない貴重なものであった。浩宮さまは、著書の終章にこう書かれている。

「再びオックスォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう。……」

まことに切ない思いが綴られている。一生にただ一度しかないであろう貴重な時、という覚悟を持って過ごされた2年間だったのだろう。では、浩宮さまはオックスフォード大学でどのような日常生活を送られていたのか。食事のご様子を拝見しよう。

【朝食】トーストとコーン・フレークスに濃い紅茶

朝食は午前8時15分から45分まで、食堂でのセルフ・サービスである。メニューはトーストに卵料理、日によってはハムやベーコン、ソーセージなどがつき、コーヒーと紅茶の用意がある。金曜日の朝のみ、キッパー(ニシンの燻製)が出た。浩宮さまは、小骨を抜き取る作業に苦労したという。

浩宮さま自身は、毎朝トースト1枚に、コーン・フレークスなどのシリアル類と紅茶をとり、ゆで卵を加えることもあった。紅茶はきわめて濃く、まるでコーヒーのようだった。

食事を終え、自室に帰ると自分で淹れたコーヒーを飲みながら新聞に目を通す。コーヒーを淹れる愉しみを覚えたのも、留学時代であった。

二の丸池の飛石

【昼食】どっさりの温野菜にシチューかスパゲッティ

昼食は午後12時45分から、セルフ・サービス。マートン・コレッジの食事はコレッジのなかで最もおいしかったから、他のコレッジの学生までやってきて食堂の外は長蛇の列である。メニューは、ビーフ・シチューなどのシチュー類にスパゲッティ、パイなどの3~4種から選べる。

まずメインディッシュ用の大皿が渡され、そこにポテトや芽キャベツ、グリーンピースなどの温野菜が盛り付けられる。「少し」と言わないと山のように盛られてしまう。浩宮さまも入学当初は「少し」と言うタイミングがつかめず、メイン料理を覆い隠すほどに温野菜を盛られてしまってうんざりしたこともあった。

昼食後は、ミドル・コモン・ルーム(MCR)に行って仲間とコーヒーを飲みながらひとときを過ごされる。ミドル・コモン・ルーム(MCR)は13世紀末に学長の私邸のホールとしてつくられたもので、当時の面影を残す壮観で美しい部屋である。コーヒーはかなり濃かったが、友人との会話が楽しみだったという。

コーヒーを飲んでくつろぎながら、ときには友人たちが一つの話題で議論を繰り広げることもあった。

ちょうどウィンブルドン・テニスに初めてサービスのインかアウトかを音で判定するシステムが導入された折で、その是非を話し合ったこともあった。学生たちが音の判定システムはいらないと言うのに対し、一人の学生が笑いながら「判定者のメガネのレンズがあまりに分厚いから、速球の判定は困難ではないか」と反論する。学生らしい和やかなひとときである。

ヒレナガニシキゴイ

【夕食】ネクタイを締めてガウンを羽織り、ラテン語の祈りから始まる

夕食は、インフォーマルな食事とフォーマルな食事が別に用意される。

午後6時30分からはインフォーマルな夕食。服装は自由でよく、セルフ・サービスとなっている。メニューは、スープと肉料理、デザートである。スープの皿と肉料理の皿を受け取り、カウンターでよそってもらう。温野菜は、テーブルに置いてある皿からめいめいが取り分ける。浩宮さまはゆで過ぎくらいの芽キャベツが大好物だったという。

フォーマルな夕食は午後7時30分から始まる。学生はガウンとネクタイの着用が義務づけられ、違反したり遅刻するとビールの一気飲みの罰が与えられる。ホールの奥の一段高くなったハイ・テーブルに先生方が座り、木槌の音を合図に全員が起立し、学生の代表が前に進み出てラテン語のお祈りをしてから、食事が始まる。メニューはこちらもスープと肉料理、デザート。映画『ハリー・ポッター』シリーズのワンシーンさながらである。

