かつて昭和天皇は、夏になると栃木県の那須御用邸で静養されていた。植物がお好きな昭和天皇は、たびたび那須の山を散策された。山歩きのランチとしてお持ちになるのは、きまってサンドイッチ。とりわけお好きだったのは「イチゴジャムの…
画像ギャラリーかつて昭和天皇は、夏になると栃木県の那須御用邸で静養されていた。植物がお好きな昭和天皇は、たびたび那須の山を散策された。山歩きのランチとしてお持ちになるのは、きまってサンドイッチ。とりわけお好きだったのは「イチゴジャムのサンドイッチ」であった。お昼どきになって、お供の人たちとランチを召し上がるときに、昭和天皇は必ず「あること」をされたという。今回は、昭和天皇が愛したサンドイッチにまつわる物語である。
那須高原の花々を愛された昭和天皇
昭和天皇は、那須の山々がお好きであった。那須御用邸でご静養されているときには、しばしば植物観察の山歩きに出かけられた。お子さまやお孫さまをお連れになることもあったろう。そんな時には、咲き乱れる花々を見ながら、楽しそうにお供の人たちに花の名前を教えてくださったという。
昭和天皇は、どこにどんな植物があるのかを、とてもよくご存じだった。なにしろ、昭和天皇は『那須の植物』(三省堂)、『那須の植物誌』(保育社)を出されているほどなのだ。どちらも陛下が学者と一緒にご研究をまとめられた書籍で、生物学御研究所編として出版されている。
美しいイチゴジャムサンドイッチへの大膳のこだわり
昭和天皇は、パンがお好みだったという。なかでもサンドイッチがとてもお好きで、山歩きの際には、大膳(だいぜん、天皇家の料理番)がつくるサンドイッチを召し上がるのが常であった。大膳がつくるサンドイッチには、「サーディン」「玉子」「牛ロース肉蒸焼」「レタスとキュウリ」「イチゴジャム」などといった種類がある。「玉子」は卵焼きを挟んだもので、「牛ロース肉蒸焼」はローストビーフのサンドイッチである。
大膳のサンドイッチには、大変なこだわりがある。TBSテレビドラマ『天皇の料理番』にも登場していたように、まるで測ったような同じサイズの四角いサンドイッチを、切り目を横にして杉箱や大高檀紙(おおたかだんし)の紙箱にきちっとすき間なく詰めるのである。箱から取り分けるとき、新人のお供の人はサンドイッチ同士の境目が分からず、「ほんとうに切れているんですか?」と聞くほどだったという。
イチゴジャムのサンドイッチにも、大膳らしいこだわりがあった。ジャムをパンに塗ると、時間がたつにつれてパンにジャムが滲みてしまう。それでは美しいイチゴジャムサンドイッチとはいえない、というのである。
そこで、美しい姿で天皇陛下にお出しするための工夫が凝らされた。まず、イチゴジャムを裏ごしし、種の粒を取り除いた果肉を、飴になる一歩手前まで煮詰める。サンドイッチ用にスライスしたパン2枚にそれぞれバターを塗り、その上にイチゴジャムをそーっと流すように塗ってバター付きパンで挟むのだ。
そうやってしばらく落ち着かせてから切ると、イチゴジャムがパンに滲(にじ)みこまずにきれいな切り口のサンドイッチとしてお出しできるというのである。
残り物ではなく、ご自分が召し上がる前に皆にサンドイッチを分ける
昭和天皇が那須の山に植物観察にお出ましになり、昼時が近づくと、侍従が「そろそろお時間でございます。いかかでございましょう」とお声がけする。すると、陛下が「じゃあ、お昼にしようか」とおっしゃられ、お供の人たちがアウトドア用の簡単なテーブルをセットする。
昭和天皇がテーブルにおつきになり、女官がサンドイッチの入ったランチ箱を開けると、陛下は、
「イチゴジャムを」とおおせになる。女官が、
「他にはいかがでしょうか」と伺うと、
「イチゴジャム」
とまたおっしゃる。とにかくたいそうお好きなのである。
女官が陛下のお皿にイチゴジャムのサンドイッチを3切れほどお取りすると、陛下は、
「あとは、皆に」
とおっしゃるのである。
お供の人々は30人ほどもいる。その人数に一切れずつ分けると、もう陛下の分はなくなってしまう。もちろん、お供の人たちには弁当が用意されている。そのうえでサンドイッチを分けられるのだ。ランチ箱が一通りお供の人たちにわたり終ると、女官が「みんなの手元に行ったようです」と陛下に伝える。
すると、昭和天皇は、
「あ、そう。じゃあ、食べようね」
と皆に声をかける。そして、ご自分もイチゴジャムのサンドイッチを一口召し上がると、香淳皇后の方をお向きになり、
「おいしいね」
とおっしゃられるのであった。
昭和天皇は、残り物を皆に与えるというお考えの方ではなかった。ご自分のものを、たとえ少しずつであっても皆に分けて、同じものを一緒に食べようというお気持ちだったのである。そのお心に、お供の人たちは胸打たれたという。
愛子さまは昭和天皇の愛された五葉ツツジをお印に
やがて年月がたち、昭和天皇が崩御されて平成の御代となった。皇太子浩宮さまと雅子さまの間に内親王愛子さまがお生まれになると、お印はゴヨウツツジと決まった。ゴヨウツツジは、那須高原に咲く白く美しいツツジである。枝先にかわいらしい赤ちゃんの手のような、小さな5枚の葉が輪になってつくことから、ゴヨウ(五葉)ツツジと呼ばれるという。
それは昭和天皇が愛された、可憐な那須の花であった。昭和天皇と浩宮さまがご一緒に那須を散策された折に、気品あふれるこの花の名を教えられていたのかもしれない。(連載「天皇家の食卓」第20回)
参考文献/『昭和天皇のお食事』(渡辺誠著、文春文庫)、『昭和天皇のお食事』(板垣信久・小西千鶴共著、旭屋出版)、『美智子皇后と雅子妃 平民妃十年の苦闘』(渡辺みどり著、講談社)、宮内庁ホームページ
文・写真/高木香織
たかぎ・かおり。出版社勤務を経て編集・文筆業。皇室や王室の本を多く手掛ける。書籍の編集・編集協力に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『美智子さまから眞子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』(ともにこう書房)、『美智子さまに学ぶエレガンス』(学研プラス)、『美智子さま あの日あのとき』、『日めくり31日カレンダー 永遠に伝えたい美智子さまのお心』『ローマ法王の言葉』(すべて講談社)、『美智子さま いのちの旅―未来へー』(講談社ビーシー/講談社)など。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)。