週2回ほど、ゲスト・テーブルの予約が取れると、外からの知人を招いてロビーで食事をすることができる。ここでは手の込んだ食事が出され、ワインを持ち込んでゆっくりゲストとの会話を楽しむこともできた。浩宮さまも、駐英大使や大使館の人たちを招いて食事をされたという。

二の丸庭園

アフリカへの基金や難民救済として寄付

浩宮さまの心に残ったのは、食事を利用してのチャリティーだった。

1年に1度、1週間にわたって「ブラウン・ライス・ウィーク」が行われる。通常と同じ食事代を払うが、食事は「ブラウン・ライス(玄米)」のみで、食材費の差額をアフリカの飢饉や難民救済の資金として寄付するのである。学生たちが、苦しんでいる人々に想いを馳せるための催しであった。浩宮さまも、「一つ善行をした」と感じられたものだった。

ちなみに、浩宮さまが滞在中の食事の費用は、朝食は43ペンス、昼食は78ペンス、夕食は1ポンドであった(1983年10月の1ポンドは日本円で348円。1ポンド=100ペンス)。コレッジで食事をするとだいぶ節約になる。さらに、節約のために1日2食ですませる学生もいた。浩宮さまにとって、学生が食費を節約する様子を目の当たりにされたのは、貴重な経験だっただろう。

また、ミドル・コモン・ルーム(MCR)では、学期ごとにディナーが催された。ゲストを招待することもでき、男性はディナー・ジャケットを着用し、女性も美しい装いで参加する。食後のポートワインが出されると、代表の「To the Queen」の発声に続いて、全員で唱和する。浩宮さまは、アット・ホームなこの雰囲気がお好みで、毎学期出席されていた。ふだんとは違う学生と知り合うチャンスでもあったという。

花菖蒲・連城の璧(れんじょうのたま)

雅子さまとオックスフォード大学を訪れる夢がついに叶う

食堂では好きな席に座ってよく、他の学生と知り合う絶好の機会であった。テーブルの隣に座った者同士が自己紹介をして握手する姿をよく見かけた。実際、食堂は大切な生活の場となったのである。浩宮さまの英国出発前、美智子さまは「できるだけ食堂に出ること。よい傘を買うこと」をすすめられたという。まことに的を射たアドバイスであった。

『テムズとともに――英国の二年間』は、浩宮さまの帰国後、8年ほどたった1993年に学習院教養新書として刊行された。それから30年が経ち、2023年に学習院創立150周年の記念事業の一環として新装復刊し、ふたたび人々の注目を浴びるところとなった。そして、その間に、浩宮さまは第126代天皇に即位されたのである。

復刊に際し、天皇陛下は「復刊に寄せて」というあとがきを加えられた。そこにはこのような一文があった。

「遠くない将来、同じオックスフォード大学で学んだ雅子とともに、イギリスの地を再び訪れることができることを願っている」と――。

このたびの訪英の間には、天皇陛下と雅子さまがお二人揃ってオックスフォード大学へ訪問される予定も組まれている。陛下の夢は、いよいよ叶うのである。(連載「天皇家の食卓」第19回)

文・写真/高木香織

インスタグラムの宮内庁公式アカウント

参考文献/『テムズとともに――英国の二年間』(徳仁親王著、紀伊國屋書店)、『新しい時代とともに――天皇皇后両陛下の歩み』(宮内庁侍従職特別協力、毎日新聞社)、宮内庁ホームページ

高木香織
たかぎ・かおり。出版社勤務を経て編集・文筆業。皇室や王室の本を多く手掛ける。書籍の編集・編集協力に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『美智子さまから眞子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』(ともにこう書房)、『美智子さまに学ぶエレガンス』(学研プラス)、『美智子さま あの日あのとき』、『日めくり31日カレンダー 永遠に伝えたい美智子さまのお心』『ローマ法王の言葉』(すべて講談社)、『美智子さま いのちの旅―未来へー』(講談社ビーシー/講談社)など。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)。

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